―訓練―
「ああそうだよ。誰一人生きていなかった。ユレアちゃんも、クオンも、俺達以外はな……」
修練場の中央でグリムは叫ぶ。それを聞く男は、眉ひとつ動かさず、黙して静かだが鋭利な視線を向けていた。
「俺が弱いからか? 俺の強さが足りないから死なせちまったのか?」
独白に近い後悔の言葉を吐くグリム。数瞬の沈黙を挟み、ダズホーンが口を開く。
「じゃあお前がフェルを倒せたのは何故だ? お前が奴らよりも強かったからだろう」
「俺がもっと速くに倒せていれば助けられたかもしれない!」
「その場にはオルヴスが居た筈だ。お前の理論じゃ、オルヴスを責めるのが筋になるんじゃねぇか?」
苦しげに心の内を叩きつけるグリムに比べ、ダズホーンは酷く落ち着いた様子で答えていた。
「あいつは鍵乙女を護るのが仕事だ。俺とは違う」
「そうだな。お前は掲剣騎士だ。世界中の人間を守る兵士の一人だ」
「ああそうさ! でも守れなかったんだよ!」
「なら村に留まってフェルがやってくるのを待てばよかったってか? それだとなグリム。お前の過去の二の舞だ」
ダズホーンの言葉にグリムが苦渋の色を一層濃くする。先程のように叫び返す事も出来ずにただ噛み締める。
「先にフェルを叩きにいったお前も、鍵乙女を最優先にしたとてオルヴスも、間違った判断はしてねぇ」
「じゃあ、なんで……」
力なく項垂れるグリム。
一瞬の隙。そこを突き、ダズホーンの剣が抜かれ、一閃がグリムに襲いかかった。
響き渡る金属同士の衝突音。確実にグリムの首元を狙った刃は、いつの間にか抜き放たれていた彼の大剣が防いでいた。
「……何の真似だ」
憤怒に包まれたグリムの押し殺した声と共に、火炎が彼を包み込む。
「お前は強い。このオレよりも確実にな。オルヴスもそうだ」
「何が言いたい」
突如斬りかかられた事と不明瞭なダズホーンの台詞にグリムは苛立ちを隠さずに、呼応して炎がその勢いを増した。
「お前がその村の外で待機していたとしても、他の家の人間は殺されていたかもしれねぇ。無理矢理オルヴスを連れて二人で外に出ていた時にゃ、鍵乙女も守れなかったかもしれねぇ。まあ、オルヴスはそれだけはしねぇだろうが」
「んだよ。俺は頭は良くねぇんだ。わかりやすく言いやがれ」
「だから守れなかったんだ」
爆炎が巻き上がる。修練場の殆どの空間を包む程の炎が撒き散らされた。
「ダズホーンてめぇえ!」
怒り一色に染まったグリムの雄叫び。
「お前の悪い癖だ」
それに混じり、冷ややかな声が、彼の背後から届いた。
己の内にある霊力を高め、灼熱から身を守るダズホーン。
「お前は一つしか見ていない。見えていない。そして冷静さを最初から捨てる」
後ろを取ったにも関わらず、先程の様には斬りかかってこないダズホーンに、グリムは何もせずただ言葉を待った。
「頭を使いやがれグリム。出来る出来ねぇじゃねぇ。出来なきゃ守れねぇ。いいか。驕るな、見誤るな、違えるな。お前程の強さがあればあらゆるものを守れる。だが、強さは力だけじゃねぇ。それを忘れるな」
数秒の静寂が流れ、霊力の放出が収まったのか、グリムの起こした火炎が風にかき消される。
「お前と奴の違いだ。奴は鍵乙女を守る。お前はごまんといる人々を守る。あいつを追いかけるだけじゃお前はこれ以上“強く”はなれねぇ」
「ケッ。わーったよ」
「何がだ」
「あんたの言ってる事は相変わらずわかりづれぇ」
「そうか」
先程までの怒気は既に落ち着いたか、グリムはいつものふざけた調子に戻っていた。
にも関わらず、再度大剣の先をダズホーンに向ける。
「でもあれだな。やっぱり、俺は戦わないとどうにももやもやしちまう性質らしい」
言って、剣の先に軽く炎を纏わせる。ダズホーンはやれやれと息を吐いたが、グリムの要請に答え剣を構えなおした。
「まあいい。たまには付き合ってやろう」
「鍛錬をするのは構わないのですけどね」
二人の間に走る緊張と裂帛の気合の糸を気にも留めず、オルヴスがそこに割って入った。
街で買い物をした帰りに寄ったらしく、両手いっぱいに紙袋を抱えている。
「少しは周りを見てからはじめて頂けますか」
言って、見物席の方を振り返るオルヴス。つられて視線を動かす二人の目に、アーノイスの姿が写る。
「大丈夫だってー。何の為にあのロリババアがここに術かけてると思って――」
グリムの言葉を遮り、オルヴスが彼の背後の方向を顎で指す。アーノイスが居たのと反対の見物席――がある筈の場所。そこは明らかに炎の焼け跡となっており、席の一部が完全に焼けて大穴が開いていた。恐らく、先程のグリムの暴発させた炎によるものだった。
「いやびっくりしましたよ。買物から帰ってきたら大司祭様にグリムを連れてくるよう頼まれて、霊気を頼りに修練場に来てみれば……」
オルヴスがいつもの笑みを一層深くしてグリムを見る。だが、その眼は欠片も笑っていない。
「僕の主人がこんがり焼けてしまうところでしたよ」
「あ、あはは……すげーなオルヴス。流石だぜ! いやホント、鍵乙女様も無事で何よりだった……つうか……ごめんなさい」
「ダズホーン団長。これ少し預かって頂けますか?」
半ば押しつけるように紙袋を渡し、グリムの前に戻るオルヴス。
「訓練の邪魔をしてしまったようですねグリム。お詫びと言っては何ですが、僕がお相手しますよ」
言い切り、その姿を黒い“魔狼”のものへと変化させる。ダズホーンは荷物を受け取ったまま、大人しく見物席の方へと下がって行った。
「えっ、ちょっ、何でいきなり本気モードっ」
「安心してください。“訓練”ですよ」
「待て待て待てジャスタミニッツ!」
「聞えませんねぇ!」
消える黒い影
同時にグリムの眼前に現れ、襲いかかる五本の爪を大剣が受ける。しかし勢いまでは殺しきれず、中空に跳ね飛ばされるグリム。
「オーケーオーケー……いいぜ、やる気なら好都合だ!」
珍しく戦うつもりのある攻撃をオルヴスから受け、たちまちグリムのテンションが跳ね上がる。
「喋ると下を噛みますよ」
背後に回ったオルヴスが一声かけるとともに蹴りを落とす。ガードした剣ごと地面に叩きつけられ、土を巻きげる。
「お前もなぁ、余裕ぶっこいてると……消し炭になんぜ!」
落下点から土煙りを払い、炎の柱が立ち上りオルヴスを包む。
だが。
「遊んでるつもりですか?」
意にも介さず、炎渦を振り払い、黒い影がグリム目掛けて落ちる。しかしあたらず、突きだした左手が砕けた地面にめり込み、修練場全体がひび割れる。
「まだまだぁ!」
その隙を突き、グリムが肉薄する。振り下ろす大剣と払う爪がぶつかり、粉塵を払って拮抗、弾けて離れた。
「いいぜいいぜ……上がってきた上がってきたぁ!」
グリムに呼応して炎の鎧が形成される。対するオルヴスも、己の両手に青白い霊力の光を纏わせた。
同時に飛び出す青黒と燈赤の閃光。爪と大剣を振りかざし、衝突を繰り返しながら天に上がる。二つの力が激突する度に巻き起こる衝撃波が大気を吹き飛ばし、辺りを震わせる。
もはや常人には光の残滓も映らない程の速度で攻防を繰り返す二人。
「ダズホーン団長! 止めなくていいの!?」
反対側の見物席からやってきたアーノイスが、買物袋を脇に置き、座って戦いを見届けるダズホーンに問う。彼女には戦う二人の姿は見えておらず、絶えず巻き起こる衝突音と衝撃の突風に耳と髪を抑えていた。
「たまにはいいでしょう。オルヴスは滅多にグリムの奴の相手をしてくれませんからな」
そんな鍵乙女の様子を見ても、止める事はしない様子のダズホーン。アーノイスは諦めて、その横に座り、見えもしない戦いを窺おうと目を凝らす。
「……今どうなってるの?」
しかし見えないものは見えないらしく、黙して二人を見守るダズホーンに問いかけた。
「……グリムが右腕に三発、左腕に二発、両足に五発、頭部に一発の打撃を喰らっています。オルヴスはまだ被弾なし。火は受けているが効果がない」
「よく見えるわね……にしても、ここで戦ってるの見ると、昔を思い出すわ。いや、見えないんだけどね」
ダズホーンの説明を受けて、自分の従者が優勢なのが少々喜ばしいか、少し微笑んでアーノイスが言う。
「闘技大会の事で?」
「ええ、そうよ」
従盾騎士を決める為に開かれた闘技大会。もう数年も前の話になる。
圧倒的な戦闘力で優勝を果たしたのはグリムであった。しかし、彼は優勝すると直後に現れた一人の青年の決闘を受けて、今、この場で行われいるような人外の戦闘を繰り広げた後、その青年に敗れ、従盾騎士の座を快く譲ったのだった。
「決闘に勝ったからとはいえ、突如現れた侵入者を従盾騎士として任命するなど、こちらとしては度肝を抜かれましたがね」
「その事について文句は言わせないと、あの時言った筈よ」
その現場に立ち会ったダズホーンは勿論、大司祭も審判団も、侵入者――オルヴスを従盾騎士とする事を良しとはしなかった。だがそれをアーノイスは強引に認めさせた。
当時はオルヴスに対する批判の声が後を絶たなかったが、彼の圧倒的な実力、柔らかな物腰、そして何より彼女アーノイスに対する忠誠を診て、人々は彼を従盾騎士として認識するようになっていった。
「あいつは強い。それだけは確かです」
「あら、そんなの当然よ。私の騎士ですもの」
そう、アーノイスは言い切るのだった。
 




