表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
一章 鍵と盾
2/168

―デヒューナー―

 一台の馬車が野道を走っている。昼下がりの穏やかな春陽に包まれたその道は、森に出来た獣道のように、幾多の人々がそこを通っていったが故に作られた名もなき路。いつから使われ、誰が初めに通ったのか誰も知らない、けれど、行商人や旅人達の足跡が築き上げてきたものだということだけは語らずともわかることだった。大袈裟に言えば、古くから多くの人々が通り、その一歩一歩が刻んだ歴史そのものだろう。


「オルヴス、まだ着かないの?」


 ただ一つ道を行く馬車の中から、少女の気だるそうな声が、騎手の青年へ向け投げかけられる。


「後小一時間と言ったところでしょうか。この辺りはのどかで、馬もあまり急ぎたがらないようですし」


 姿を見せない声の主の方へ律儀に顔を向けながら、オルヴスと呼ばれた青年はにこやかに答えた。首が隠れ、目にかかる程度の長さの黒髪に、七分くらいまで捲りあげた白いカッターシャツと黒のベルボトム。一見で騎手ではないことは誰の目にも明らかであるが、その実、青年は馬の機微もわかるようで、その姿は半ば不可思議にも見える。


「あなた、私と馬とどっちが優先なのよ」


 倦怠感に苛立ちを少々加えた声音で、少女がまた青年に聞いた。


「そう焦らなくとも大丈夫ですよ。ああ、もしかして“お花摘み”ですか?」


「違うわよっ。疲れたの。お腹空いたわ」


 不本意なところを指摘されたようで、少女の声は少し捲し立てる様に言葉を次ぐ。オルヴスにはその様子が目に浮かんでいるようで、口元を緩めていた。


「先程の村で作ってきたサンドイッチが荷物の中に入っていたと思いますが」


 斜めの空を見上げ、思い出したようにオルヴスは言った。先程とは言っても、村を出たのが日も昇る間際の薄暗い時間の事ではあるが。


「もう食べた」


「僕の分は」


 先程とは言ったが、その村を出たのは日も昇る間際の薄暗い時間の事である。オルヴスも一応聞くだけ聞いたが、期待はしていなかった。


「……そんなもの最初からなかったわ」


 不遜にもそう口にする少女の言葉を、オルヴスは嘆息混じりに「そんなところだろうな」と思い、反論はしなかった。その、なんだか諦められたというか若干呆れたかのような雰囲気を感じ取ったのか、慌てたように少女の声が弁明しはじめる。


「し、しょうがないじゃない。だってあなたに起こされて直ぐ馬車に乗ったし、乗ってからはずっと寝てて何も食べてなかったし……アンバタだったし」


 最後の言葉だけほんの少し上気したようで、またオルヴスは微笑んだ。彼自身は元々、騎手をしながら食事を摂るつもりがなかったので、早朝作ってきたサンドイッチは全て彼女の好物のアンバタにしてきたわけだが、それが功を奏したようである。


「全く。あんまり甘いものばかり食べていると虫歯になりますよ」


 とはいえ、一応釘は刺すらしい。


「子供扱いしないで。あなたより二つ年上なんだから」


 はいはい、とオルヴスは流して馬へ軽く鞭を打った。のんびり散歩気分で歩かせてやりたい所だが、主人はあの様子だし、街は近いので少しばかり頑張ってもらおうとの思惑だ。

 馬が軽く嘶くと、蹄がリズミカルに路上を打ち鳴らしはじめた。







 ――大樹の街セパンタ。古くから末端の村々への交易の拠点として栄えてきた街である。故に街とは言っても、都会然とした、石や鉄などの建築物、整備された広い通り等といった物は存在せず、建物の殆どは木造で背も低く、通りは狭い道が幾重にも重なる網の目のようなものである。それでも東西南北に一直線に伸びる十字路兼街の出入り口と、一回りするのにも一日はかかると言われる広さが「街」としての名目を保っているとでも言おうか。

 そんなセパンタの西門に、オルヴスが引く馬車はようやく辿り着いた。


「アノ様、着きましたよ」


 馬車を降り、後ろの荷車へと声をかける。少しして、幌の中から一人の少女が現れた。背中まである艶やかで乱れない水色の髪を、両側面から後頭部にかけてまとめ、後ろで一つに結んでいる。日差しに溶けてしまいそうな真珠の肌に凛とした顔立ちで、服装は華美でもない白のワンピースなのにどんな造形にも見劣りしないと思われる程。


「さて、街へ入りましょうか。この時間なら宿も取れるでしょう」


 言いながらオルヴスは手を差し出す。アノと呼ばれた少女は慣れた手つきでその手を取ると、ゆっくりと地面に降りた。


「そうね。ずっと動いてなかったから足が重たいわ」


 また眠っていたのだろう。まだ少し眠気が覚めきっていない藤色の眼を擦ってそう告げた。言葉を受けてオルヴスは馬車から荷物を取り出して肩に背負い、馬の手綱を引いて馬車止めに連れて行く。馬車を繋いで戻る際、オルヴスは思い出したように荷車の中に入って、中から白い布のようなものを持ってきた。


「忘れてました。大きな街ですし、念の為」


 白い布、それは薄手のフードで、少女の頭をすっぽり覆い、目深に被れば顔が見難いように出来ているものだった。


「失礼しますよ」


 一言告げてからアノの頭にそれを被せ、紐を結ぶ。


「これ、視界が悪くなるのだけど」


「僕があなたの眼になりますから大丈夫ですよ」


「そうじゃないんだけど……」


 アノは以前にもこのフードを被る事を何度か嫌がっており、「幼く見える」だの「今日の服に合わない」だの「あからさまに隠してるっていう感じが嫌」だの理由をつけるのだが、悉くオルヴスに一蹴されていた。その経験もあるので逐一アノも食い下がらない。最初から二言三言文句を呟くくらいで、抵抗と呼べるようなことなんて事はないのだが。


「そろそろ参りましょうか。衛兵がアノ様の美貌を見ようとフードの下に目を光らせてますから」


 冗談なのか本気なのか、オルヴスは門を警備する衛兵の方へ指を差して微笑むと荷物を持ち上げて歩き出した。


「ばっ馬鹿じゃないの? そんなことあるわけないじゃないっ」


 フードの下の頬を少し赤く染めて反論しながらアノがオルヴスの後へ続く。

 そんな毎度毎度のやり取りを終えて、ようやく二人はセパンタの街へと足を踏み入れた。オルヴスはここセパンタに何度か足を運んでいる為、複雑な街並みも大体は覚えている。その足取りは迷う事なく、宿のある方向へと歩を進めていた。余談だが、毎回共に来ている筈のアノが全く道順を覚えていない様子で、オルヴスの一歩後ろを着いて来ているのはご愛嬌である。


「相変わらずここは賑やかですねぇ」


「こういうのは騒がしいって言うのよ」


 オルヴスの感想に苦言を呈し、アノはふと顔を上げた。何やら美味しそうな匂いが何処からか流れて来ている。それに誘われるように首を巡らせた。目に止まったのは一見の酒場らしき店。店内は少々薄暗いが、街道の露店や商人、客らの声に紛れて男女含めた笑い声が聞こえてくる。時刻はまだ夕方といったところだが、店自体はやっているらしい。

 と、アノはそこまで考えてお腹の辺りの違和感に身体を強張らせる。だがそれは彼女も経験則からわかる通り、無駄な抵抗であった。胃の辺りから伝わる音の振動に、フードの下の顔を林檎のように染めながらオルヴスの隣をそそくさと通り過ぎようとする。彼と肩がすれ違うとほぼ同時にとぼけた声が彼女の耳に届いた。


「美味しそうな香りですねぇ。これは、香草焼きか何かでしょうか」


 アノの肩が跳ねるように反応したが、足だけ止めて振りかえらない。


「少し早いですが、夕飯、食べて行かれますか?」


「なっ、何でよ?」


 平静を装ったつもりだろうが、本人は声が少し上ずっている事に気づかない。オルヴスは知らぬ顔で言葉を続けた。


「いえ……お腹が空いたと馬車でも仰ってましたし。……“事”の後だと食べられないでしょう」


 後半の台詞にアノが先刻とはまた違った肩の強張りを見せる。目を伏せ、深く息を吐き、そうしてから彼女は少し固い表情で顔を上げた。


「そうね。行きましょう。オルヴス、荷物は大丈夫?」


「はい、お任せください。僕も少々空腹だったもので」


「そう」


 対照的に柔らかな笑みを浮かべながら、従者はスタスタと進む主の後を着いて行く。開け放たれたままの扉をくぐると、店内の喧騒がよりはっきりと聞えた。

 アノは迷わずカウンターの一番店奥の席に座り、その隣をオルヴスが着く。少しして、カウンターに立っていた店主らしき人物が二人にグラスの水を運んできた。


「いらっしゃいませ」


「少しばかり空腹を満たしたいのですが、そのような料理もありますか?」


 席には品書きがなく、さりげなく店内を見回す少女を尻目にオルヴスが率先してそう問う。


「ここは旅の方も多く立ち寄られますので。まかないのようなものになりますが、味は保障致しますよ」


 チラリ、とアノの方へ視線を向けて許可を取る。当の彼女はどうでもいい、というように目線を逸らしグラスの水を傾けた。

 文句ならすぐに飛んでくる。無言なのは、無視ではなく肯定。そんな素直じゃないやり取りをして、従者は再び店主へと目線を戻す。


「香草焼きはありますか? 香りに引かれて立ち寄ったのですが」


「ええ。十分程お時間頂きますがよろしいですか?」


「二人分お願いします。あ、それとブレッドを二つずつ」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 注文を受け取り、店の奥へ行く店主。つい数分前の起きたばかりで喉が渇いていたのだろう、早々にアノのグラスの中身が空になり、見計らったようにウェイトレスが水筒を持って現れる。


「お二人とも旅の方ですよね? いい時期にいらっしゃいましたね」


 水を注ぎながらそう口にする。店主が旅の人間もよく立ち寄ると言っていたし、店員である彼女もその辺りの目は養われているのだろう。


「いい時期、という事は何かあるのですか?」


鍵乙女(デヒューナー)様がいらっしゃるんですよ! 教会の神父様のお話だと、もう近くまで来ているんじゃないかとの事です」


 ――鍵乙女(デヒューナー)。世界に五つあるという「門」を開閉する唯一無二の力を持ち、その力であらゆる災厄から人々を護ると言われる神の使い。アヴェンシス教会の庇護の元にあり、その役目の為に命を賭している者の呼び名だ。


「おや……教会は鍵乙女の動向は秘匿している筈では?」


 鍵乙女無くして世界に平穏は無く、それ故にその存在はあらゆる存在から狙われてしまう。それは時に野盗であり、何処かの富豪でありまた国である。だから、教会は鍵乙女の存在は公表したとしても行動・居場所に関わる情報は出さないのだが。


「少し前にここに来た旅の方が言っていたんです。ちょうどその時街の中にフェルが入って来ていたんですけど、その方がお一人で倒してくれまして。その方が去り際に、もうすぐ鍵乙女が門を開くから大丈夫って」


 一通り話を聞き終え、オルヴスはグラスの水を飲み干し、一瞬だけアノの方へ目をやる。平静を装っているようだが、少し肩を落としフードの中に手を当てて額を抑えているようだった。


「にしても街中にフェルが侵入なんて、危なかったですね」


 フェルとは、全ての命ある存在に仇なす魔物の事。個々によるが、物によっては単体で一国を滅ぼすまでの力があると言われている存在だ。人々が生きていく上で、避けられない災害のようなものであり、古来より今までその生存闘争が止まったことはない。


「はい……あの時は運がよかっただけです。あんな腕の立つ剣士さんはじめて見ました。って、それはもう良いんですよ。だって鍵乙女様がいらっしゃったらフェルの心配なんて要らないじゃないですか」


 鍵乙女が門に触れるとフェルが消える。これは民衆が鍵乙女を信仰する最も大きな理由となっている。その事例を直接見た者はおらず、完全に消え失せるわけではないが、鍵乙女が触れた門の近くにらある村等では、実感として明らかにフェルとの遭遇件数は減るのだという。


「へっ、その鍵乙女様とやらは一体いつになったら現れてくれるのでしょうなぁ?」


 と、ウェイトレスの少女の背後から野太い男の声が水を注す。


「教会の方が仰っていたんですよ? もしかしたらもうこの街に来ているかもしれませんよ」


 救いを手放すまいとしてか少女が反論する。男はその願望が無駄であるとでも嘲笑うかのように手に持っていた酒のジョッキを飲み干した。


「元々教会はその辺りの情報はひた隠しにしてるだろうが。大体あの小僧が本当に教会の人間かどうかも怪しいもんだぜ」


「まあまあ落ち着いてください」


 そんな不毛な議論にオルヴスが割って入る。正直なところ彼にこの議論は全く関係がないのだが、うるささに頭を抱えた自分の主人を見て動かざるを得なくなったのだ。


「話していても埒が明きませんよ。なんにせよ、世界中を鍵乙女が巡り門を操作しているのは事実です。確かな情報が伝わらないのはその鍵乙女の身の安全を確保する為。故に皆さんが不安になる気持ちもわかりますが、そこは辛抱頂いて待ってくださると鍵乙女様も心労が和らぐのではないかと邪推しますが」


「けっ、まるで知ったような口振りだな」


「色んな場所を旅しているとたくさんの方々が同じ事を言いますからね」


 言う事は言ったとオルヴスは席に戻る。しかし。


「大体鍵乙女様の心労だと? それが仕事なんだろうが。大事な大事な使命だろ? それを心労なんかで疎かにされでもしたら、世界中の人間がフェルに食い殺されちまうぜ。ま、鍵乙女様には優秀な従盾騎士ブラインダーとやらがついてるらしいからな。どうせ死にやしねぇんだろうが――」


 吐き捨てるように語られた男の言葉は最後まで言い切られる事はなかった。床に放られたジョッキが音を立てて砕け散る。

 悪態を吐いていた男の口はオルヴスの右手によって鷲掴みにされ封じられていた。オルヴスの頭より二つ分程高く持ち上げられ、何が起こったかもわからないといったように身動き一つ取れていない。何が起きたかわかっていないのはその男のみならず、すぐ側に居た筈のウェイトレスさえも、その店の誰もがオルヴスの動きを全く捉える事が出来なかった。


「お、オルヴス! 何やってるの!」


「ああ、申し訳ありませんアノ様」


 男の顔面を掴んだまま降ろす素振りさえ見せないオルヴスに、いち早くアノが慌てて詰め寄る。だが、彼は主人のそんな言葉にも全く悪びれた素振りを見せず、うわべだけの謝罪を述べる。そして意にも解さないように、視線を右の手に掴んでいる男へと向けた。


「大事な使命、確かにその通りですね。鍵乙女が動かなければ世界中にフェルが蔓延し、人々の生活はままならなくなるでしょう。それほどまでに大事な使命に、欠片程の心労もかからないと?」


 返事を待つように台詞に間を持つが、男がそれに答えられる筈もなく、ただ恐怖と動揺に染まった眼を向ける。


「まあ、少し考えればご理解いただけるでしょうが……酒の席での暴言とはいえ、見逃せませんね、先程の言葉は」


「オルヴス、もういいから」


 アノが男を持ち上げたままの腕を抑え、止めに入る。オルヴスはそこではじめて店内の視線が自分達に集中している事に気付いたのか、肩を竦めて見せた。


「そうですね……わかりました」


 興味が失せたとでも言わんばかりに無造作に手を離し、男を床へ落とす。男の知り合いらしき数人が彼の元に集まったが、意にも介さず、アノの方へと向き直った。


「食事どころではなくなってしまいましたね」


「全く、誰のおかげだと思ってるの」


 周囲に出来た人垣を眺めながら苦笑すると、その中から一人、身なりのいい初老の男性が前へと出てきた。


「失礼。私はこの街の保安官をしている者です」


 何の脈絡もなく現れたその人物に多少の警戒を込めた眼差しを込めながらオルヴスが前へ出る。


「何か御用でしょうか」


「いえ、たまたま店の前を通った所何やら騒ぎが起きていたようなので。この街は多くの人々が行き交う故にいざこざもよく起こる。それを取り締まるのが私めの仕事でございましてな。少し、お話しを聞かせてもらえますかな?」


「……わかりました。それでは――」


「待ちなさい」


 保安官の言に承諾の意を示そうとしたオルヴスをアノが制止し、前へ出る。次から次へと舞い込むトラブルに嫌気が指して来た様子だった。


「やっぱりこんなのあるだけ無駄よ。邪魔だし」


 言いながら、アノが街に入る前に被せられた白のフードを剥ぎ取ってオルヴスへ返す。途端、それまでざわざわと雑言を交わしていた烏合の衆が水を打ったように静寂を取り戻した。そこに居る誰もが、アノの素顔を凝視し、言葉を失う。先程まで酔った勢いで騒いでいた男でさえも唖然と開いた口が塞がっていなかった。


「私の従盾騎士が失礼を働いた事、お詫び申し上げます。しかしながらそれは私、鍵乙女アーノイス=ロロハルロント=ポーターを案ずるが故の行為。どうか恩赦くださいますようお願い申し上げます」


 その様子を一瞥した後、アノは整然とした態度で周囲の民衆へ頭を下げた。数瞬の沈黙が流れる。


「……鍵乙女様」


 誰かがそう口にした、その瞬間。狭い店内を先程の騒ぎを大きく上回る喧騒―歓声に包まれた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ