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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
十章 魔狼と乙女
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―帰還―

アーノイスが目を覚ましたのは、メルシアの転移の術で教会に戻ってから、さらに数時間後であった。寝かされていたのは、修復された始祖教会の最上階、鍵乙女の居室。体調などお構いなしに、彼女は飛び起きた。室内は、既に陽光が入り込んで、明るい。戦闘をしたわけではないので体に痛みはないが、異様に体は重い。しかし、今の彼女に自身を案じるような余裕はなかった。オルヴスとグリムとメルシアの死闘。その結果がどうなったのか。皆無事なのか。何故自分はこの場所に戻ってきてしまっていたのか。疑問が多すぎて逆に動けない。そんな彼女の状態を知ってか知らずが、丁度、部屋の扉が開いた。


「目、覚めたか」


入ってきたのは童女の姿のメルシア。その手にはお盆が持たれており、その上にはトーストやミルクといった軽めの朝食が乗っていた。


「メルシア……」


言葉を交わすのは実に数ヶ月ぶりだ。アーノイスとオルヴスがこの教会という場所から逃げて以来。その負い目があるのか、アーノイスの声は沈んでいた。


「取り敢えず何か腹に入れておけ。ずっと寝てたんだ。あまり急がないでな」


目配せでテーブルと椅子を浮かせ、アーノイスのベッドの横に据え、お盆を置くと共に自分も座るメルシア。アーノイスと違い、彼女の対応はごく自然で、故にアーノイスは少し戸惑ってしまった。そんな彼女を見て、メルシアが言葉を発する。


「すまなかったな。こんなことになってしまって」


驚くことに、告げられたのは謝罪だった。アーノイスの表情が驚愕に固まる。


「……私が、逃げたから」


それでも、なんとか声を彼女は絞り出した。教会に恨みは、ある。何故あの村を滅ぼされなければならなかったのだ。そう思うと、どうしようもない怒りが沸き上がってくるが、それを今メルシアにぶつけても仕方ないことはわかっていた。こうして、教会に保護されている身なのだから。

しかし、メルシアは首を横に振った。


「結構前だが、言った筈だ。鍵乙女であることが辛くなったら、言ってくれとな。お前は確かに訴えていた筈なのに、私はそれに気づけなかった。その後も、審判団の存命と動向を掴めず、こんな事になってしまったんだ」


審判団。鍵乙女であるアーノイスですら直接の面識はない教会の最高意思決定機関。エトアールの亡霊の襲撃の際に死亡したと言われていた筈だが、そうではなかったらしい。しかし、そんなことはもうどうでも良かった。


「チ……オルヴスは何処? 居るんでしょ」


しても仕方ない話をしていても仕様が無いと、アーノイスは先程から思っていたことを伝えた。攻めてきたのが審判団先導する教会の騎士たちで、それと戦ったのがオルヴスだ。自分がここに居る、ということは彼も居るのだろう。そんな当たり前に信じていたことから、彼女は彼の居場所を聞いた。しかし、メルシアは再び首を横に振る。言葉は、なく。


「どういうこと……? まさか、貴方達!」


先のセリフは声が詰まって音にならなかった。アーノイスはこう思ったのだ。教会と直接戦い、そして虐殺したオルヴス。それを捉える、もしくは殺したのではないかと。罪人と認識した者は即座に裁く。己の父がそういう人物であった為に、アーノイスはそう考えた。その彼女の思考を読み取ったのか、メルシアはまた首を横に。今度こそ、アーノイスはわけがわからなかった。教会に囚われたわけでも殺されたわけでも、ここに居るわけでもない。なら、どうしたというのか。

メルシアは何も言わない。アーノイスもまた、何も言えなかった。流れる静寂が、異様に長く感じる。人知れず、アーノイスはシーツを握り締めた。どうして、いないのか。どうし、何故。わからない。と、扉が叩かれた。はっ、として二人は顔を上げる。教会の最上階は鍵乙女と巫女と従盾騎士と他掃除に任にある修道女以外は立ち入ることを赦されぬ階層だ。なら、この部屋に来る人物は、と二人が同一人物の姿を思い浮かべるが、扉は開かず、代わりに聞き慣れて入るが別の人間の声が扉の向こうから響いた。


「メルシア。お姫様も、起きてるか? 二人とも、急いで礼拝堂に来てくれ」


声の主はグリム。だが、その声は異様なまでに沈み、固い。それが何を意味しているのかは、流石にメルシアでもわからなかった。






――ケルト=ファイセンは始祖教会に居住し、暮らす修道女だ。十代の頃から教会に入り、朝早くに起きてお祈りと掃除をしてから朝食を摂り、自分らと騎士団の人たちの洗濯や飯支度を当番制で行う。それが終われば昼食とお祈り。午後はまた掃除や洗濯炊事の続き。途中に休憩とお祈りを挟んで夕飯、自由時間、就寝となる。規模の大きさから相当数の修道女の中の一人である彼女だが、他の修道女とは一線を画す仕事があった。彼女は唯一、最上層の空間に立ち入ることが赦されているのである。それは掃除の為。鍵乙女及び従盾騎士が逗留している際は、彼女らの部屋までは立ち入らず、廊下と階段、そして書庫の掃除をするのだ。今日は上の方から書庫と廊下と階段の掃除をしてくれと言われていたので、早朝のまだ薄暗い時間に、彼女はこの最上層へ上がってきていた。よく、同じ修道女の友人などから、最上層はどんな場所でどんな雰囲気なのかとかを聞かれるが、別段特筆することはないなと彼女は思う。造りも特に代わり映えせず、特段広かったり大きかったりするわけではない。とはいえ、やはりこの場所に一生足を踏み入れることのない人間の方が圧倒的に多いわけで、さらには彼女ら修道女が祈りを捧げる女神に、最も近き存在である鍵乙女が生活する空間であるという事もあり、優越感はあった。同時に、綺麗にしなくてはという責任感も。ついこの前までは先の戦闘で壊されて掃除どころの話ではなかったが、最近になってようやく修復された。しかし書庫の本は破けたり紛失してしまったものも多々あったらしいが。読まないケルトには関係のない話である。掃除用具を突っ込んだバケツを片手に、彼女は書庫に足を踏み入れた。

窓のない、入口がある以外の三面の壁に彼女の背丈の倍はあるだろう高さの本棚。それと同じものが扉に並行して三段、彼女の正面に並んでいる。明かりは天井全面に刻まれた呪印自体が、部屋に人が入ると同時に発光する仕組みになっている。故に、彼女が扉をけて入れば、その時から呪印が反応しはじめ、徐々に光を増していく。筈だったのだが。既に呪印は光々と書庫を照らしていた。こんな朝早くに、と彼女は思ったが、よく巫女がここを利用していることを知っていたので、今回もそれだろう、と一旦彼女は掃除の前に一声かける事にした。鍵乙女ほどではないが巫女も彼女らから見れば非常に高位な存在だ。千年の昔から生きているという噂もあるし、ケルトが教会に入った時より十年以上の時が過ぎた今でも、変わらない愛らしい童女の姿を保っているのを、彼女は実感として知っていた。よく教会内でも見かけるし、話しかければ特別尊大な態度もしない、ごく普通の友好的な対応をしてくれる人物であるとわかっている。普段廊下などで見かける際は一礼をするに留まるが、この書庫という場に至っては別だ。少し浮かれながら、書庫の右側の通路を歩き、左側の壁を望むように歩いて行くケルト。一、二、と本棚を超え最後の通路に差し掛かり、顔を覗かせたと、同時。彼女は手に持っていた掃除用具を滑り落としてしまった。


「……おや、貴方は……ああ、掃除の方でしたね」


そこに居たのは、黒いコートに身を包んだ、黒い青年。ケルトには、見覚えがあった。いや、見覚えのない人間がこの始祖教会には居ないだろう。教会で最も強いと言われていた騎士。今となっては、裏切り者と実しやかに囁かれている、従盾騎士オルヴス。その人がそこには居た。帰ってきていたなど、誰も知らなかっただろう。黒い瞳は底が見えず、本能的な恐怖いケルトは声を上げる事も出来ない。そんな彼女の状態を知ってか知らずか、オルヴスは口を開いた。


「そうだ……一つ、頼まれて貰えますか?」


裏切り者というレッテルからは想像がつかないほど、以前のような物腰の柔らかさで応対するオルヴスだが、ケルトは恐怖で何度も首を縦に振る。そんな反応に少し苦笑しながら、オルヴスは言葉を続けた。


「鍵乙女様と、巫女様と騎士団長代理。それと入るだけの人を礼拝堂に集めてください。僕の名前を出せば、きっと動いてくれる筈ですから。お願いしますね」


それだけ言い切り、オルヴスはケルトの横を通り過ぎて行った。

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