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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
十章 魔狼と乙女
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―女神―

鍵乙女アーノイスは、暗闇の淵に居た。立つ大地は所々凹凸があり、荒れ切って草の一本も羽虫の一匹も見当たらない。上を見上げても前を見ても後ろを振り返っても、あるのは荒野と暗闇と、いつもより近くに見える星。そして、彼女の眼前には一つの、巨大な球体があった。これまで見てきた何よりも大きな、あまりに大きすぎて全容までは見ることの出来ない、青く美しい球体。白や緑の、不規則な形をした斑点か模様かはわからないものもあるが、それがまた青々と光る球面の大半にアクセントを加え、一つの宝石のようだった。

いつから、それを眺めていたのか彼女自身にもわからない。視覚以外に、この空間は何も彼女にかかわらないからか。一切の音はなく、風も感じられない。暑さも寒さもなにもなく、光は、斜め上の太陽らしきものから。普段見るよりも近くそして強い光を放っていた。最後に見た光景は、眼を閉じればすぐに浮かびあがる。焦げた木と焼けた肉と髪の臭い。遠くから響く轟音と震動。月隠した歯車と剣の宮殿が落ちて行く様。そして、視界も意識も白くなっていった。見ていたくなかった、受け入れたくなかった。まるでそんな己の心情のように、背から生えた白は自分を包み、そして。眼が覚めたらこんな場所にいた。


「やっほ。目、覚めたみたいだね、アーノイスさん」


ただ呆然と立ち尽くしていたアーノイスの背後から、突如人懐っこい少女の声が響く。それは耳ではなく、直接頭に響く声だった。驚き振り向く彼女の視界に、白い髪を肩に届くか届かないかのところで切り揃えた、小柄な少女が入り込む。15,6歳くらいだろうか。綺麗、というよりは可愛らしい容姿で、丸く大きな瞳は青。衣装は、白磁の肌と白銀の髪に合わせたような白いゆったりとしたドレスだった。


「貴方は……?」


そう問いを発してから、声は出るのかとアーノイスは認識する。


「ゼヴァンサ。呼び方はゼヴァでもゼヴィでもどっちでもいいよ」


そう言って晴れやかに破顔するゼヴァンサに、アーノイスは毒気を抜かれたように呆けてしまった。ここは何処で、なんで自分がこんなところに居るのかなど、聞きたいことは山ほどあるのに、調子を狂わされたように何から言っていいかわからない。そんなアーノイスの顔を覗き込みながら、ゼヴァンサはなにやらニコニコと笑っている。


「いつかいつかはと思ってたけど、まさかここに辿り着く人がいるなんて驚きだね」


何を喜んでいるのか、少女はしきりに笑顔で頷いている。このままでは延々とこの少女に見回されてしまうのではないかと、アーノイスはとにかく口を開いた。


「えっと……ゼヴィ? ここは一体」


何処で、貴女が何者なのか。それと、先程の彼女の言葉の意味。そこまでアーノイスは聴こうとしたのだが、ゼヴァンサは食い気味に答える。


「外だよ、外。さっきまでアーノイスさんが居た場所、世界の、外。わかりづらくて申し訳ないけど、名前はまだないんだー。誰もつけてないみたいだからね」


「外……って……」


辺りを見回すアーノイス。確かに、屋外か屋内かと問われたら、前者だろう。そのくらいわかる。だが、引っかかるのは『さっきまで』『居た場所、世界の』という言葉。前述の意味で行けばあの丘だって屋外に、外に属する筈だ。その矛盾しているような、要領を得ないような物言いに、アーノイスは朗らかな笑顔を絶やさない少女のそれが、嫌に不気味に思え、背筋が少し寒くなる。


「あれだよ、あれ」


だがそんなアーノイスに構わず、ゼヴァンサは腕を上げてアーノイスの背後を、先刻まで彼女が見つめていた青い宝石のような球体を指差した。


「あれが、さっきまでアーノイスさんが居た世界。ここは、月だよ」


言われ、アーノイスは世界と称された球体を眺めながら、夜空に幾度も臨んだ月を思い浮かべた。あの、黄金の、時に青白く、時に紅い光の正体が、こんな廃れた場所だったことに衝撃を受けながら。


「同時にここは、門の向こうへの出入り口でもある。私も普段はそっちに居るんだけどね。アーノイスさんが辿り着いちゃったから、慌てて出てきたんだ」


続くゼヴァンサの台詞を、アーノイスは上手く飲み込めずに居た。彼女にとっては当然の知識なのだろうが、いかんせん、アーノイスの頭は混乱から抜け出せない。ようやく、戸惑いの中に取り残された彼女に、ゼヴァンサが気づいた。


「あーっと、そだよね。説明しなきゃわかんないよね……じゃ、まず私のこと。私は、貴女の生きていた時代から千年前の人間。メルシアさんと同じ時代を生きた、初代鍵乙女ゼヴァンサ」


さり気無く告げられた事実に、アーノイスの目が点になる。さらに追い討ちをかけるように、ゼヴァンサはその背から六対の翼を生やした。肩、背、腰から二対ずつの、純白の翼が神々しく広げられる。


「この翼と、貴女と同じ白い髪が、私が女神である証」


いいながら、背に負う荘厳な翼とは対照的に明るく笑うゼヴァンサ。言われて、その少女の顔を凝視してみれば、教会の礼拝堂には必ずと言っていいほど建てられている女神の彫像の面影がある。とはいえ、あの彫像では今の少女より十歳ほど年を重ねないといけないようだが。その辺りは女神と言われるだけあり、自在なのだろうか。それに加え、霊覚を使わずとも、感じられる世界の外というこの無限に思える場さえ多い尽くしそうな霊気、その色は紛れもなく、アーノイス自身も使う烙印術の白に似ていた。そして、その女神の霊気に共鳴するかのように、ひとりでに彼女の烙印も光を発しはじめる。だが、烙印術を使っているときのような、痛みはない。むしろ、心地よささえ感じていた。それと共に、アーノイスは自分の前髪をおもむろに掴んで引っ張り、上目遣いで見る。自分では気づかなかったが、確かに彼女の髪も白になっていた。


「それで、どうするのアーノイスさん」


広げていた翼もあふれ出ていた霊気も収めながら、ゼヴァンサは唐突に聴く。


「どう……って」


自分は、女神に天化してしまったのだろうか。だから、ここに居るのだろうか。そこまで考え、表情を困惑から焦燥に変えて、アーノイスは後ろを振り返った。目に映すは、青い世界。


「チアキは!?」


思わず、叫ぶ。あまりに唐突に見知らぬ場に飛ばされてしまった事と、ゼヴァンサの屈託のない笑顔と態度と底知れぬ存在感に飲まれ、失念していた。あの、戦場に一人置いてきてしまった人のことを。


「戦ってるよ……ほら」


世界を目を凝らして見つめるアーノイスの前に、白い光の粒子が集まり、彼女の隣にたったゼヴァンサが手振りでそれを広げる。楕円の3メートルほどの窓になったそれは、あの崩壊した村の一部と、漆黒の魔狼、紅蓮の騎士、黄金の魔女の三人の姿を映し出していた。それは、紅槍に貫かれたオルヴスが、メルシアの結界に包まれた空間の中で太陽の如く燃え盛り、さらにグリムの大剣ともう一つの太陽を叩きつけられんとしている光景であった。

何故、どうして、あの三人が戦っているのか。状況が読めず、グリムの火炎に包まれたその窓の光景に呆然として、声をあげることすら彼女は忘れていた。その横で、ゼヴァンサは口を開く。


「アーノイスさん。貴女は、私を除いてはじめて女神の領域に足を踏み込めたただ一人の人。けど、それ故に人々の声に翻弄されて、自分自身を閉じてしまった」


また、ゼヴァンサが窓に手を翳す。と、場面が切り替わり、地上にある白い卵のような物体を映し出す。それは、折れた翼に己を隠したアーノイスの体であった。


「ここは、確かに貴女の居た世界からも見える月だけど、体は持ってこれない。そういう結界が張ってあるから。じゃないと、色んな人がきちゃうかもしれないしね。だから、今ココに居る貴女は魂だけの存在。そして、あそこにあるのはその抜け殻」


す、と何かを横に流すようなしぐさで窓の淵に触れるゼヴァンサ。すると、中の光景が時を高速でさかのぼりはじめ、場面はオルヴスが目を開かないアーノイスを抱いて瓦礫に座っているところまで戻った。正直、アーノイスには何が起きているのかわからないが、あまりに超上過ぎる現象に有りのままを受け入れる他なかった。


「彼は、貴女があの島……いや、村に居たいっていう約束を守り続けてた。でも、貴女がその場所に居ないことに気づいてしまったの。だから世界を壊すつもりらしい……それだけはさせないけど、その前に、貴女はどうする?」


軽く左手を握り、光の窓を消して、笑みを消した真摯な目で、ゼヴァンサはアーノイスを見た。アーノイスもまた、ゼヴァンサと目を合わせる。既にその目に戸惑いや驚きは見られない。全てがわかったのか、理解したのか、納得したのかといえば否であるが、そんなことを気にするよりも大事なことが、彼女には既に見えていた。


「……止める。私はここに居るもの。戻って、チアキを止めるわ」


「世界はあんなにも貴女を傷つけたのに? 死に物狂いで戦って、それでも守れなくて、守ったと思ったけど非難されて。逃げて、でもその場所さえも奪われて。それでも世界を憎まずに居られるの?」


ゼヴァンサの言葉に一切の感情は含まれていない。冷酷なというよりは平淡な、そんな声音と視線。それが恐らく、女神としてのゼヴァンサなのだろう、とアーノイスは理解した。


「違うわゼヴィ。世界を守りに行くんじゃない。私は、チアキにこれ以上そんなことして欲しくないだけ。それだけ」


アーノイスを護る。として、チアキは多くのものを失いそして壊してきた。その虚無感を、アーノイスは今の今まで感じられなかった、受け止められなかったのかもしれない。だが、先程ゼヴァンサが見せた映像の中の、チアキの瞳を見てわかったのだ。グリムの槍に撃ち抜かれていたときの、どうしようもない諦観の眼。アーノイスの抜け殻を見つめる、虚構のような光失った眼。不謹慎ながら、アーノイスはそれを嬉しく思ってしまった。必要とされているのだ、と。ならそれに応えなくてはならない。自分が彼を求めてきた以上、求められて応えない訳にはいかない。歪んでいるのかもしれない。でもそれで良かった。あんな目はしていて欲しくないから。ただその一心で十分だ。


「……肉体に戻れば、貴女は完全な女神では未だ無くなる。まだ、人の、鍵乙女の範疇に戻るし、声もきっと聞こえ続ける。その彼を止めた後、鍵乙女として生きるかどうかは好きにしていいよ。私には強制する権利はないから。でも、世界を壊すのだけは、全力で止めさせてもらうからね。それが私の役目だから」


「うん。大丈夫。戻ったら、また二人で静かな場所を探して暮らすから。勝手に居なくなったことをチアキが許してくれたらだけど」


女神としての言葉を受け、アーノイスも深く頷きながら返答する。一息、ゼヴァンサは溜息を吐くと、真剣な眼差しを和らげて、先程までの少女の顔になった。


「わかった。それじゃあ、私が送ってあげる。間に合わなくなったら、大変だからね」


言って、ゼヴァンサは翼を広げ、アーノイスに向けて片手を翳した。詠唱も何もすることなく、彼女の足元から生まれた光の扉が、競りあがってアーノイスを飲み込んでいく。


「メルシアに、よろしく伝えておくわ」


「あ、んー……遠慮しとく。会えないのに、伝言だけするのも切ないからさ」


小さく舌を出して、少しだけ寂しそうに笑うゼヴァンサ。確かに、彼女の言う通りかもしれない、とアーノイスは自分の軽率な発言を反省した。


「貴女の歩む道に幸あらんことを。アーノイスさん、頑張ってね。少しだけだけど、話せて良かった」


別れの言葉、とゼヴァンサが台詞を言い切ると同時、頷いたアーノイスの顔が競りあがる扉に包まれて、影も形も消えた。荒れた月の大地に立つは、女神の少女ただ一人。


「……大丈夫かな」


「相変わらず、心配性だねゼヴィ」


と、独白するゼヴァンサの正面より、闇から染み出すように一人の少年が現れた。黒い髪に黒い双眸の姿は、チアキのそれに酷似しているが、外見上は彼よりも2,3年下であろう。その顔にはまだあどけなさが残る。とはいえ、この場所に居る以上、千年は生きているのだろうが。


「シヅカ君」


「大丈夫さきっと。女神になるにはかなりの魂の強さが必要だけど、彼女は何とか耐えているようだし。チアキ君も、精霊の力をもろに受けてたようだけど、そんなんで死ねる程呪印交霊カース・イヴォルは甘くない。あれは、本当に呪いみたいなものだからね」


「そう……だよね」


突如現れ、微笑みを浮かべながら話す少年に比べ、ゼヴァンサに先程のような明るさは見えない。それでも、その少女の憂いを払拭するように、それでも何処か切なげに少年――シヅカは笑いかけた。

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