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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
十章 魔狼と乙女
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―狂気―

「いい加減目ぇ覚ましやがれ! 我侭ばっかり言ってる奴ぁ、一発ぶん殴ってお説教だコラァ!!」


「居場所を奪ったのは貴様らだ! その上、まだ彼女に何かを強いるというのか!!」


爆炎を纏い、宙へ飛び立つグリム。紅い光と黒い闇が交差する。焔も闇を互いを飲み込もうと荒れ狂いぶつかりあう。大気をも燃やし隷属させる鳳炎を、グリムは既に惜しむことなく発動していた。でなければ、飲み込まれる。一切の光なき深淵に。

とても片手では扱いきれぬと思われる長大な槍と巨大な剣をそれぞれ左手と右手に携え、グリムは戦う。突き出した槍が魔狼の肩を掠めた。そこから鳳炎が侵食しようとするが、掠り飛び火した程度の火では燃え広がる筈も無く、黒色の靄に喰われる。槍を出しがら空きになった左側の懐にもぐりこんでくる魔狼。と、グリムの槍が焔となって消えた。千年前に遺された魂の集合であるその槍であるからこそ出来る、業。ぐるり、と右回転し右手だけでもっていた大剣に左手が加わる。そのまま、円周の内側に入り込んでいた魔狼に叩き付け吹き飛ばした。剣と爪との衝突点には火炎が鎖のように続く、が魔狼の背より伸びた黒の腕がその繋がりを握り潰す。一方で、グリムも回転の間に迫られた魔狼の爪で背中を切り裂かれており、血が垂れていた。


「オルヴス、お前の言うお姫様の選んだ場所ってのは、こんな荒れた、誰もいねぇ場所なんかじゃねぇ。俺達教会がそれをぶち壊した。そうなんだな」


「そうだ。貴様らが奪った」


再び槍を左手に出現させ、前に突き出すように構え、右の大剣を担ぎながら、グリムは口を開く。オルヴスもまた、先程の一撃に痺れた腕に黒い靄を一瞬発生させてから、グリムを見据えた。


「そいつは俺らにはもうどうにもできねぇ。それをやった奴らは全員お前が殺してる。なら、これ以上お前は何を望むってんだよ。ここにずっと居れば、そのお姫様が居るっていった場所が還ってでもくんのかよ」


「失われたものは戻らんさ。この島も、村も、人々も……彼女もな」


言いながら、オルヴスは島を、足元の瓦礫を、そこにある真白き翼折りたたまれた殻を見た。全てを拒絶するような、隔絶の色。それがその内に居る人物の心の姿なのだろうか。


「何言ってやがる。お姫様はそこに居やがるじゃねぇか」


「僕は彼女に触れられる。だが、それだけだ。何も届きはしない。何も返ってこない。霊覚を使えばわかる筈だ。そこにあるのは彼女の抜け殻だけ。魂は、感じられない」


言われ、グリムは霊覚をその白い彫像へと向ける。確かに、眼には見えてもそこにはなんら微弱な霊気も感じられなかった。感じられることを拒んでいるなら、そこに“何もない”穴が生まれる筈だが、それもない。


「じゃあ何か。お前はあの見えるだけのお姫様が、ここに居れば良いって言ってんのかよ」


「……そうだな。そうかもしれん」


「おい、オルヴス。お前が護るっつってたのは約束をか? それともお姫様をか?」


「どちらもだよ」


平然と言い放つオルヴスだが、グリムは呆れたように、吐き捨てるように鼻で笑った。オルヴスの無感動であった満月の双眸に、冷酷さが宿る。


「お前、思ってたより馬鹿だったんだな。呆れたぜ」


言いながら、グリムは構えを解いて、自然体で宙に立つ。あまりに隙だらけだが、突飛な彼の言動に面食らったように、オルヴスは眉をひそめるだけで動かなかった。グリムが、言葉を続ける。


「お前はお姫様を護る。で、その約束も護る。ところがどうだよ。護ってたはずのお姫様は本当はここには居ないっぽいんじゃ、“ここに居る”なんて約束もへったくれもねぇだろ。お前がここに居続けて戦ってたことになんてな、何の意味もねぇよ。んなことにも気づかなかったのか?」


数秒という時が沈黙で過ぎた後、突然、オルヴスは笑い出した。声をあげ、構えをとっていたことも忘れ、近くなっている天を仰いで、声高々に笑い始める。壊れたように笑うその青年の姿を、グリムは神妙な面持ちで見つめていた。馬鹿笑いは、不意に止む。


「ハハッ……そうか。そうですね」


乾いた声でそう呟くオルヴス。先程の殺気に満ちた雰囲気とはうって変わって、その表情は薄ら寒い微笑みを浮かべていた。


「そうか……何の意味もない、か」


物静かな声音に、グリムはオルヴスが普段の、グリムの良く知る姿に戻ったのだと息を吐く。だが。そんな安穏は一瞬も持たなかった。音も無く、それは現れた。場所は、オルヴスの背後、2メートル程か。人の背丈を三倍ほど越えた一枚の板。それは、金属に似ているが何処か有機的な材質で構成され、全面に渡って曲がり捩れた歪な文様の描かれた、この世ならぬ存在。"門”。


「なっ」


驚きに声をあげるグリム。彼が聞き及ぶ限り、世門以外の門は全てエトアールの亡霊によって破壊されていた筈だった。ならば何故、それがこんなところへ突如として出現したのか。思考を総動員しても、その理由の欠片すら彼にはわからなかった。


「礼を言いますね、グリム。どうやら僕は馬鹿だったようです。彼女が居たいといっていた居場所は既に失われ、彼女自身ももはや抜け殻しかこの世界にはない。本当に、何の意味もない……ならば」


両腕を広げるオルヴス。全身から、黒い靄がまるでグリムの扱う劫火の如く噴出する。その眼は、先程を遥かに上回る狂気を宿していた。


「全て、壊してしまおう」


独りでに、門が開いた。世界と擦れあうように異様な音を立てて開くそれに気を取られ、グリムは眼前に迫った魔狼への反応が一瞬遅れる。一切の遠慮なしに突き出される闇纏った右手を、咄嗟に展開した鳳炎と交差した剣と槍で防ぐが、それは直撃を防いだだけで、衝撃に地表へと叩き落された。


凋落ビューファー


咄嗟に下で待機していたメルシアが霊術を用い、大地に叩きつけられそうなるグリムを、金の霊光で象られた円のゲートに捉え、勢いを減退させる。それにより体勢を立て直したグリムはなんとか着地した。


「悪い。助かった」


「気にするな。それよりも」


二人共々、空に立つ門を背負った魔狼の姿を見つめる。門は既に完全に開き切っており、その内の闇から溢れる黒が魔狼へと絡み付き流れていた。そのままで、彼はゆっくりと高度を下げ、地面より数メートル離れた場所で止まり、その冷たい双月でグリムとメルシアを映した。


「オルヴス。その門は一体なんだ」


黒いなにかが纏わり続け、より一層の禍々しさを増した魔狼の姿にも臆せず、メルシアは問う。


「知る必要はないでしょう。とは言っても、僕自身よくわかっていないのですけどね」


しかし、答えは実を得ない。変わって、今度はグリムが口を開いた。


「全部壊すってのはどういう意味だ? さっきと言ってることが全然違うんじゃねぇのか」


「もはや語る必要はない。この世界はもう僕にとって意味がない。死のうにも、僕は呪印交霊のせいかこの門のせいか知りませんが死ねない。ああ、なんだったら殺していただけますか? 出来るなら」


嘲り、に見えてそれを本気でオルヴスは言っていた。以前、エトアールの亡霊との戦いで、鍵乙女の血によって創られた刃によって貫かれても、彼は戻ってきた。もう一度あの状況になれば、恐らくは死ねるだろう。だがその刃は既に失われ、同じ力を持つアーノイスは既に居ない。いや、居れば死のうなどとは考えない。どちらにせよ、今の彼には死ぬ術もなかったのだ。


「……いいぜ。そんなに死にてぇんだったら、やってやるよ!」


『其の意 逃れられぬ 牢獄を』


激昂したグリムが、両手を広げ十字架に磔られた罪人のように立つオルヴス目掛け、槍を投げた。鳳炎を撒き散らしながら、吸い込まれるように胸の中心へと突き刺さる紅い槍。勢いは止まらず、通り道を一本の炎柱とかしながら、斜め上空に魔狼をその背にある門ごと突き上げて行く。その後ろを、大剣を両手で携えたグリムが続いた。槍が世界にある霊気を引火させてつくる炎柱を、その器に纏わせ、吸収させていく。刀身はもはや赤熱化を超えて、太陽のごとく光り輝き、夜を余すことなく照らす。合わせ、メルシアの心唱と共に呼び起こされた百節棍(セラピード)が天目掛けて突き進む二人を遠間から囲うように伸びる。爆発するように荒れ狂う霊力が、世界を傷つけぬよう覆う結界だ。

オルヴスは、無感情に眼前の光景をその満月の瞳に映していた。痛みは、ある。槍の刺さった箇所から、全身を焼き焦がされるような感覚を、ただ噛みしめる。彼の身体からは、黒い闇の靄に混じって、真紅の火炎が噴き出していた。魔狼の瞳(フィル・アイトニル)により霊体化された身体が、鳳炎に引火させられているのだ。身体そのものが燃える感覚は、チアキとしての死を迎えたときに味わった蒼い炎に近いが、その熱量は比べるのも愚かしい程に段違いだ。だが、それでいて尚、彼は眉一つ表情を変えない。無のままで、炎柱を全て集め、肉薄してきたグリムをただ見ていた。彼の手が、槍にかかる。オルヴスの全身が、さらに鳳炎包まれ、グリムの持つ大剣と同じく太陽の光輝を放つ。


回帰する因果(サレンダー)


その数瞬前に、メルシアの結界が完成する。逃れ得ぬ懺悔(シン)と酷似した球で対象を大空ごと囲む百節棍の術陣は、内の空間で霊力を流転凝縮する結界。


「さよならだ。チアキ=ヴェソル=ウィジャ」


告げられる別れの言葉。返事は、ない。

輝きに包まれた空間の中で、二つの太陽がぶつかり、夜を焼き払った。


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