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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
十章 魔狼と乙女
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―バーン―

歯車と剣の要塞が落ちて行く。門より現れた巨狼の顎に捕まり、大地へと叩きつけられて、衝撃は島全体を揺るがし海に外側への津波を引き起こしていた。

その光景を、アーノイスはただ呆然と見ていた。ウォルドの家のある丘の、坂道の頂上に佇んで。もう涙も果てて、両頬に痕だけが残っている。瞳の色は暗く、光を失っていた。意識はあるのだろう。唇だけは固く結ばれている。先程までうるさいくらいに響き続けていた霊魂の声ももう聞こえない。だが、そのせいで、彼女の耳はあまりにも鮮明に、戦場の音を聴いてしまう。彼が、たった一人戦っている場の音を。本当ならば、彼に着いて行きたかった。戦いたいわけでも、奪われてしまった親しい人々の復讐をしたいわけでもない。ただ、こんな事態になってしまっても、いやこんなことになっている今だからこそ、彼の傍に居たかった。それだけ。どうして、何故、と疑念と哀しみだけが頭を巡る。何故この村がこんな目に合わなくてはならなかったのか。どうして、自分は静かに生きていくことすら邪魔されてしまうのか。それも、本当はわかっている。頭の片隅で、自分が鍵乙女に選ばれてその使命を放棄した報いなのだ、と理屈づけることは出来ていた。しかしそれを、そうか、と納得し懺悔する気には到底なれるものではない。失ってしまった、奪われてしまった。果たしてこれは何度目の喪失なのだろう。どうしようもなく、世界は理不尽だと、枯れた涙に悔やむ。そうして行き着く願望は、自身の消失。こんな気持ちを味わうくらいなら、はじめから自分など居なければ良かったと。愛した人にも戦いを強いるような己なら、存在していなければ良かったのにと。

音もなく風もなく、アーノイスの水色の髪は根元のほうから純白に色を変えた。鍵乙女から女神への天化。静かに、その背に翼が生える。広く広く広げられた両翼が、緩やかに折れ曲がり自身を包み込んでいく。白に包まれ行く視界の中で、彼女は膝をつき、両手を合わせて目を閉じた。






「う、ぐ……」


焦点定まらぬぼやけた視界。立っているのか倒れているのかもわからないほどに、狂わされた感覚の中、スティーゴは呻いた。神意の剣が黒い何か大きなものと共に落ちてきたところまでは覚えていた。その後、バーンに引き摺られ動かされて全身に強い衝撃を感じた。体がばらばらになるのではないかというほどのそれに、彼は一時意識を失っていたのだ。だんだんと、視界が元に戻っていく。地面が近い、どうやら自分は倒れているようだ、と全身に傷めているところがないか気を使いながら、無事体を起こしたところで、彼の視界はどうにか安定を取り戻す。

そこには、死屍累々の大地が映し出されていた。

はっ、と息を呑む。自分の前方に広がる、砕けた騎士たちの屍骸。恐らくは、先程の衝撃に晒されて散ったのだろう。それほどまでに激しい威力だったのか、と生唾を飲み込む。屍骸を越えた向こうに、罅割れた巨大な剣が、斜めに天を向いているのが見える。周囲には、歯車や銀の核の破片もあるようだ。しかし、さっきみた魔物の姿は、ない。徐々に戻ってきた全身の感覚を確かめながら、ゆっくりと立つ彼の肩に、一つの大きな手が置かれ、中腰のまま動きを制した。


「隊長……?」


見上げる手の先には、見慣れた男の横顔。いや違う。彼の見慣れている翳刃騎士の隊長は、こんな険しい表情などしていなかったと、頭を振った。眉間に皺寄せ、眼光は鋭く研ぎ澄まされて彼方を睨んでいる。真一文字に結ばれた唇が、ゆっくりと開いた。


「後は俺がやる。お前は寝てろ」


有無を言わせるつもりがないのだろう、強い語気と言い切り。だが、スティーゴは食い下がった。


「何言ってるんですか。アンナさんも、ガガさんもやられてしまった。敵討ちなんて言いませんけど、今何もしなかったら二人に申し訳が――」


彼の言葉は、地面に落ちた手斧の重たい音に遮られる。自らの武器を落とした、とバーンの足元に目線が向かう。その視界が、突如揺れた。肩からなくなった力強い温もりと共に。

鳩尾に食い込むバーンの固い拳。


「なっ、にを……!」


抗議をどうにか吐き出すスティーゴだが、もう体の自由は利かず、膝を着いてしまう。その様子を見ていたバーンが、非情にも背を向けた。


「あいつらへの申し立ては俺がやる。お前は少し……寝てな」


バーンが歩き出す。武器も持たぬ手で。確たる足取りで。薄れいく意識の中で、スティーゴは片腕を伸ばすのが精一杯だった。







じゃり、じゃり、じゃり、と荒れた大地を一人の男が歩む音だけが響く。万を越える命にざわついていた空気も、今や静かなもの。明かりは、天に座す月のみ。バーンはやがて、神意の剣の残骸の元へと辿り着いた。まるで、空に掲げられた剣のように佇む罅割れた白黒の巨剣。元のほうが地面に刺さっているからなのか、他の残骸に立てかかっているだけなのかは、あまりに地面や残骸が散らばりすぎてよくわからない。と、剣が揺れる。かたかたと震える音がしたと思えた矢先、爆発が起きたように、剣の根元が吹き飛び、轟音と地響きを共に巨剣が倒れて砕け散った。バーンは、剣の有様を見ない。ただ一点、その根元があった場所を見る。


「……生きていたか」


「そりゃこっちの台詞だぜ、従盾騎士サマ」


残骸から這い出てきたのは、一匹の魔狼。煤と血に汚れ、所々破けた衣服。一見満身創痍だが、その満月のはめ込んだような双眸に、一切の疲労は見えない。


「ま、こっちっつっても、残りは俺一人だけみたいだけどな」


おどけて両手を広げて見せるバーンだが、魔狼も、そして言葉発した本人であるバーンも瞳は笑っていない。す、と広げた両腕を収め、コートの袖から腕を抜く。と、彼はその紫の上着の肩に右手をかけた。


「……俺はよ、従盾騎士。面倒ってのが嫌いでな。翳刃騎士になったもの、掲剣騎士みたいに集団行動とか雑務とかしなくていいと思ったからなんだよ。強いフェルと戦って、勝てば後は何でもいい騎士だからな」


自嘲気味に、バーンは語りはじめる。


「別にフェルに恨みもねぇし、教会に恩だとかを感じてるわけでもねぇ。ただ倒す敵を示されて、その通りにそいつをぶっ殺せばそれでOK。部下の仲間も強ぇし、特に文句はなかった」


コート掴む右手に力を込めて、彼はそれを脱ぎ捨てる。風を受けて舞い、ひらひらとそれは地面に落ちた。


「今回も、そんな心積もりで来てたわ。気乗りはしなかったけどな、別に拒否る程の理由もなかった。それが気づいてみれば俺一人だぜ。ったく面倒くせぇったらありゃしねぇ」


でも、とバーンが両手を握り開く動作をはじめる。


「ま、俺が本気だすなら一人のほうがいいんだわ。見境なくなっからよ。っと、こんな語りはどうでもいいか?」


「ああ」


即答だった。面食らったと、バーンは少々笑いを押し殺したが、すぐに収めて全く表情を変えない魔狼を見据えた。


「悪ぃ悪ぃ。ようは仕事なんだわ。だからよ、恨むなよ。久々に本気だすけど……恨まれんのは、面倒だからよ」


開く閉じるを繰り返していたバーンの両手が一際強く握られる。同時、彼の内包していた霊力が爆発的に高まり、体の周囲に陽炎が起こる。空間の揺らぎだ。力強く、頭上で両腕を交差し、引き抜く。


「ガアアアアアァァアァァアアアアアア!!」


霊気の爆発と獣の如き咆哮が辺り一帯を破砕し吹き飛ばす。衝撃に巻き込まれぬよう、魔狼は後方の中空に飛んで難を逃れた。ただの咆哮と霊気の解放だが、それでも当たればただでは済むまい。それだけの霊力と威圧がそこにはあった。


「翳刃騎士が隊長……いや、兇獣バーン、か」


兇獣。理性というリミッターを意図的に外せるバーンの、その本気の戦闘をかつて見た誰かが、まことしやかに囁いた彼の噂からつけられて二つ名。戦闘本能の赴くがままに、動くもの全てが消失するまで破壊の暴力を振るう、魔獣。

宙に逃げ距離をとった、と思っていた魔狼の目論見は甘すぎた。地面を蹴り突貫したバーンの拳が、横っ腹にめり込む。通常、人間は戦う際に距離を重視し、相手に肉薄し攻撃する際は、一瞬の溜めを持つ。それは、近づいてから相手の何処に攻撃するかを見極めるからだ。だが、獣であるバーンにその思考が入り込む隙はない。愚直にただ単に、動くそれに攻撃を当てて破壊するのが目的だ。擦れ違い様の一撃などという思考でもない。ただ真っ直ぐに向かい、ただ壊す。そこに狙いなどというものは必要ない。一度で壊れなければ二度、二度でも耐えられれば三度、四度、百度千度と攻撃を加えればいいだけの話だからだ。

地表へ向けて魔狼が殴り飛ばされる。隕石の如き速度で叩き飛ぶそれに、バーンは同速度で追い縋り、地面へ魔狼が激突するのにほぼ同時に再び突撃繰り出す。二つの影は巻き上がる粉塵よりも早く、再び空へ向けて飛び出した。兇獣が飛び掛り、魔狼が反撃を加える。空を所狭しと駆け回る二匹の獣の応酬。魔狼の方があまり動かない分、防戦一方にも見えるが、その実は互角だ。愚直に拳を蹴りを頭突きを繰り出すバーンの攻勢を紙一重で裂け、爪を振るって肉を裂く。バーンもまた、ただ肉を裂かれるだけでなく、一つの動作を避けられたというのに他の部位で無茶な動きをして魔狼に一撃を浴びせる。バーンの遠慮のない突進とともに繰り出されるけたぐりを、体を捻って滑り込ませるように裂け、爪で背を裂く。その魔狼の顔面を、バーンの右腕が裏券で捉え吹き飛ばした。吹き飛び吹き飛ばされを繰り返しながら、二匹の獣が戦場を駆け回る。二人に障害物などは存在しない。それが神意の剣の残骸でも騎士の死体でも地面でも同じこと。近づいたものを全て壊し、戦場を荒地にその他のものを破壊して無へと。

理性、精神というものを放棄した不屈の存在と、生物というものの有り方から外れたところにある存在、互いに普通ならば致命傷の攻撃を受けていたとしても、それで止まることは愚か動きが鈍ることすらない。本能の根幹たる魂が支配するバーンの体は、例え腕の腱を切り裂かれていたとしても、魂の力が霊力がそれを無理やりに動かしている。また魔狼は、その身自体が霊塊であるが故に、死に直結しない体の損傷は然したる問題にはならない。もはやそれは戦いと呼べるものではない。魂の削りあい、喰らい合いだった。

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