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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
十章 魔狼と乙女
153/168

―傍―

そこに居て良いのかどうか。自分の居場所の確保というのは酷く大変だ。他人からの認証、自分自身の意思。そこに存在することでの利点、欠点、収益、損失。そこには色々な要素があり、妥協や我慢や思考停止も織り交ぜながら人は自分の居場所を決める。

教会というそれまで居た場所を投げ出してから、アーノイスはずっと求めていたのだ。己の鍵乙女という付加価値を必要としないそんな場所を。失踪の中で、一度故郷ロロハルロントに帰ろうかと思ったこともある。それをチアキに伝えればそうすることは出来たであろう。だが、あまりにもリスクが大きすぎた。ロロハルロントは教会と大きな繋がりがある。その上、彼女は気づいてしまった。その場所に、自分を、アーノイスをただ受け入れてくれる人物は恐らく一人くらいしかいないだろうということを。そうすれば間違いなく、その一人に多大な迷惑と心労をかけることになる。それは避けたかった。そうして流浪の内に辿り着いたのが、この島であった。鍵乙女も門もない、小さな孤島。外界とは隔絶され、人々は島と周辺の海から得られるものだけと自分達を用いて日々を生きている。その生活は、数日も住めばどれだけ大変かがよくわかった。元々王族でもあり、下々の生活というものに疎いという面もあるのだが、少なくとも彼女がこれまでの人生で訪れた村や町に、フェルという死の災厄隣合わせの上での活気というものは感じてこなかった。アーノイスは、この島とそこに住む人たちのことが好きになっていた。ここは誰もが、生きることに精一杯だ。その背面には、いつ迫るとも知れぬ死があるのだが、それを皆の力で回避する為に力を合わせ戦っている。誰かに頼り切るのではなく、自分と隣人の為に生きるための戦いをする。故に彼らは隣人を厭わず、誰にでも笑いかける。それこそ、人間という生き物の性質上、いざこざくらいの事はままあるが、恐らくそれに裂いている余裕がない故か、深刻なものは早々ない。一人では生きていけないから、隣人に手を差し伸べるのを躊躇わないのだ。打算でもなく、当然の事として。それが絶対的に正しいのだと、アーノイスに言い切れはしない。だが彼女は、その有り方が好きだったのだ。

そして決定的だったのは、昼間のマリーの台詞。きっと老婆は深い考えもなくそう言ったのだろう。なんとなく、話の流れで。ここに居てもいいと。居て欲しい、と。


チアキに胸のうちの想いまで吐露してしまったアーノイスは、何処か憑き物が落ちたような気分だった。だがまだもう一つ、彼女は確かめなければならないことがあった。


「ねぇ、チアキ。もし私がずっとここに居たいって言ったら、貴方も一緒に居てくれる?」


一息に吐き出すように言ってしまってから、アーノイスはずるい質問だなと卑下する。一緒に居て欲しいと、そう言えば良い。聴きたい答えは変わらないのに、その答えを全て相手に委ねているような、そんな聴き方しか出来ない自分を恥じた。

そう、アーノイスは思ったのだ。幼い頃の一時と、数年前から今の今まで共に居てくれた存在。だがそれは、お互いが鍵乙女と従盾騎士という役割だったからではないか。事実、門無き今鍵乙女に出来る事は無く、あのアヴェンシスでの一件の後は街に下りて復興作業の手伝いなどは愚か、ろくに人前に姿を現すことなど出来なかっただろう。彼はそれを知っていたから、従盾騎士として、誰も鍵乙女を知らぬ非難せぬ場所に連れて養生させにきたのではないか、と。考えれば考えるほど、嫌だ、と全身が否定の意を唱えるようだ。だからか、アーノイスは勢い込んで聴いたものの、すぐに顔を伏せて両手を握り締めてしまった。一分が一秒が辛い。気づけば喉も唇も乾いて痛い。


「そんなに震えなくても大丈夫ですよ。アノ」


声は突然に。優しくアーノイスの怯えを取り去った。


「貴方が許す限り、僕は貴方の傍に居ます」


言葉と共に、チアキは肩に寄り添うアーノイスを強く抱き締める。どんな台詞よりも雄弁に。押しつぶす程に。

腕の中で、アーノイスは目を閉じ安らかな顔をしていた。少し痛いくらいの抱擁も、硬い胸板も匂いも全てが心地よかった。ああ、とアーノイスは心の中で噛み締める。暖かい。熱いくらいに。でも嫌じゃない。このままで居たい。失いたくない。そうか、これが愛するということなんだ、と。今までに幾度なく感じてきた安堵感を、また新たな気持ちで彼女は享受していた。

数分は続いたであろう無言の抱擁を、チアキが止める。離れて少しだけ寂しい表情をしたアーノイスだったが、チアキと眼が合うと共に頬が紅潮してバッと居住まいを正した。そうしてから、今更このくらいで恥ずかしがることはないんじゃないかと思い返し、それでも一端姿勢を整えてしまった以上また戻るのも気恥ずかしく、結局元の肩を借りる体勢に落ち着いた。これで十分なんだなと妙に納得する。


「なんだか丁度いい高さね、これ」


枕にしてしまっているチアキの肩に、心地よさそうに頭を再び押し付けるアーノイス。余程気に入ったらしく、そのまま時間が流れるのを楽しんでいた。


それは確かに、幸せな一時であった。二人は最初にあった頃の、レラの高台での事を、言葉交わすとも互いに思い出していた。今二人の間に流れる時の感覚はそれに近いような気がして。あの頃はお互いのことを殆ど知らなかったから、ずっと話していた。他愛のない事を、話し、聞いて。だが今はもうそんな必要もない。全てを知っているという程二人は傲慢ではないが、必要なのはそんなものではないことをお互いに知っているから。怖いのは、この時が終わりを告げるその瞬間だけ。

だが。得てして邪魔というのは然るべきに入るものである。


先に反応を示したのはチアキであった。安らぎに満ちていたはずの表情が、一片し、真っ直ぐ前を、暗い森の向こうを見据える。いきなり立ち上がった彼に少々の動揺を見せたアーノイスだったが、彼女もまた彼の視線を追って霊覚を飛ばし、気づいた。森を抜けた先、山を下った島の端の海岸に感じる強い、霊気。けだものの荒々しさを隠そうともしないそれは、二人のどちらにも向けられているわけではないが、ただそこにあると主張していた。意識していない筈の彼らが思わず気づいてしまう程の濃さを持って。


「行きましょうチアキ」


先に踏み出したのはアーノイスであった。その目に宿る光は決意に怒りが一滴混ざっている。居場所を守るため、至福の一時を壊された想いを胸に、彼女は飛ぶように森の中へ飛び込んだ。チアキもそれに続く。方向感覚の鈍りそうな鬱蒼とした森だが、二人が向かう先を間違えることはない。変わらず、邪魔者はそこに存在しているのだから。

地面を木々を蹴り枝葉を掻い潜って一分もしないうちに二人は森を抜けた。断崖絶壁の海岸。木々はなく、草花だけがあるその場所に、それは居た。


「おう。早かったな」


それは、獣でもフェルでもない。


「取り合えず纏霊しとけば向かってくるだろとは言われてたけどな。まさか本当に真っ直ぐ、それも二人まとめて来るとは思ってなかった」


淡々と喋りはするものの何処か気の抜けた雰囲気。月光でなく太陽の下であれば目をさしたであろうビビットの紫コート。


「貴方は……」


チアキが問う。無造作に掻き揚げられたような形の茶髪の下、やる気のなさそうな眉尻の下がった目と、視線が絡んだ。


「久しぶり、ってか。従盾騎士。そして鍵乙女サマ」


翳刃騎士団長バーンが、そこには居た。

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