表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
十章 魔狼と乙女
150/168

―安穏―

朝日に照らされながら、小さな鳥が羽ばたく。青い毛並み美しいそれは、二羽の番となって青空を羽ばたき、木々の天辺をしばしなめるように掠めたのち、白木で出来た一階建ての小さな民家の窓へ止まった。開け放たれている窓の枠に頼りなさそうな二本の足で立つ二羽だが、囀りとともに軽やかに窓枠の上をステップする。そんな鳥達の前へ、屋内から一人の半裸の青年が近づいていた。小鳥達を彼が近づいても逃げることなく、まるで待っていたと言わんばかりに羽をばたつかせて首を向けている。そっと青年が指一本だけを伸ばして近づけると、そこに二羽は同時に乗った。そして、その前に小さじ一くらいの細かな穀物を乗せた手が近づいていく。小鳥達はそちらに飛び乗るかと思いきや、思いのほか行儀良く、青年の指を足で掴んだまま、その餌を頬張りはじめた。仲良く、片方が加えては離れ、そこにもう片方が首を突っ込み、と妙に統制の取れた動きをする仲良き二羽を見ながら、青年は微笑む。やがて、手の中の餌がなくなると、小鳥は同時に彼の指から降りて窓のサッシへ戻った。そのまま何処かへ飛び去って行かないのきっと、彼に慣れ親しみすっかり餌付けされているからだろう。青年はズボンのポケットからハンカチを取り出し、手を拭きながら振り返った。六畳程度の狭い部屋。あるのは人も通れるくらいに大きく開く、今小鳥達のいる両開きの窓と、その手前の丸テーブルと二つの鉄組の細い椅子。それと窓の反対側にある、大の男でも一人で寝るには少し大きいだろうベッドだけ。床に麻袋のようなものと、テーブルの上に飲用水を入れた水瓶と二つのコップと小鳥の餌が入った小包ぐらいはあるが、そのくらいだ。家全体に白木が使われているが、それは古く、所々剥がれて茶色が覗いているが、不思議と不潔さはなく、それはそれで味があった。

暫しの間、青年は小鳥と共に窓に腰掛けていたが、やがて立ち上がり、ベッドの方へと歩み寄っていく。寝る、わけではない。ベッドの中には既に先客が居たからだ。真っ白なシーツを身に纏い、壁側に寄って青年の方に顔を向けながら、安らかな寝息を立てている少女。乱れた水色の髪が顔にかかり、少しくすぐったそうにたまに身じろぎしている。シーツも肌も白い為若干分かりづらいが、シーツは腕までにしかかかっておらず、少し寒そうだ。伸びた青年の手がシーツにかかり、掛けなおそうとするが、いやいやと止まった。起こそうとしているのに、戻してどうするというのか。トントン、と青年の手が少女の肩を叩く。


「朝ですよ。起きてください、アノ」


薄っすらと開く藤色の眼が、微笑むチアキを移した。






大海にぽつりと浮かぶ、四十五キロ平米程の名も無き小さな島。全方を海に囲まれ、大陸も見えぬ孤島。亜寒帯で穏やかな気候のそこは、樹木の発達もよく、自然生物の種類も多様であり、また千人弱の人間がそこでは生活していた。

世界には、門の加護を受けれぬ場所というものが存在している。世界の全てを包むようにと初代鍵乙女達は五つの門を据えたのだが、足りなかった。ここ近年になってようやく、門の効力が及ばない場所が世界にあと四分の一程残されている事が、教会の上層部には知れ渡っている。この島も、その門の加護が受けられぬ場所の一つであった。


「おはようございます」

「おはようございます」


寝起きの姿から、きちんと身支度を整えたアーノイスとチアキは、部屋を出て同時にそう口にした。


「あら、おはよう」


真っ先に帰ったのはゆっくりとした口調の老婆の声。部屋を出てすぐ右手にあるキッチンの方で、朝食を作りながら、桜色の割烹着を着た少しふくよかなお婆さんが優しそうに笑って二人を見る。


「おはよう」


続き、老人の声が返る。綺麗に剃られた禿頭の、少しくたびれたベージュのスーツに身を包んだ老いた男性が、キッチンの前、六人くらいでも囲めるだろうダイニングテーブルにつき、虫眼鏡片手にテーブルに置いた本を読んでいた。


「もうすぐ出来るから、座ってて頂戴」


はい、とまた二人は揃って返事をし、チアキは老人の正面に。アーノイスはその隣に着く。一分もしないうちにお盆に老婆の作った朝食が載せられて運ばれてきた。受け取って、食器をテーブルに並べていくアーノイスとオルヴス。今朝は香ばしくもほんのり甘い香りのスコーンと、ベーコンエッグに瑞々しい色合いのサラダだ。老人も読書をやめて、隣の椅子に本と虫眼鏡を置き、老婆はその反対の席についた。


「いただきます」


と誰からともなく手を合わせ、食事に取り掛かる。アーノイスがいち早く、テーブルの真ん中に置かれていた黄色、赤、小豆、乳白それぞれの色の四種類のビンのうち、小豆色と乳白色のビンを取る。その様子を見る老婆がにこやかに笑っていた。


「アーノイスちゃんは本当にそれ好きねぇ」


「はい。大好物ですから」


答えるアーノイスの顔も朗らかだ。ビンの中身は無論、アンコとバターである。二人がこの家に世話になるようになってから、置かれるようになったものだ。中身はチアキのお手製である。


「わしはやっぱ蜂蜜じゃのう」


スコーン片手に、老人もまたテーブルの上の黄色のビンを取った。老婆も続いて赤色のビンをとる。中身はトマトのジャムだ。因みにチアキはスコーンを何も塗らず、既にそのまま齧っていた。遠慮しているわけではなく、それが好きなんだとか。

数ヶ月程前。嵐の晩に、チアキとアーノイスはこの二人の老夫婦に出会った。村のある方と反対側の岸い辿り着いてしまった二人は、村引いては港から一番遠いこの家に着き、一晩泊めてくれないかと頼み、夫婦はそれを快諾してくれた。旅人がくるなど数十年ぶりのことらしく、何処から来たのか、何処へ行くのか、と老人は興味深く聞いた。しかし、何処からかは言えず何処にも当てはないとチアキは答える。そこで、老婆が言ったのだった。行く宛がないなら、決まるまで居てもいい、と。どうせ寂しい老人二人暮らしで部屋も余しているから、と。

そうした経緯があって、既にかなりの日数が経つ。ようやっと、チアキとアーノイスもこの生活に慣れ親しんできたところだ。


「チアキは今日は何するんだ?」


「今日は昼から大工仕事ですね。リグさんの家の改修工事だそうです。奥さんの足が弱ってきたから、二階を潰してしまうそうですよ」


「そりゃまた結構な大仕事じゃのう」


チアキは、村における便利屋のような仕事をしていた。若く体力のある人材なので、人手が足りない事などに借り出されてその手伝いをする。持ち前の要領のよさも手伝って、今ではそれなりに頼りにされる存在となっていた。とはいっても小さな村のこと。仕事がないときもあるので、そんな時はアーノイスと共に家事に勤しんだり、森の中へ狩猟採取に行ったりもする。


「マリーさん、納屋の干物、そろそろ良いんじゃないですか?」


「ええ、そういえばそうだったわね。後で取りに行きましょう」


アーノイスは老婆――マリーの家事手伝いが主だ。掃除や洗濯など、日常的に行うものの手伝いをしている。料理だけは、最初に手伝ったときに指先をしっかり包丁で切ってしまい、マリーが止めさせている。「老人の楽しみを奪っちゃ駄目よ」と笑って。


「どれ、わしはそろそろ行くかいの」


そんな普段通りの朝の会話をしているうちに、老人が席を立つ。彼の仕事は村の纏め役、そう村長だ。


「行ってらっしゃい」


「お気をつけて、ウォルドさん」


ウォルドと呼ばれた老人は片手を上げて見送りの挨拶に答えると、居間を抜けて家を出て行った。少しして、キッチンの向かいとなる大きく開いた窓から、悠々と村の方へ歩いていく後ろ姿が見える。スーツとおそろいのベージュのハットがトレードマークなんだとか。


「マリーさん、キッチンお借りしますね。紅茶でよろしいですか?」


言いながら、チアキが空になった食器を持って席を立つ。食後のお茶を淹れるのは、早朝からの仕事がなければ彼の日課であった。ウォルドはいつも食前にコーヒーを飲むので、大体、こうして彼が仕事場に向かってからがちょうどいい時間である。


「ええ。いつもありがとう」


「お願いね」


「はい」


水瓶からヤカンに水を移して調理台に置く。乗せたものを加熱する呪術が掛けられていて、ものの一分弱で水が熱湯に変わる。こんな辺鄙(と言っては失礼だが)な場所にも、術はしっかりと人々の生活に根ざしているものだ。台所の下が扉つきの収納スペースになっていて、そこからティーポットとカップ、茶葉を取り出し準備する。それなりの日数を過ごしているので、勝手知ったるといった具合だ。すぐに、居間全体に紅茶の香りが広がっていく。出来上がった三つのカップとまだ残りのあるティーポットを両手指を器用につかって食卓に運ぶ。風もあまりなく天気も良い。聴こえるのは葉擦れの音色と鳥の声だけ。


「あら、これいつもと違う葉ね」


と、口元に紅茶を運びかけたアーノイスが言う。ああ、とチアキは言われて思い出したように反応した。


「昨日の仕事終わりに頂いたんですよ」


「ふーん。ちょっと苦味が強いけど良い香りだわ」


一口飲み、そう感想を述べる。少し口角の上がる少女の顔を見ながら、チアキは安堵の笑みを浮かべていた。小さな変化を楽しむ。それが如何に幸せなことか。


「それにしても、二人とも会った頃とは想像もつかないくらい、なんていうかーそう。笑ってくれるようになったわね」


「そう……ですか?」


言いながら自分も笑みを絶やしていないマリーに、少し照れ笑いをしながら返答するアーノイス。戸惑う眼が泳いでチアキを見る。と、彼はどういうわけか、妙に驚いた顔をしていた。


「どうしたの? チアキ」


何かあったのかと不安になったアーノイスがチアキに問う。なにかあったのだろうかと。ふと不安がアーノイスの顔を曇らせる。それを察し、チアキは慌てて口を開いた。


「あ、ああ、いえ。大した事では」


「チアキちゃん」


取り繕うようなチアキの台詞を、マリーは少し強めた語気で遮った。相変わらず、優しい瞳をしているが。


「年寄りにはわかるのよ? 貴方の笑顔が本物か、偽者かくらいね。アーノイスちゃんに笑いかけるのはずっと本物だったけれど、私達には暫く愛想笑いだったわ。アーノイスちゃんはずっと暗ーい顔だったし」


「……お恥ずかしい、限りで」


「右に同じく……」


そんな風に見抜かれているとは露知らず、突然告げられてアーノイスとチアキは二人して羞恥に下を向いてしまった。その様子も微笑ましいと、マリーは皺を一層深めて目を細めていた。

そんな折。


「おーい! チアキの旦那は居るかー!」


窓の外、村へ向かう坂道の頂点辺りから、男性の大声が室内に飛び込んできた。その声は切迫していて、一聞で何かがあったとわかる。紅茶もそこそこに、チアキは玄関から外に飛び出して行った。


「どうしましたかソドさん? そんなに慌てて」


チアキよりふた周りほど年上だろう男性、ソド。猟師を生業としている彼は、その職業柄それなりに屈強な体格をしており、村の中でも頼りになると知られている人物である。しかし、その彼は今肩で呼吸をし、チアキの台詞通り焦りが顔に出ている。


「う、海の方で出たんだ! 朝の漁に行った奴らが血相変えて逃げてきやがった!」


主語のない言い方であったが、チアキは意味するところを読み取った。


「分かりました。すぐに向かいます……アノ!」


「わかってる! 気をつけて!」


二人のやり取りを見て察したアーノイスがそう返答すると共に、チアキはソドと共に坂を下っていった。その姿を窓枠に手をつき見ていたアーノイスだったが、やがて元の自分の席へと戻っていった。


「大丈夫なのかい?」


「ええ。大丈夫ですよ」


言って、アーノイスはお代わりの紅茶を注いだ。そうして佇んでいる彼女の服の下で淡く烙印が光っていることは、マリーが気づくはずもなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ