―流動―
光差し込まぬ地下空間。淀み、呼吸するには薄い空気。全面をむき出しの土に覆われたその場にメルシアとグリムは居た。足元には、砕け散ったシャンデリアと思しきものと、円卓、蝋燭。いずれも土を被り破壊されている。
「んだよこの辛気くせぇ場所は」
しゃがんで足元の土を払い、何かを探すメルシアの隣で、グリムは嫌そうな顔つきでこの地下空間を見回していた。
「ここは審判団の居城だ。こんなところにあったとは、私も知らなかったがな」
審判団。流石のグリムもその名前くらいは知っていた。教会の最高意志決定機関。その存在は知れ渡れど、何処に居てどのような人物によって構成されているかは誰も知らない。時折、教会において重要なポストにある人間が“呼ばれる”事があるとの噂はあるが、定かではない。
「はー成る程ね……誰もいねぇけど?」
「殺されたのだろうな。エトアール襲撃を画策したのは奴らだ。最も、審判団のその強行を赦してしまった、私の責任でもあるが」
言いながら、メルシアは立ち上がった。先程、彼女は言っていた。この居城の場所も、彼女自身は今の今まで知らなかった、と。
「彼奴らは私と同じ、千年前の人間だ。この、教会の立役者達。それだけでも十分な栄誉だろうに、彼らは自分達が永遠に教会を支配することで全て上手くいくと思い込んでしまったのだ。そして私に隠れ、教会を動かしていた。あまり教会を省みなかった私の落ち度さ」
「ま、今はいねぇんだ。気にすることもねぇよ。ここは潰すか?」
小さく、メルシアは言葉なく頷いた。グリムも了承し、メルシアの近くへ行く。二人の姿が一瞬にして転移し、執務室へと戻っていった。
メルシアはソファに座り、部屋を出て、グリムは近場の兵に先程の地下空洞の件を伝え、執務机に戻る。元々、教会内の被害調査をしていた兵達が、教会内部で縦一直線に抜けた大穴を見つけたのが事のはじまりなので、メルシアですらわからなかったという場所も今なら誰でも行くことが可能である。
「うわ、また書類増えてんじゃねーか……はーやってらんね」
「そう言うな。私も手伝ってやるさ……人手は、足りないくらいなんだからな」
「ったくよー……こんな時に、オルヴスの奴は何処行ったのやら。鍵乙女サマまで連れてよ。駆け落ちかぁ?」
呆れと少々の怒りを混ぜた声でグリムは悪態を吐いた。アーノイスとオルヴスが姿を消してから既に三日が経っていた。街の修復のほうにも目処が立ち始め、ようやく教会内の被害を調べ始めたところである。まだまだ、書類の山は続いている。オルヴスも共にいないということで、メルシアとグリムはこの件を秘匿扱いにし、二人は慰労に行っているということにした。元々、末端の教会関係者までは存ぜぬ鍵乙女と従盾騎士の動向である。抑えるところを抑えればどうにかなった。しかし、人の口に戸は立てられぬものである。何処から漏れるかわかったものではないが、気にしていてもどうしようもない。
「そうかもしれんな……」
別段、変わりなく普通の受け答えをするメルシアをグリムは少し驚いた眼で見つめた。彼女の性格ならばもう少し心配するかと思っていたからだ。その視線に気づき、メルシアは顔を上げた。
「予想はしていたさ。彼女は少し気負い過ぎていた。人間、時には立ち止まることもしなければ、な」
両手を組んで額にあて、ソファにさらに沈み込むメルシア。
「それに……門がなくてはどうしようもない。世門は動かせないし、門を創る術も、今はない。神具がないからな」
「シング?」
彼女の語る言葉の中に聞いたことのない名称を聞き、グリムは聞き返した。淡々と、メルシアは答える。
「神具。私が生きた千年よりさらに昔。神が創世の為に使ったと言われる、特別な……いや、異常な魔具の事だ」
言い終えると、メルシアは話は終わりだというように立ち上がった。少し強張った顔つきから、これ以上語りたいことではないのだろう、とグリムは察し、書類にペンを走らせる。
その後も、終ぞ鍵乙女と従盾騎士は姿を見せず、門を修復する手立ても見えず、一月もの時が流れていった。
水恵都市、マイラ。そこに据えられた学術教会の中、大修練場に、翳刃騎士の面々が居た。アヴェンシスのものとは違い、青空を望める地上に作られたその修練場は、一見して闘技場のようでもあって、タイルが敷き詰められた円形の競技場をグルリと囲んで、階段状の観客席のようなものが置かれている。その形状は、砂漠という過酷な環境下で生きる人々に、少しの娯楽もということで演舞やそれこそ闘技大会の会場ともなるべく作られたものである。その、舞台に立つは外套に全身を覆った3メートルはあろうかという大男と、小柄な青年。優しそうでもあり頼りなさそうでもある眉尻の下がった目をしているが、その瞳は真剣そのものだ。お互いに拳打の応酬を繰り返している。たが、その速度はおおよそこれまで彼らが戦ってきたものではなく、あくまで一般的な、それこそ霊力を用いない喧嘩程度の激しさしかない。それもそのはずである。二人の男は纏霊こそしてはいても、攻撃の手足に霊力は込めていない。無論、理由はある。少しでも霊気を纏っているものに、霊力なき攻撃は通じないのがこの世界の常だ。根源の力である霊力がないというのは全くの支えがないということになるからである。支えなく出てきたものが、他の支えを揺さぶるのは不可能だ。そう、二人が行っているのは互いを傷つけぬ戦闘訓練。霊力を用いた戦い方も重要だが、まず第一に自分の体を動かせなくては、戦いにおいてはどうしようもない。そういう意味での訓練を、舞台上の二人はしていた。
その二人から少し離れて、観客席のほうには紫の派手なコートに身を包んだ、何処となくやる気のなさそうな翳刃騎士隊長バーン。そして同じく翳刃騎士のアンナが居た。
「スティーゴの奴もどうしたんかね。ガガの奴に体術を教わりたいだなんてよ。病み上がりの癖に」
「あ……また喰らった」
コルストのアングァストで行われたノラルとの戦争。彼ら翳刃騎士もその戦争に参加し、団員の一名を失い、もう一名が瀕死の重傷を負う結果となってしまった。戦いは常に死と隣り合わせ。それなりの月日を騎士として兵として過ごしてきたバーンはそれをよく知っており、死んだマロリに対しても簡単な弔いを行っただけで済ませた。無論、知人の、仲間の死はなれるものではないが、その死に立ち止まるということを彼は忘れていた。ガガも、アンナもそうである。だが、彼ら騎士団の中でスティーゴだけは違っていた。自身も大怪我したこともさることながら、目の前で仲間を失ったのである。そして、彼はまだ若い。人の死に、まだ慣れてしまっていない。甘いと思うと同時に、正しいともバーンは思った。
「攻めが、緩い」
闘技の舞台の上。スティーゴの突き出したボディーブローを、ガガは後出しで返し、逆にスティーゴの腹部に打撃を入れる。前述の理由で感触は伝わっても衝撃までは通らないので、スティーゴは痛みではなく、打たれたという事実に顔を顰めた。
「速さ。力強さ。思い切り。集中力。どれをとってもお前の攻めは緩い。スティーゴ」
後ろに飛びのいて距離をとろうとするスティーゴ。だがその逃げをガガは赦さず、姿勢低く滑るように肉薄した。右腕だけで繰り出される、顎と腹を狙った二連打。スティーゴは両手を使い、どうにかそれを捌くが、それで終わる筈もない。この訓練がはじまって以来、ガガは全く同じ攻めしか見せて居なかった。故に、次に何がくるかスティーゴには分かっていた。動きが、見える。外套の奥で引かれる、左腕。掌を上にした状態から、肩や腰ごと捻りながら打ち出されるブロー。一瞬の溜めのあるそれに先んじて、スティーゴは既に動いていた。拳の起点、肩口を狙って拳打を入れようとする。動きは知っている、それが放たれる速度もよくわかっている。だというのに、スティーゴの拳が届くよりも早く、ガガの一撃がスティーゴの顔面を捉えていた。そして、止まる。纏霊さえも解き、ゆっくりとガガが姿勢を直立に戻すのにスティーゴも合わせた。
「躊躇いは遅れを生み、生じる差は死に繋がる」
短く、ガガはアドバイスする。スティーゴには、わからない。躊躇っているつもりはなかった。対策も考えていた。だが、それらを突き破ってガガの拳だけが彼に届く。その事実だけは歪みようがない。
「甘えか。優しさか。解決するのはお前自身だ」
最後にそう言い切り、ガガは後方へ大きく跳躍した。それは通常であれば有り得ない挙動。そう、彼は霊力を解放していた。単なる体術の訓練は終わりだ、というのだろう。スティーゴもまた纏霊し直し、先ほどまで意識していた箍を外す。ここから先は、場合によっては訓練で済まされなくなる。
――と。本当の纏霊をしたと共に広がった二人の霊覚が、修練場への来訪者の到来を掴んだ。霞切れるように、二人の高まっていた霊力が失せる。
「こちらに居ましたか」
そう言って現れたのは、ここ学術教会の掲剣騎士の一人、レイクであった。どうやら翳刃騎士たち、その隊長であるバーンを探していたらしい。階段状の観客席の隙間、舞台への出入り口から彼は現れ、その後ろに白衣を着た男を連れていた。
「あん? どうしたよ。フェルでも出たか?」
「いいえ。ただ、こちらの方がバーン隊長にお話があるとのことで」
対応するバーンに、レイクは背後の白衣の男に道を譲る。白衣にモノクル。短く借り上げられた頭髪、日に焼けていない青白い肌のどれをとっても、ここの研究者であろうことが伺えた。
「はじめまして。バーン隊長。私はここマイラで霊魂関連の研究をしている、ゼムケードという者だ」
研究者なんてものは総じて堅物だろうという、よくわからない先入観を持っていたバーンは、軽やかな口調のゼムケードの挨拶に少々面喰らったが、取り敢えず差し出された手はとる。
「ハジメマシテ。で、その研究者さんがどうかしたのかよ。護衛なら掲剣騎士に頼みな。俺たちゃそういうの向いてねぇぞ。何かぶっ倒すならともかくな」
バーンの台詞に、ゼムケードはにんまりと笑う。まるでその答えを待っていたとでも言うように。
「安心してくれ。君たちに頼みたいのは、後者だ。ちょっと詳しい話をするから、来てもらえるかな。取り敢えずは隊長さんだけでいい」
笑みに細くなった右目に乗るモノクルは、七色の光を帯びていた。