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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
十章 魔狼と乙女
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―爪痕―

「あんたが! あんたが居たから、こんなことになったのよ!!」


曇天。鬱屈とした厚い雲に閉ざされた空の下。崩れた建物、片付かぬ瓦礫。そこかしこにこびりついた土埃の街中で、一人の女性の叫びが木霊していた。血走ったその眼に写るのは、白い出で立ちの一人の乙女。周囲に居た人々も作業の手を、何処かへ向かっていた足を止め、二人を見ていた。


「何が救済の乙女よ! ふざけないでよ! こんなことに巻き込んでおいて、誰が助かったっていうのよ!!」


半狂乱で、女は乙女に掴みかかろうとする。それを、呆然としてみていた騎士二人が慌てて止めに入り、女の両腕を押さえて乙女より遠ざけようとする。


「落ち着いてください!」

「おい、お前らも手伝え!」


尚も戒めから逃れようとする女を、騎士達は必死に抑えていた。乙女はただ、自失としてその光景を見ている。その最中に、乙女は女の手に小さな布袋が握られているのを捉えた。七色の、厄除けのお守りだ。しかし元は七色であろうそれは、赤黒いなにかがこびりついていて綺麗には見えない。その何かが固まった血であることは、すぐにわかったが。

女を抑える騎士の呼びかけに答えたか、騒ぎが広まっていったのか。数人の騎士が現れて暴れる女を取り押さえ、徐々に乙女より遠ざけられていく。


「あんたのせいで!」


その言葉を最後に、女は拘束用の猿轡をかけられ、騎士達の手によって何処かヘ連れ去られていった。乙女は、何も言わない。言えない。ふと、顔を顰めて耳を押さえる姿を見せたが、すぐに止め、地面へ向けていた視線が動く。その先には先程の血汚れたお守り。乙女はそれをそっと拾って、近くの男性に近づき、言った。


「あの方が戻られましたら、渡しておいて頂いても構いませんか?」


「は、はい」


小さく、弱く、それでも無理やりに平静を装った声に、男は少し驚きながら返事をし、そのお守りを受け取った。

と、一陣の風が吹き、乙女の背後に一人の青年が現れる。何処からどうやって来たのか、周囲の人間はわからず、彼が声を発するまでそこに居ることに気づけなかった。


「アノ様。メルシアさんが御呼びで……アノ様?」


彼女の背から何か違和感を感じたのか、青年が途中で台詞を止める。しかし、アーノイスは何事もないというように振り返って歩み始め、オルヴスの横を過ぎ、呟く。


「何でもないわ。行きましょう……皆さん、余り手伝えなくて申し訳ありません。頑張って、くださいね」


背にした民衆にも一言をかけて、二人は教会の方へと歩き始めた。彼女の言葉に返される言葉は、何一つなかったが。







――数時間前。エトアールの亡霊襲撃より二日後。

アーノイスは、暗い部屋の中で眼を覚ました。八畳程の室内に、少し大きめのセミダブルといったところのベッドと、壁際に木の机と椅子、箪笥、鏡台が置かれ、机の向いている壁には大きな黒板があり、卓上床上問わず、水晶やら何かびっしりと書き込まれた紙やら、何で出来ているのか、どういった用途なのか、おもちゃなのかそれ以外の何なのかがわからない水飲み鳥っぽい器具やその他もろもろの何かが所狭しと置かれている。唯一の光源は、部屋の中央から吊るされた光度の低いランプだけ。窓はなく、ベッドの足を向ける方向に扉があるようだ。そんな空間の要素を確認しながら、アーノイスはここがメルシアの部屋であったことを思い出す。クオンとユレアを烙印術へ何処かヘ逃がした後気を失った彼女はここへ運ばれ、寝かされていた。夜中に一度眼が覚め、椅子に座っていたオルヴスにここに運ばれた旨を聞いていた。彼女の部屋は、先の戦いで崩壊してしまったらしい。そこで、メルシアはグリムのところで寝ると言ってこの部屋をかしてくれたのだとか。

ゆっくりと、アーノイスは体を起こす。そうしてから、全身の至るところに包帯が巻かれていることに気づいた。烙印からの出血を抑えるものだろう。つい先程変えられたのか、まだ綺麗だ。しかし、ベッドの片隅のゴミ箱には、血でべっとりと汚れた包帯が乱雑に放り込まれている。


「また迷惑……かけちゃったな」


呟きながら、アーノイスはベッドから降りて体を適当に動かし、自分の状態を確認してみる。反応は鈍く重いが、それは元々の低血圧に加えて少し血を流しすぎたせいだろうと結論付ける。起きるとともに軽く纏霊して寝起きに弱い体を動かすのは既に習慣になっていた。纏霊したついでに、アーノイスは霊覚を用いて場所の感覚を掴み、扉を開けた。

地下にあるメルシアの部屋から出てすぐある階段を昇って行くと、礼拝堂に出た。出てしまってから、焦って物陰に隠れるアーノイス。既に十数人の参拝客が居て、皆何かを必死に祈っている。見つかれば、騒動になってしまうかもしれない。そう考え、アーノイスは礼拝堂の隅を何本も有る柱に身を隠しつつ外へと出て行った。その先で、騎士の一人を捕まえ、エトアールの亡霊の襲撃からどのくらい経ち、今教会全体はどう動いているのかをかいつまんで聞く。

そこでアーノイスは自分が一日と少し眠り続けていたこと。今アヴェンシスに居る騎士の総力と民衆の助けを借りながら、壊れた街並みの修復に当たっているということ。重傷を負い入院中の大司祭アバンに代わり、グリムが騎士団長代理として騎士を纏め、巫女メルシアの補佐で共に教会を動かしていることを知った。

自分も何かしなくてはと思い立ったアーノイスだが、教会の方針の方で自分に口に出せることは少なく、救護といっても烙印術を使うしかわからない。ということで、彼女は真っ先に壊れた街を直している現場に直行したのだ。

それから数時間後。アーノイスが部屋を抜け出していることに気づいたメルシアが、オルヴスにアーノイスをつれてくるように頼んだのだった。






「全く、何で大人しく寝てなかったんだ。起きたにしても、私かオルヴスに一言言いに来ればいいものの……。わかってるのか、お前も一応怪我人なんだぞ、アーノイス。グリムじゃあるまいし」


アバン司祭の執務室。大きな机を中央の奥に、両脇には壁際ギリギリの巨大な本棚が、部屋の真ん中には四人がけのソファが一対、硝子のテーブルを挟んで置かれている。広さは十メートル四方といったところか。

そこに置かれているソファに座りながら、アーノイスはメルシアによる経過観察を受けていた。本人がいくら大丈夫だとは言っても、つい先程まで術の反動で寝込んでいた人間を診察もなしに放置するわけにはいかない、とメルシアが若干怒ったからだ。


「……ごめんなさい」


神妙な顔つきで謝罪するアーノイスをメルシアが訝しむ。


「どうしたアーノイス。何処か痛むか?」


「大丈夫……大丈夫よ」


まるで自分に言い聞かせているかのような言い方に、メルシアはアーノイスに向けてかざしていた手を下ろし、ソファの後ろに立っていたオルヴスをちらりと見て眼で疑問を投げかける、が彼もまたわからないと首を横に振った。


「グリム」


オルヴスから今度は執務机の方へ眼を向ける。そこは、普通の机の三倍以上の大きさはあるだろうに、所狭しと書類の山々がうず高く積まれていて、その向こうに居るはずの人間の姿が見えない。と、山の後ろから判子を持ったままの手が弱弱しく挙がった。


「あ゛ーい゛ー」


疲れ果て、あげるのも億劫そうな声。グリムは今、教会修復の為に必要な資材の発注文書や各地へと応援要請の書簡などの認印を押す仕事に従事させられていた。これをする為に、騎士団長代理となった、いやさせられたのだ。緊急時ということで取り纏めも不十分に次々と出てくる様々な文書に眼を通して印をしなければならないので、もう既にかなりの時間この部屋に缶詰であった。元々した事もないような事務仕事。不慣れが彼の体力を大いに削っていた。だが、そんなグリムにメルシアはさらに追い討ちをかけた。


「私はアーノイスと少し風呂に入ってくる。ちゃんと仕事としとけよ」


「ちょっ待っ! ずるくねぇ、ずるくねぇそれぇ!?」


あまりの言葉にグリムが飛び起きて机を叩く。十数枚の書類が舞った。


「診察だよ。ここで彼女を脱がすわけにもいかないだろ。私の部屋じゃ狭いからな。風呂はこの時間なら空いてるだろ。昼間だしな」


「くそっ……あの糞親父たたき起こしてくるか……」


「アバンは今重態なんだぞ。生きてるのが不思議なくらいな。オルヴスを置いていくから、二人で頑張ってくれ。じゃあなー」


「あっ、ちょっと、メルシ」


軽い言い争い中でしっかり釘を刺した上にちゃっかりオルヴスにも仕事を押し付け、戸惑うアーノイスを半ば強引に引っ張って部屋より出て行くメルシア。グリムはへなへなと椅子に座り込み、オルヴスは少し笑みを浮かべながら甲斐甲斐しく散った書類を集め、机のものに重ね直した。


「手を止めて居ては終わりませんよ。騎士団長代理。僕も手伝いますから」


グリムの肩を叩き、慰めるオルヴス。と、先程しまった筈の扉が勢いよく開かれた。


「もう今度はなんだよー!」


また追加の書類か、と悲痛な叫びを上げるグリム。

だが、そこに居たのは一人の騎士。書類は持っていない。その騎士は、先程街中で騒ぎ起こした女を捕らえた騎士の、一人だった。

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