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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
九章 亡霊と復讐
145/168

―供華―

揺れる空気、震える地面。空と地の果ては混ざり始め歪む。切り裂かれ終わり始めた異世界の中、崩れそうな大地の上でクオンは静かに口を開いた。


「もう、こやつも限界だな……」


親しき者へ永久の別れを告げるかの如く、クオンは己の手にもつ罅割れた剣に向かって呟く。鏡の如く光を放っていた刀身は亀裂が走り曇り、見る影もない。つい先程までの戦闘の、最後の一合。その時に映し出した、全ての魔具を解放した一撃は、決して幻影ではない。しかし、如何なあらゆる事象を映し出す魔剣とはいえ、その許容が限界に達したのだ。愛おしそうに左手でその今にも砕けそうな刃を撫で、また静かに足元へと刺した。その真横に横たわる、黒い衣装、黒い髪をした青年。体の中心、恐らくは心臓を抜けているだろう縦長の風穴から、清濁混ざった血が流れ地べたに染みを作っていた。


「これは貴公への手向けにやろう。踊らされ、仕組まれ、追われ生きてきた貴公にも、最後に見たい景色ぐらいあるだろう」


侮蔑や哀れみでなく。ある種の同情か畏敬を思わせる声音で、クオンは言った。剣に残された、罅に覆われた刃の一片が、光る。


「オルヴス。やはり、我は――」






オルヴスは、暗闇の中に居た。いや、居たというのは語弊があるのかもしれない。彼の肉体はもはや指の一つも動かない。それは意識か、肉体から解き放たれた魂か、どちらが正しいのかはわからないが、とにかくオルヴスにわかるのは、見える光景感じる全てが闇でしかないというところまでだ。


「はじめまして、だよね」


ふと、男の声がしてオルヴスは意識をそちらに向ける。首を巡らす、振り向くなどといった行為はしようがないが、なんとなく、その声の方へ意識を向けてみれば、そこに黒髪の青年がいることがわかった。年は、オルヴスとそう変わらないだろう。自分の視点が何処にあるのかもわからないので、その人物の身長はわからない。その男は、口元に薄く笑みを浮かべオルヴスを見ていた。


「貴方は……」


そう聞いてから、オルヴスは声が出ることに気づく。誰か、と言葉を続けようとしたが、何故かオルヴスにはその見たことの無い男に会ったことがあるような気がして口を塞いだ。


「自分が誰かは、まあ何だっていいよ。君こそ、ここが何かはわかるかい?」


男は、自分に向けられた問いには答えずに、逆にオルヴスに問うた。答えはしないが聞きはするのか、とオルヴスは少々不満が残ったが、まあそれもどうでもいいとすぐに切り捨てた。


「さてね。黄泉への入り口か、もしくは既に地獄の中か。検討はつきませんが」


クスリ、と再び男は笑った。何がおかしかったのかはわからないが、彼はともかく面白そうな笑みを浮かべていた。


「まあ、魂の行き着く先という意味ではあっているかな。ここは“門”の内側。乙女により導かれた魂が、記憶を落とし生まれ変わる為の場所」


「門の……中」


男の台詞を反芻しながら、オルヴスは納得と疑問の狭間で思考する。自分が恐らく死んだことはわかっていた。あの紅い刃。不可侵の存在である門を切り落とす力を持つ凶刃に、心臓を貫かれた。呪印交霊して命を奪える存在もない、無の大地で。ならば死んだということにも納得がいく。だが、問題は次。そう、門は今存在しない。世門を残し全てエトアールに壊された筈である。その上、当代鍵乙女であるアーノイスが今儀式をしたとは思えないし、世門は使えない筈だ。もしかすれば、既に己が死んでからかなりの時が経っていて、新たな門に導かれたのかもしれない。と、そこまで考え、オルヴスは少し笑った。よくもまあそんなことまで考えられるなと、少しの自嘲を持って。


「おや?」


そんなオルヴスの思考を、男のほんの少しの驚きをもった声が切り上げる。男のほうに再度意識を向ければ、そこには淵の淡い、円を描いた光のようなものがいくつも浮かんでいた。


「これは……君の記憶かな」


男が言う。何のことだろうか、と光の輪の一つに集中するオルヴス。霧が払われるように、光の中の光景が見えてきた。そこには、黒い髪の少年と水色の長い髪をした少女が、草原の上に並んで座っている姿が映し出された。


『本当、この村はこんなにものどかなのに、教会はどうにも厳粛なのね。これはきっと何処へ行っても変わらないのでしょうけど』


少女の声が聞こえる。


『やっぱりそうなんだろうね。僕はあまり教会に行ったことがないんだよねぇ、実は』


少年の声もまた、聴こえる。


『あらそうなの? まあ、あまり信心深そうにも見えないものね』


随分と懐かしいものだ、とオルヴスは少し感傷に浸った。間違いない。覚えている。これは、自分がまだチアキであった頃、レラの丘でアーノイスと交わした言葉の記憶だ。

その飛びぬけた交霊術やその他の才の為、両親の道具のように生きていた自分が、はじめて触れた他人との日常という一コマ。忘れるわけがなかった。両親に任された仕事の相手でも客でも、また敵でもない、そんな他人と触れるのは恐らくはじめてだっただろう。故に、少年は少女の前では笑顔のその裏にずっと怯えを隠していた。わからないから、怖かった。そして少女から笑顔を引き出すのが、嬉しかった。

ふ、とその昔日の光景に影が射す。いつの間にか男が、光の前に立っていた。


「思い出に浸るには、まだ早いんじゃないかな」


真っ直ぐに男はオルヴスは見つめていた。ふと気づく。黒髪黒目のその容姿。それは、オルヴスにとっては見慣れていても、世界においてはそうではない姿であった。だが、それをオルヴスが追求する前に、男は語り始めた。


「思い出の中の少女は、今尚戦っている。そしてまた戦うことになるだろう。君を下した、亡国の皇子と」


男が指を鳴らす。記憶を移していた輪のように、映し出される、荒地の光景。窓に背を向けて佇む、緑髪の男。


『やはり我は、赦せぬようだ。鍵乙女、門。千年の昔に女神により作られた、このシステムが。姉上と国を殺した審判団を害しようと、鍵乙女を護っていた貴公を打ち倒しても、我の心は疼きを止めぬ。もはや、何も戻らんのにな』


それが本人の口から語られているのか、ただ窓が何処からか伝えているのかはわからない。


「君は、このままこの場に飲み込まれることを望むのか?」


男が問う。


「……門の内側に僕が居る、ということは、僕は既に死んだのでしょう? まさか、生き返らせてくれるつもりでも」


「いや」


オルヴスの言葉を、男は途中で否定した。一体、この男は何を考えているのだろうか。要領を得ない、意図も見えない男に、オルヴスは苛立ちを募らせる。しかし、男はそれもわかっているかのような、静かな笑みを称えて止めない。


「君はまだ果ててはいないよ。ただ一つ、この場にどうやって君が来たのかを思い出せば……後は君の意志次第だ。外へ出て戦うか、このまま消えるか」


「どういう――」


オルヴスの台詞を遮るかの如く、目の前に現れる光の輪。


「真実を見るか否かも君次第だ。君とこうして言葉を交わすのも、きっと何かの縁だと思う。自分に出来るのは、このくらいさ。それと、あんまり時間はないから、決めるなら早くした方がいい。それじゃ」


音も無く、男の姿が薄れていく。


「待て!」


止めるオルヴスの言葉もむなしく、男はまるではじめからこの暗闇に居なかったかのように霧散して消えた。残されたのは、周囲を取り囲み、一つだけ存在を主張するように眼前に待つ、窓だけ。


「僕は……」


オルヴスは独白する。このまま消える、というのは恐らく完全に絶命するということだろう。死んでいないのに門の中に居るというのもおかしな話だが、今はあの男の言葉を鵜呑みにする他ない。時間もないと、男は言っていた。オルヴスは自然と、自分の口元に笑みが広がって行くのがわかった。ずるい男だ、と心内で悪態を吐く。それならば何にせよ、見るしかないではないか、と。

オルヴスは、正面の記憶の窓を覗き込んだ。






カラン。

乾いた音が、小さく響く。突如背後で鳴ったその音に、クオンは今一度振り返った。そして、言葉を失う。

音の正体は、己が地面に刺した筈のボロボロの鏡の剣だ。風か、地の揺れか。どちらかはわからないがそのせいで倒れたのだろう。切っ先が抜けて地面に横になっている。だが、そんなことはもはやどうでも良かった。まず視界に飛び込んできたのは、巨大な鉄か何かの材質で作られた、壁。複雑な文様。人の身長や幅を優に超える大きさ。中心にある、狭間。精錬なる霊気が敬意と恐怖を同時に煽る。そこにあったのは紛れも無く、“門”であった。


「馬鹿な……」


自覚なく、クオンは言葉を漏らした。門がそこにある筈はなかった。この世界は、クオンのもつ魔具により作られた、いや魔具の内側の世界だ。そこに門がある筈もないし、世門以外の門は全て破壊した。世門か、とも一瞬脳裏を過ぎったが、それは有り得ない。世門の場所ははっきりとしている。ならば、何故。

そこまで思考を巡らせてから、クオンはもう一つの事態に気づいた。オルヴスが、居ない。そこに、胸に風穴を開けおびただしい地を流し伏していた青年が存在しない。最初からいなかった、わけはない。事実彼が倒れていたであろう場所にははっきりと、血だまりが残っている。まだ乾燥していない、血の池が。急ぎ周囲を見回し霊覚を研ぎ澄ませても、何処にもオルヴスの姿はなかった。


『成る程……そういうことだったんですね』


ふと、響きはじめる声。クオンの広げていた霊覚が反応する。声は、門より発せられていた。


『クオン皇子。どうやら、先程の問いに答える事が出来そうですよ』


驚愕と一種の恐怖にさいなまれるクオンを無視して、門からの声は続ける。そして、動き出した。錆びた鉄の擦れる音。この世界そのものと擦りあっているかのような音。それが門の開く音だと、クオンは知らなかった。徐々に、門の間の亀裂が広がっていく。


「それよりも、何故生きているのか……いや、生きているのかも含めてどうして門の内側に居るのか答えて欲しいな」


幾分かの冷静さを取り戻し、クオンがいつもの調子で言葉を発する。


『簡単な……事ですよ』


門の開き始めた隙間より、二本の手が姿を見せた。紅い鉤爪の生えた黒い手が、内側から門をこじ開けようと爪立てる。それは紛れも無い、魔狼の手であった。


『レラの門は、消滅したんじゃない。ずっと、あった』


少しずつ開く門の両扉の間に、満月の如き双眸が光る。同時、門は完全に開かれた。暗闇の中から、それよりも黒い体躯の、その中でも輝きを放つ蒼銀の長髪を靡かせた魔狼が、外へと足を踏み出す。


「僕の、中に。故に、僕は呪印交霊に呑まれなかった。門が呪印の喰らった魂を受け取っていたから」


クオンの頬を、汗が一粒滑った。魔狼に、先程の傷はない。烙印術と対抗する報復者から受けた一撃の傷さえも。そして尚、魔狼の霊気は絶大。周囲の大気は愚か、この世界全体を支配しているのではないかと思う程、広く、厚く。

魔狼の体に刻まれた印が浮き出る。白き、霊と交わる呪いの印。全身より溢れ出す、漆黒の靄。否、それはもはや靄などという薄れそうなものではない。確固としてそこにあると主張する、火炎のごとき揺らめく黒闇。


「クオン皇子。貴方は、復讐を止めないのでしょう?」


名を呼ばれ、一瞬唾を飲み込むクオン。刹那の油断も赦さない響きが、その声にはあった。早鐘を鳴らす心臓を落ち着けながら、クオンはゆっくりと返事をする。


「そうだな……。我も、門を破壊し審判団を討ち、貴公との決着をつけ、全て終わった気になっていたがな。やはり、鍵乙女というシステムそのものが我には赦せんよ。それを享受してその後ろ暗さを知らずに生きる者も。いつか終わる運命を受け入れているものも」


答えると共に、クオンの波立った心が平静を取り戻していく。そうして、どこからともなく紅い刃を引き抜いた。


「これは、ヘイズのツバリ湖の地で鍵乙女の流した血を集め精製した刃だ。皮肉だとは思わんか? 世界を護る筈の力がこうして、その力を利用してきたものを斬り滅ぼす」


トン、と軽く一足で飛んで、クオンは後方、中空へと飛んだ。


「アヴェンシスも、騎士団も、鍵乙女も、我は全てを滅ぼそう。そうでなくては、姉上も浮かばれぬ」


「鍵乙女の血で創られし報復の刃、ですか……。貴方がたの気持ちもわからなくはない。僕自身、あの審判団はアノ様にとっても害悪だと判断しましたからね。ですが」


ゆっくりと、魔狼の右手が持ち上げられ、顔面を覆う。指の隙間から覗く二つの満月がクオンの姿を映していた。


「僕は彼女を護ると誓った。その為に、今こうして生にしがみついた。無用な血を流れるのをアノは望まない。その刃も、返してもらいましょうか」


漆黒の焔が立ち上る。魔狼の背に負う門もまた共鳴し、その燃え上がりを後押ししているかのようだ。

クオンは笑った。その笑みが何を示すのかはわからない。この状況を喜んでいるように、見えなくもないが。その笑顔のまま、クオンは報復者を握り締め、高々と掲げた。握った掌から流れる血を気にも留めず、そのまま振るう。己の、左腕へと。鮮血が空より落ちる。クオンの左腕に、深々と突き刺さった血の色の刃がさらに血に塗られた。


「うおおおおおおおおおおおおおおお!」


クオンが雄叫びを上げる。浮き出る呪印、光る血の刃。突き出す左腕。それを掴む右手。突き刺さる刃が振るえ、伸びる。いや、巨大化する。そして、腕より生える、生える、生える刃。幾多に皮膚を突き破り、創られるは人など意図も簡単に飲み込む血刃の華。

応えるが如く、オルヴスもまた呟く。


「顕現せよ……魔狼の瞳フィル・アイトニル


二つの月が煌く。オルヴスの全身より広がる黒炎がその輝きを残しその身を覆い、まだ広がる。空へ昇り地を走り、止めどなく膨らみ続ける、闇。それはクオンの前方全てを包んで、尚広がり続ける。擬似世界そのものを飲み込む程に。やがてそれは蠢き、形を成す。地を割り、叩きつけられる黒き獣の前脚。双月はいつしか宙に上がってその大きさをまし互いに放れ、眼となる。形成される狼の顎。それは、世界よりも巨大な魔の狼の姿。己の立つ世界が狭いと言わんばかりに、四本の鉤爪は星に突き立てられ、尾の先は一周してクオンの後方に覗いていた。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』


口を開けば下顎は地に、上顎は天を突き抜け宙に。大顎を開けて巨狼は咆哮する。一度世界に牙立てればそれは意図も簡単に世界を砕くだろう。


「これが本当の、魔狼か」


あまりの巨大さ、あまりの禍々しさにクオンはある種感嘆した。そして呼応するかの如く、己に咲いた刃の華に、力を込める。さらに花弁を生み出しまた成長する血の華。


「姉上……父上……母上……エトアールの勇猛なった騎士よ、健全たる民よ。今こそ全ての無念を切り裂かん。怨恨募るこの忌むべき力で!」


クオンの叫びが轟く。華を引き、狙うは、外しようもない巨狼の顔面。


「応えろ! 報復者アンサラー!!」


喪失を糧に復讐の為に咲いた華が、一つの想いに猛る魔狼へと向かっていった。

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