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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
九章 亡霊と復讐
144/168

―死紗―

伸びる、骨の巨腕。数は八。完全な同時ではなく、絶妙に時間をずらして迫るそれを、グリムの槍は的確に撃ち抜き破壊する。だだ槍の穂先に貫かれただけでなく、回転を与えられた十字の刃が描く円の通りに風穴を創られる骨の手。一部を吹き飛ばされた手は動きを止め、一時の間を置いた後発火した。アングァスト会戦の際、エトアールのボーヴとの戦闘時にグリムが目覚めさせた力。霊なるもの全てに引火し、己が火炎とする業。他に燃え広がるという火の性質を現したかのような、反則業だ。それは、ウィジャ家の禁呪、呪印交霊にも勝るとも劣らない。

フェルの腕に引火した火が、本体へ向けて燃え広がっていく。その存在自体が霊体であるフェルには、自ら自身を燃やされているのと同じ苦痛だ。人とも獣とも思えぬ甲高い叫び声を上げながら、フェルは自らの腕を切り離した。燃えた腕が下の街へむけて落ちて行く途中で、完全な灰となりこの世より消え去った。


「オラオラどうしたよぉ! もっと来いよ骸骨野郎!!」


グリムが吼える。戦闘に際し、体の奥底の魂より巻き起こす火炎の漏洩が、今は見られていなかった。それほどまでに、彼の内に霊力が凝縮しているのだ。でなければ、他の霊力を飲み込む火など起こせはしない。グリムがそれを理解しているのか否かは定かではないが。しかし、フェルはそのボロ布のような巨大な体躯を風に揺らしているだけで、動く気配を見せない。自らの腕を壊されただけでなく、その構成元から燃やされ奪われたのだ。攻めあぐねるのは当然であろう。


「こねぇなら……」


戦闘おいて、グリムは停滞を嫌う。早く倒す、と言った信条があるわけではない。ただ、考えるよりも動く性質なだけである。


「行くぜぇえ!」


全身から淡く、紅い光が放たれ始めた。ボーヴが名付けた太陽の法。己の内の霊力でさえも燃焼させ、単純な力とするもの。自分の内側の霊力とはそれすなわちイノチであり、命を燃やす業だ。伊達や酔狂で使えるものではない。例え気分が高揚していたからと、そんな軽い考えで使えるものではない。そう、グリムは気づいていたのだ。今自身が相手にしているフェルの危険性を。それを、グリムは何処か魔狼へと化したオルヴスに似ていると思っていた。

グリムが動く。時など追い越すかの速度での突撃。それに、フェルは反応していた。ボロ布に浮き出ているような巨大な逆さの骸骨。その口の中を狙い済ましたグリムの突撃を、フェルはただの移動ではなく、ただ場所を移すという、瞬間移動で対応していた。それはフェル自身の体躯だけではない。ボロ布から突き出る十数本もの巨大な、人を模しているにしては異様に間接の多い腕。それがグリムを囲んでいた。十数の手、数十の指。指がそれぞれつき合わせ、まるで即席の牢獄のよう。しかしてそれは、その通りでもあった。

指と指の間、掌と掌に囲まれた、グリムを含めた空間が突如暗転する。一切の光を透過せぬ闇。グリムはその中で突如とした虚脱感に襲われた。異常なまでの眠気に近いが、それはまどろみではない。催眠のほうが近い。だが、遥かに、不愉快だ。その光を忘れた世界の中で、グリムの魂が聴く。


『――――』

『――、――――』

『――――。――、――――――』


声無き声。耳鳴りに思えて、それは単一ではなく変化と重なりをもってグリムの魂に直接響き訴えかけた。虚脱感が喪失感に変わっていく。グリムの表面を覆っていた紅い光が点滅をはじめ、その弱体を知らせる。だが。次の瞬間。一度滅したかのように見えた光が、強さを増した。


「しゃらくせぇんだよ!」


骸の牢獄が砕け散る。爆散と共に燃えて灰と成る欠片の中、グリムは再びフェルへと特攻した。ボロ布の中から、フェルの分身であろうか、小さな骸つきのボロ布が数十放出されてその進撃を阻もうとする。だがそれは、グリムの火への油にしかならなかった。

触れることも、碌に近づく事も出来ず、発火させられ、グリムに隷属する。再び、瞬間移動するフェル。しかし、無駄であった。グリムの姿は、転移した筈の、フェルの真正面、直近。押さえ込まれていた業炎が、発露する。その身に背負う、劫火の翼。槍の穂先に模す、不死鳥の嘴。火の鳥がボロ布を突き破った。


「オォォ……」


真っ二つになったフェルが呻きをあげる。霊力を発火させる焔により両断されたのだ。フェルに、もはや生きる術はない。それなのに、グリムは何か違和感が拭えなかった。


「ォォ……」


徐々に小さくなっていくフェルの声。それを聴き、グリムは自分の違和感が気のせいであると結論づける。どうしようもない、油断であった。


「ォォオオオオ!」


声に、勢力が戻る。と共に、グリムの両横に骸骨の手だけが出現した。不味い。そうグリムが直感するより幾分か早く、掌は虫を潰すかのように閉じられた。巨大な質量が多大な衝撃と音を撒き散らす。


「……全く」


しかしてそれは、手同士の衝突ではなかった。グリムの耳によく馴染んだ女の声が、呆れの声音で届く。


「詰めが甘いぞグリム。相変わらずな」


「チッ、うっせーよ。メルシア」


骸骨の手を押さえる、透明な防護膜。その球形を形成するのは、百足の如き姿をした、百に分かたれる節根。それを操るは、金色の魔女、メルシアだった。


峻拒アポーリャ


彼女の心唱と共に、百節棍セラピードが反応して金色に発光し、叩き潰そうと迫っていた手を吹き飛ばして粉微塵にする。フェルは、それにも特にダメージを受けていないのか、悠然と振り返りグリムとメルシアに三つの瞳を向けた。両断されたはずの体はいつの間にか修復している。


「んだよ。失敗したか?」


グリムの火炎であれば、真っ二つにしたフェルのその切り口から引火させられる筈であった。しかし、フェルは何事もなかったかのように元に戻っている。火霊力そのものが通用しないということなのだろうか。いや、それでは戦闘始まって以来、骨の腕を破壊し燃やせたことに疑問が生じる。そんなことを考えて唸っているのを聴いたのか、メルシアが口を開いた。


「恐らくは余程魂の繋がりが強固なのだろう、あのフェルは。お前のあの火炎、仮に鳳炎ホウエンとでも名付けようか。ともかく鳳炎は霊力の支配力がものを言う。それが今のでは足りなかったというところだろうな」


「じゃああれだな。もっと全力でぶち込めばいいんだな」


フェルが何かを狙っているのかどうなのか、静観しているのをいいことにその場で会話する二人。取り敢えずもう一度、今度はもっと強く叩き込めばいいと踏んだグリムが、メルシアの前に出る。と同時その後頭部を小突かれた。


「馬鹿。太陽の法もあんまり使うなと言っているのに、火の原性までそう軽々と使うんじゃない。あれは魂を燃やす……お前は私を胃痛で殺すつもりか」


口調はあくまで平淡だが、最後の方に震えが混じっているのにグリムは気づいた。気づいたからには無碍にも出来ず、「悪い」と小さくそれこそギリギリ聴こえるくらいの声で呟いた。数秒メルシアからの返答はなく沈黙だったが、やがてふうと一息吐いて話し始めた。


「だが、あれをやるには鳳炎が必要だ。一撃……後一撃でもう一回奴を分断させろ。そうなれば修復の為に霊力を内側に回すだろう。そこを、私が圧壊させる。塵も残さんさ」


「止めは持ってかれんのかよ」


悪態は吐くものの、グリムはそこまで気にしていなかった。メルシアならば出来るのだ。問題は、術を使うのに霊陣を描くのと心唱する為の時間。メルシアであればそれこそ一瞬の内に仕立て上げられるものだが、当座のフェルには瞬間移動もある。そこで、確実に動きを止める必要があるのだろう。グリムは一瞬、自分が押さえつければいいのでは、と思ったが、それではテレポートで逃げられる可能性もある。メルシアが最初からフェルとの戦闘に参加しなかったのは、恐らく見極めていたのだろう。何にせよ、そこまで議論をしている暇は、ない。


「来るぞ」


メルシアの台詞が終わるのと、フェルが瞬間移動するのは全く同じタイミングであった。その移動先に真っ先にグリムは飛んでいく。どれほどの距離を瞬間移動していようと、太陽の法を発動しているグリムには関係ない。ボロ布の内側からの手と、グリムの槍が格闘をはじめた。その様子を霊覚で追いながら、メルシアは己の周囲に七色の“本”を展開した。金色の光の帯につながれたそれぞれが開く。

先程は隙を突かれたが、単純な戦闘能力で言えば、フェルはグリムに到底及んでいなかった。直接的な真っ向勝負では、フェルはただの一撃もグリムに有効打を決めれていない。“牢獄”はいとも簡単に破られているし、骨の腕は、一本では槍の一撃も耐え切れる代物ではない。かと言って気は抜けない。どれだけの数の腕を焼き尽くそうが、本体を断とうが、グリムの攻撃もまた有効とは呼べるに至っていないのだから。

攻防が続く。空を所狭しと瞬間移動を繰り返しながら、グリムの虚をつこうと狙うフェル。それに追い縋り、攻撃の手を悉く潰していくグリム。フェルは、先程自分のグリムへの奇襲を打ち砕いたメルシアも敵として認識しているようで、時折動きを止め霊力を温存しながら観察を続ける彼女を標的にするが、百節根とグリムの守りを突破できない。そんな状況に飽いたか、突如フェルが生やした両手をグリムやメルシアの方ではなく、己の前面に手を開いて止めた。変化した動きに警戒し距離を詰めぬグリム。と、骸骨の手が何かの玉を包むかのように指を曲げる。そのときだった。


『やれ、グリム!』


メルシアの声が共鳴リゾネインしてグリムに伝わる。彼が答えに狂喜の笑みを浮かべるのと、構えたフェルの手の中に黒色の雷の塊が生成されたのはほぼ同時。

漆黒の雷が放たれる。極太のそれは、人などいとも簡単に飲み込むであろう大きさ。背筋の凍るような怖気と霊気。だが、火の鳥は臆せず、再び飛ぶ。紅蓮の羽ばたきが大気を、雷を紅く燃え上がらせる。空に火の尾を引いて、不死鳥は黒雷を飲み込んで巨大な頭蓋とボロ布を焼き切った。


『彼の者は赦されざるが故に』


それだけでは終わらない。時を飛ばして、再度両断されたフェルを囲う、百足の術陣。心唱と共に帯びる、金色の光。


逃れ得ぬ懺悔シン


金色の陣の内側が、夜闇よりも深い完全な黒に塗りつぶされた。それは、先程フェルが使った業に似ていて、違う。フェルの霊力は色が黒なのである。金色の術式の中の黒は、色ではない。ただ一筋の光さえも逃さぬが故に、黒にしか見えないのだ。

霊呪術、逃れ得ぬ懺悔シン。それは、メルシアが創りし、なおかつ彼女にしか使えぬ秘術。陣中に起こした霊力で相手を押しつぶすのではなく、内側にある霊力を無理やりに爆縮させる業だ。如何に強大な霊力を持っていようと、否、持っていればいるほど、陣に囚われた対象のこうむる被害は大きい。いや、己を構成する霊力の全てを自分自身に叩き込まれるのだ。対抗する準備、それ以上の反則業が無くては、どうしようもない。だが、油断なくメルシアは術の大本の陣となっている百節棍へ霊力を流し続け、爆縮の強制力を高める。

そのメルシアの横に、グリムが帰還した。しばし、音も無いただの無の球体を見つめていたが、不意にメルシアの肩に手を置く。


「……やり過ぎんな。あんまり霊力出すと後が大変なんだろ」


その彼の言葉が指す通り、メルシアの前面に展開されている本のうちの一冊が、他六冊に比べ色を薄めていた。千年の時を生きてきたメルシア。その膨大な時間を生きる力の糧となっているのが、今彼女が展開している七冊の本であった。メルシアが普段童女の姿でいるのは、霊力の消費を抑える為だ。そうして、日々生成される霊力を本に封じ、使う時にそれを紐解く。たが、命を支える本から霊力を引き出している以上、それを失う程使えばどうなるか。想像に難くない。グリムはそれを危惧しているのだった。メルシアもそれは重々承知のことだろう。にも拘らず彼女は放出を納めず、そして呟いた。


「おかしいんだ……」


琥珀の瞳が怪訝な色をして、自らが作り出した巨大な球体の空間、その奥を見る。なにが、とグリムが聞くよりも早く、異変は起こった。

無の筈の、金の術陣の奥に生まれる、白という色。光ではない。ただそこにあると主張する白色は、伸び、うねり、曲がり、広がり、無の中に何かを描いていく。徐々に刻まれていくその印に、メルシアの瞳が驚愕に見開かれた。グリムもまた、気づいて唖然とする。


「おいありゃあ、オルヴスの!」


「ああ……呪印交霊だ」


薄氷に罅割れる音を鳴らして、無の空間に亀裂が走っていく。百節棍が内より押し広げられはじめ、陣が崩れていく。


「フェルに、あんなものを刻むとは!」


焦燥に叫ぶメルシア。グリムは即座に槍を構えた。


「術をやめろメルシア! 俺が――」


叫びは途中で詰まる。フッ、と一瞬グリムは自分の力が抜けていったのがわかった。二度もあの巨大なフェルを叩き割るほどの鳳炎を起こし、尚且つ太陽の法を発動させ続けていた代償。さらに、メルシアの術中より漏れ出した呪印交霊の余波が、刹那制御を余しぬけた彼の霊力を皮切りに、奪っていた。

術が、瓦解する。メルシアが百節根を己の周囲に戻して展開。無の空間より、フェルが解き放たれた。それだけではない。逃れ得ぬ懺悔の中で引き起こされた呪印交霊が、広がっていく。それはボロ布という体躯をそのまま巨大化させ、今尚広がり続ける。不味い、と二人は同時に思った。あの布が街に下りればそれこそ終焉だ。グリムの鳳炎に二度も耐えた理由。気づくのが、遅すぎた。二人の霊気が同時に高まる。遅かった。だが、やるしかないのだ。でなければ、全てが終わり。槍と棍を、二人が手に取った、その瞬間。


「開けぇぇえええええ!」


乙女の絶叫を指揮棒の一振りに、世界は、謳いはじめた。何処からともなく、空から地から、響き渡る声無き声の唄。その旋律に乗り大地より飛び立つ、白き乙女の姿を、二人は見た。


「アーノイス!?」


「なんだよ、あれ」


メルシアとグリムが驚きながら声を発するが、聞かずに気高き純白の翼が羽ばたく。

命を飲み込むべく広がるボロ布を恐れず昇り、辿り着く悪魔の顔面。躊躇無く、放たれた矢の如き速度のまま、乙女の左手が骸骨の一部を掴む。白銀の光を発する左手が、フェルをつれてさらに高空へと舞い上がる。


「アアアアアアアアアアア!!」


叫ぶ。声の限り。己でも意識しないうちに。霊なるものそのものを喰らう筈の呪印も、始終を司る女神には、全くの無意味だ。彼女は昇る。雲を越え、空を越え、辿り着くは夜よりも暗き場所。無限に続く空の向こうをフェルの向こうに見ながら、乙女は止まった。最後の抵抗とばかりにフェルが腕を伸ばす。それを遠ざけるかのように、左手がフェル本体を投げ飛ばした。虚空を描く、骸骨の手。まるで、何かに縋ろうとしているように、見えなくも無い。

離れいくそれを追うかのごとく、白い両翼がその大きさを増しながら折れ、フェルを囲う。両手をフェルに翳し、女神は今一度吼えた。


「消えろ!」


翼が、白く色を変えた頭髪が輝く。翼を構成する羽、その羽毛の一つ一つが瞬時に伸びてフェルの体に巻きつく。そして、両の手の先より起こった光の柱が、完全にフェルを飲み込み消し去った。

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