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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
九章 亡霊と復讐
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―ユレア―

「皆慌てないで! こっちの方を真っ直ぐに、街の出口に向かって!」


そう広くはない道を走る人の群れ。住民の避難を任されたアーノイスは、ともかく掲剣騎士のせいで火の手が上がってしまった場所の一つに向かい、そこで避難誘導に当たっていた。走る人並みの頭に当たらぬよう地面より三メートル程の高さに飛び上がりながら、惑う人々の誘導をしていく。殆どの住民は戦闘はじまってから病む事のない轟音や震動に既に起こされていて、その点の心配はなかった。


「力のある人は子供や老人の手助けを!」


全体の様子を見ながら、指示を飛ばすアーノイス。戦いの音は、今は遠く聞こえている。変わらずに広く展開しっ放しの霊覚にも、異変は見られない。だが、これでは余りに時間がかかり過ぎる。道を走る人々の表情は不安に彩られている。これでは少しでもイレギュラーが発生した場合、一挙に暴動へと発展してしまう可能性が高い。かといって、急がせてもハプニングが起こってしまうかもしれない。何か手はないか、とアーノイスは焦る心を自制しつつ思考を巡らせた。人々をこれ以上急かすのは危険で、街の人も最大限手伝ってくれている。やはり人手が足りないのか。とはいえ、グリムとメルシアは既にあの上空のフェルと何処かヘ逃げたユレアの相手を、オルヴスはクオンの相手をしている。後戦える人員をアーノイスは知らないし、今やアヴェンシス全域に渡っている霊覚にも反応はない。己がなんとかしなければならないのだ。他ならない、鍵乙女アーノイスが。


「……そうか」


己で思い立った言葉、『鍵乙女』が思考に引っ掛かり、一に二にもなく、道走る人垣の先頭へ飛んでいくアーノイス。まだ、街の外にはたどり着いていない。


「アーペナ・ティクレ」


その集団の前に踊り出ると、何ら事前説明もする前に、彼女は烙印術を唱えた。一瞬の内に開かれる、光の扉。人間をすっぽり飲み込むような大きさの楕円状の光の何かを、先頭の一団は止まってまじまじと見る。


「か、鍵乙女様、これは一体」


「この光をくぐりなさい。街の外へ繋がっています」


先頭集団の一人が問うのを半ば遮り、端的に説明を終えるアーノイス。近道は作れど、これに人を通す仕事がまだ残っている。それも相当数の。悠長に説明をしている暇はないのだ。

アーノイスのそんな意思を感じ取ったか、先頭の男の一人が怖々ながらも光へ少しずつ手を伸ばし、近づいていく。その指先が光に触れた、途端。吸い込まれるように光へ消えていく。その彼に続くように、一人、また一人と光の中へ飛び込んでいく。どうやら納得してくれたらしい、とアーノイスは安堵する。と、同時だった。


『何が起こっているんだ!?』『鍵乙女様? 騎士様達はどうしたのかしら』『怖いよ、お空が怖い』『私らをお助けください女神様、鍵乙女様……』


不意に響き始めた“声”に思わず耳に手を当てるアーノイス。だが、それは音の、振動により伝わってくる声ではなかった。胸のうちに直接入り込んでくるような声。アーノイスにはそれに覚えがあった。門の儀式の最中とその後少しの間。絶え間なく入り込む、冷たく怖ろしい響き。だが、今回のものは質が違った。いつも感じる、仄暗さがない。それも、聞こえてくる場所がなんとなくわかった。間違いなく、今目の前で惑いながらも逃げている人々のものだ。誰、という確証はないが感覚でわかる。今聞こえてくる声は、生きている。だが、一つの不安もあった。これまで声は門の開閉とその後くらいにしか聴こえてくるものではなかったのに、何故今、突然になって声が、それも死んだ霊魂たちのではなく、生きている人々の声が聞こえ始めたのか。

いや、とアーノイスは頭を振る。今はそんなことどうだっていい。今は、この無辜の民衆を災厄より遠ざけ守ることが先決だ、と。








「おらそこだぁあああああ!」


アヴェンシス街中。狭い通りの一角で、赤髪の青年が雄叫びを上げる。右手で、槍の柄の中程を握り、それを突き出し地面を蹴り爆ぜさせて直進する。突き進む通り道を焦げ付かせながら、地走る紅蓮の流星がある一点の空間に衝突し、その空間を砕いた。硝子のように簡単に砕け散った亜空への境界、そこからユレアは吹き飛ばされて背後の建物群をいくつか突き破り、太い街灯の一つに激突しようやく止まった。


「ごふっ……」


衝撃に止まった呼吸を取り戻そうと咳き込む。それにはかなりの量の血が混ざっていて、足元に大きな染みを作った。そんな彼女の目の前へ、空から先ほどの青年が降りたち、手にした槍の矛先を向ける。


「やれやれ。面倒くせえ鬼ごっこはそろそろ飽きたぜ」


面倒くさい。そう簡単に語る彼だが、それが尋常ではない事をユレアはよく知っていた。鎌で切り裂いた先の空間は、この世であってこの世ならぬ場所のはずなのだ。通常では見ることも触れることも適わない、本当に存在しているのかどうかもわからない場所。

そんな場へいとも簡単に干渉するから、彼女の持つ鎌は魔具と呼ばれるに値するのだ。それを、青年は、グリムは面倒だと言うだけで別段苦労する様子はない。


「……本当に、どうかしている。貴方がた親子は……」


息を切らし、口端から血を垂らしながらユレアは苦言した。その台詞に、グリムの目がものうい様を見せる。


「それでもお前は親父を倒した。まあ走れもしねぇジジイ一人やったとこで、別に驚きはしねぇが」


「それが、どうかしている、というのですよ」


先の戦闘でユレアはもはや満身創痍であった。額からの出血は止まらないし、全身は煤汚れ至る所に痛みが走る。鎌を持つ手は先程の一撃を受けた衝撃のせいで、もはや感覚がない。ついでに脳も揺さぶられたのか、果たして自分が正常に立っているのかも、今の彼女には確実ではなかった。しかし、と彼女は左手を動かす。動かしてから、鎌は右で持っているのだとわかった。


「……もうやめとけよ。お前じゃ役不足だ」


ユレアの手が眼帯にかかっていることに気づいたグリムが、そう呆れて呟く。殺気はおろかまともな霊気も、今のユレアからは発されていなかったからだ。霊気は感じられるが、ひどく不安定で今にも消えてしまいそうだ。


「やってみなければ、わからないでしょう」


勤めて冷淡に、ユレアは言い放つ。グリムは嘆息した。どうしてもやるというのなら、彼は戦わなくてはならない。グリムはもともと戦うことが好きだが、それは単一にせよ数にせよ、ある種に強さを持った相手に限りだ。今現在、目の前で虫の息となっている者に攻撃を加えるのは、好まない。だが、降り掛かる火の粉は払わなければ火傷を負う。

グリムの霊気が高まり、爆炎となってその身を覆い、踏み込むために力を込めた左足下の地面がひび割れる。ユレアの感覚のない左手が眼帯に指をかける。ほぼ同時に動いた両者。だが、その先の行動を完遂することは、互いになかった。

二人の真上より飛来する、莫大な霊気の塊。それはグリムとユレアのちょうど間に割ってはいるように墜落し、さらにもう一つ同程度の霊気を持った存在が落ちて粉塵と土片と衝撃と轟音をもたらした。内側より、誰かが発した霊圧に吹き飛ぶ粉塵。飛来した二つの存在が明らかになる。


「オルヴス!」


「クオン様……」


ユレアの前に立ちはだかるように、鏡の剣を構えるクオンと、その前で拳を地面に叩きつけた格好で顔を上げる、オルヴスの姿がそこにはあった。


「喋るな、ユレア。どうやら無理をさせ過ぎたようだな」


クオンが剣を収めて振り返り、血と埃に汚れた頬に手を当てる。ユレアの眼が驚きに少し見開かれるが、すぐに眼を閉じ、そのまま糸が切れたように倒れた。横たわる彼女を、クオンは片手で抱える。

対峙するオルヴスも体勢を戻して立ち上がり、数歩後退りしてグリムの横にならんだ。すかさず、グリムが口を開く。


「よう。調子はどうだよ」


「グリム……いつの間に」


クオンとの戦闘、審判団との一件で霊覚を他に巡らせている余裕のなかったオルヴスは、グリムが着ていることに気づかなかったようだ。戦闘中なら仕方ないと、グリムは特段気にした様子もなく、言葉を返した。


「まあさっきな。今メルシアが操られてる掲剣騎士とお空のフェルの相手。お姫様は住民の避難誘導中。んで、俺は掲剣騎士を操ってるそこの嬢ちゃんの相手ってこった。まあ、これで敵の頭が出てきたわけだ……終わりだな」


最後の一語に重い響きを乗せて、グリムは槍を一回転させて構えると共に、霊力を開放する。収まりきらぬ熱気と火の粉が彼の周囲に渦巻き始めるのを、オルヴスはあろうことか片手で制する素振りを見せた。怪訝な顔をするグリムを余所に、倒れたユレアを抱えたまま動かないクオンに数歩、近づいて言った。


「まだ続けますか? 貴方の復讐はもはや終わった。それとも、足りませんか?」


冷淡ながら穏やかな問いをするオルヴスの背を見て、グリムは思った。「らしくない」と。復讐が終わった、というのが何を意味しているのかわかるわけではないが、だとしてもこれまで脅威の存在であったエトアールの頭が、こうして無防備でそれも一人で居るというのに、攻撃を仕掛けるどころか撤退をそそのかしているようにも見える。グリムの知るオルヴスという人間なら、この機を好機以外の何物でもないと捉え、即座に眼前の二人を粉砕していただろう。それは、鍵乙女、アーノイスにとって脅威となるからだ。

だが、それを今の彼はしない。それがグリムには引っかかってどうしようもなかった。

沈黙が流れる。数秒続いたその静寂を、破ったのは、クオンの腕の中のユレアだった。


「クオン……私は」


弱弱しく、右手が伸びてクオンの仮面を奪う。


「私はもう、貴方に……傷ついて、欲しくありません」


仮面を手にした右腕が降り、力なくした指先から仮面が地面に落ちて、カランと乾いた音を鳴らした。閉じた隻眼に一度だけ、クオンは優しく触れると、何処からか捕魔の籠を取り出し、ユレアへ近づける。籠が開き、漆黒の中にユレアの体が吸い込まれ、クオンは再び籠を何処かへと消した。そうして、仮面は拾わずに、ゆっくりとオルヴス達の方へと振り向く。


「……エトアールの民、国は、アヴェンシス教会に全てを奪われた」


静かに、クオンは語る。そこにあるのは大きな、大きすぎる悲哀と僅かな憤怒の響き。


「故に我は誓った。奪われたものは、全て奪い返すとな」


「それは、亡き者達へですか?」


「いいや」


オルヴスの問いに、クオンは首を振った。


「ある一人の、我と同じく生き残った女に、な。だがその女は、もう我に戦って欲しくないようだ……魔狼、そしてグリム。貴公らなら、どうする?」


そして問う。何を、と余りに予想外のことに言葉を失ったグリムに先んじて、オルヴスが答えた。


「誓いを破ることでその人が救われるのであれば、僕はそうしますけどね。ですが、けじめはつけるべきでしょうね」


「……そうだな。俺は難しいことは考えねーけどよ。やると決めたことぐらいはやらねぇと後味悪ぃだろ」


返答を受け、クオンはそうか、と口にし、俯く。


「ならば」


クオンの全身から霊気が膨れ上がった。オルヴスとグリムもまた、戦いの姿勢を取る。


「付き合ってもらおう。我の、戦いにな」


パチン、とクオンの指がなる。同時、空が歪み始めた。上空を覆っていたフェルが流動する泥のように一点に集まり、何かを象ろうと蠢く。


「こやつはエトアールを食いつぶしたフェルに、さらに贄を食らわせたモノ。我が祖国の怨恨を形にしたものだ」


蠢いていたフェルが形を作り始める。まず出来たのは、幽鬼のような雰囲気を放つボロ布の塊。その中から、歪に白い骸骨が顔を出し、捩れて本来の人骨と真逆を向いてだらしなく顎を開く。ボロ布が広がり、風に揺れるようになってさらにそのおぞましさを煽る。開いた口腔の中で、三点の血の色の光玉が生まれた。


「オオオオオオオオオオオオオオ!!」


何処からか、全身から雄叫びをあげる異形の幽鬼。魂を恐怖に震わせるような声に呼応して、二本の骸骨の腕が伸びた。


「フェルは、この世の何かを司ってその形をつくるという。それは時に風であり、炎であり。ならば、かつて大きな死を運び、また死を食らい今に至るこいつは果たして、何をもたらすか」


「グリム、フェルの相手をお願いできますか」


空を仰ぎフェルを見るクオンに一歩踏みより、オルヴスはそう言った。これまた相手を選ぶとは珍しいことだ、と少々の感慨を持ちながら、グリムは頷いた。


「まあいいぜ。どっちでも楽しめそうだからな。だからよ、ヘマすんじゃねぇぞ」


「ええ」


それ以上の言葉は要らない、とグリムは上空の幽鬼に向かって飛び立つ。その様子を、オルヴスは見ずに背の向こうに感じるに留めた。フェルを見ていたクオンもまた、オルヴスへと視線を向ける。すると右手を差し出し、そこに掌にちょうど乗るくらいの水晶のようなものを出現させた。


「これは、異なる空の封じられた晶玉だ。我の戦いに付き合ってもらう礼として、招待しよう。ここならば、何も気にする必要ない。この中はそういう場所だ」


口角を上げながら、クオンはオルヴスを見る。オルヴスもまた、口元だけ笑った。


「助かります。これで、建物などを気にする必要がなくなるのですから」


「そうか。では、行こうか」


水晶が光輝く。球状に広がる光が二人を包んだ頃、それは急速に収束し、元に戻るとともに二人は姿を消していた。ゴトリと落ちる、水晶だけを残して。

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