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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
九章 亡霊と復讐
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―矛―

轟音が始祖教会そのものを揺らす。剣の如き頂上は震え、その振動は掲剣騎士団の修練場や宿舎のある地下にまで及んでいた。そんな始祖教会の地下で、時折パラパラと土片の落ちる天井を見上げる者が一人居た。場所は、掲剣騎士団の修練場の、その一つ。土に上に石の板をタイル状に敷き詰めただけ、壁にはそれなりの装飾はあれど地上の教会と比べると質素な造りの、五百平米ほどの広さだけはある一室、いや一空間だ。


「オルヴスか……あいつは教会を壊すつもりか? 全く」


壁にいくつも据えられた室内灯の、薄暗い燈赤の灯りに照らされるその人物の、身に纏うものは教会の白い司祭服。短い茶色の頭髪をした、壮年の男性だ。だが、司祭でありながら今の彼は煙草を燻らせて、その煙草を持つ手も、そこから伸びる肘そして額にも血が付着していた。だが男の体に傷があるわけでもない。ただ、面倒くさそうに小さな山の上に座って煙を吐き出しているだけだ。


「しかし、掲剣騎士も質が落ちたな」


言いながら、彼は座り込んでいる足元に煙を吹きかける。そこには、人間の顔があった。それだけではない。その“小山”には手足や胴といった人間の体で出来ていた。そう、山の正体はうず高く詰まれた人の、掲剣騎士達の体である。どうやら死んでいるわけではないが意識はないようで、口から鼻から血を流したり手足が人体の稼動域を越えて折れ曲がったりしている。見るも無残な状態だが、命があるだけまだというものだろうか。そんな人間が幾重にも重なり、男の座る山を形成していた。

一息、司祭は煙草を深く吸い、また大きく吐き出す。と、同時。火種ごとのその煙草を握りつぶすと座った体勢のまま、その拳を己の右後方へと打った。陶器の砕けるような鈍い音を立て、男が放った裏拳が何もないはずの虚空を破り、その先の亜空にある一本の棒とかち合う。


「姿を見せろ。故国の者よ」


そのまま棒を掴み亜空より引きずり出して無造作に己の前方へと投げつける。棒にはエプロンドレスに身を包んだ持ち手がおり、その人物もまた、投げられて宙を舞いながら体勢を立て直し、実に自然に男の数メートル先に静かに着地した。


「夜分遅くに失礼致します。アヴェンシス教会大司祭、アバン=ティレド殿」


棒――鎌の柄の先を床へ突き刺し、スカートの裾をつまんで恭しく礼をする“故国の者”、ユレア。アバンはその様子を呆れと、何処か憐憫の混じった目線で見ながら、ゆっくりと腰を上げた。そうしてゆっくりと、それこそ一歩一歩確かめる足取りで、騎士の小山を下っていく。


「騎士達を操ったのはお前か?」


責めるわけでもない投げやりな声でアバンは問う。しかしユレアはその問いには答えず、突き立てた鎌を引き抜いてその先端をアバンに向けて構えた。


「答える義務はありません。ただ、貴方にはここで伏していただきます。ティレド司祭」


冷淡と告げられる言葉に、アバンは溜息を交えて返答する。


「わざわざ取りに来られるような首ではないのだがな」


「いいえ。故ダズホーン掲剣騎士団長と共に並び立った実績。かつての、アヴェンシスが誇った最強の矛。アバン=ティレド。どうして見過ごす事が出来ましょうか」


調子の変わらないユレアに、アバンは再び、先ほどよりも深い溜息を吐いた。

今より二十年以上前。アヴェンシス教会にはある二人の騎士が名を馳せていた。いかなるものをも打ち砕く矛、翳刃騎士アバンと、あらゆるものを寄せ付けもせぬ盾、従盾騎士ダズホーン。だが今の彼は司祭。戦いとは無縁の立場に居る。だが、第一線は退いたもののその力は、素手で暴徒と化した騎士達をいとも簡単にねじ伏せるくらいに残っていることは、明らかだ。ユレアはそれを危惧してわざわざ彼を仕留めに来たのだろう。


「お覚悟くださいませ」


「とうにしている」


一言づつの言葉を交したその瞬間、アバンとユレアはほぼ同時に動いた。お互いに立っている位置からは動かず、ユレアは大鎌を振り上げ、アバンは右腕を引く。そして刃が振り下ろされて拳が振り上げられた。鎌の刃が空間を裂いて埋まり、アバンの胸元間近の空間を再び裂いてその凶刃を覗かせる。司祭服の内側、アバンの体の奥、心臓を狙って迫るその刃を、アバンの拳が跳ね飛ばす。刃そのものではなく、刃の根元、この空間にはまだ現れていない筈の柄を、亜空を無理矢理にこじ開けて殴り飛ばしたのだ。真っ向からの力勝負では、片腕でもアバンに分があるようで、ユレアは鎌を跳ね上げられ、二、三歩たたらを踏んだ。


「魔具か。だが、その術がかかっているのは刃だけだ。そこにあるのがわかれば、捉えるのはそう難しいことではない」


右の拳を左の手で掴み、体をほぐすかのように指を鳴らし首を捻りながら、アバンはゆっくりとした足取りでユレアへと近づいていく。だが、彼が近づくよりも前に、ユレアが床を蹴った。石板の床が砕け、その音がアバンに届くよりも遥かに早く、大鎌の刃はアバンの首元へ迫っていた。そのまま進むだけで、空間をも意図も簡単に切り裂く魔の刃が、アバンの首を刎ねるだろう。しかし、刃はそれ以上進まなかった。無骨な、どうしようもなく節くれだった太い五本の指が、峰のほうからその刃を掴み完全に止めていた。


「幾分かは速い。だが」


刃を掴む指に力が篭る。普通の剣などの刃ならば既に砕け散っているだろう。そんな力で、無理矢理にアバンは鎌の刃を高々と持ち上げた。当然、その鎌の柄を握るユレアは抵抗して引こうとするが、ずるずると引き摺られてしまう。


「足りんよ」


アバンは無下に言い放つと共に、上半身を捻って己の後方へと大鎌とユレアを投げ飛ばした。高く大きく宙を舞うユレア。だが、それでも鎌は手放さない。それどころか霊翔で体勢を立て直し、勢いを殺すべく床へ鎌を振り下ろした。その動作を首をめぐらせた形で見ていたアバンの眼が見開く。ただ、投げ飛ばされた速度を殺すために、鎌でブレーキをかけている。それだけの様子に見えたユレアの動きは、しかしてそれだけではなかった。だがアバンがそれに気づいた時はもう、数瞬ばかり遅かった。

鮮血が、舞う。


「ぐっ!」


呻き、右の手で左肩と腕の付け根を、左手指で、空に開いた孔から伸びる刃の根元を掴むアバン。ただ床に突き刺しただけに見えたユレアの鎌は、その実土中の中で空間を裂いてアバンへと襲いかかっていたのだった。すんでのところでそれを察知したアバンだったが、先ほどのように防ぎきることは出来ず、左の肩に刃が食い込んでいた。ユレアはその様子を、やはり何の感情も見せない隻眼で確かめて、鎌を戻した。アバンもそれには抵抗せず、刃が肩から抜けて亜空へ戻っていく。


「避けることも出来たでしょう。何故受けたのですか?」


大鎌を構えなおしながら、ユレアは静かに聞いた。そう、咄嗟に鎌の刃を指で掴むくらいのことが出来るならば、一足でも跳んで避けた方が良いに決まっている。投げ飛ばされた状態でユレアの方も完璧に狙いが定められるわけもないのだから。だが、それを敢えて刃を受けたように、ユレアには見えたのだった。そうして聞かれた彼女の問いを、アバンは鼻で笑う。


「気にするな。私もいい加減いい年だということだ」


そう言って、アバンは自嘲の笑みを浮かべながら、血の付いた右手を修道服の中に入れて、何かを取り出した。ユレアの隻眼に警戒の色が差す。


「素手では限界があるか。仕方ない……久しぶりだが、まあ、なんとかなるだろう」


掌を上に向け、アバンは手を開いた。指先にまだ生暖かく滴る血に塗れた手の中にあるのは、小さなルビーのあしらわれた指輪であった。霊覚を張り詰めてユレアがその正体を見極めるべく集中するが、その指輪からはごく微量の霊気しか感じられない。アバンのものとは違うようだが、それだけだ。


「来い。我が剣、ベゼル


淡々と、アバンは指輪を見つめながら呟く。その文言に応えるかの如く、一瞬ルビーが紅く輝き――そして。破砕音が修練場の天井を突き破った。

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