―姉妹―
教会の廊下をしばらく歩いたところで、それまでずっと続いていた沈黙をシュウが破る。
「相変わらず御苦労なことだな従盾騎士サマも」
「いえいえ。買物に行きたかったのは本当ですしね」
「ま、後はミッツァが気づかねぇと姉妹水入らずにはならねぇけどな」
久しぶりの再会である。姉妹同士つもる話もあるだろうというオルヴスの配慮。それに乗っかったシュウとイラだったが、そういえばあの場にはもう一人居たのだった。別にオルヴスとて失念していたわけではないが、あの場でミッツァをオルヴスが連れだすのもおかしいだろうし、正直シュウとイラが着いてくるとは思わなかっただけに、それで良しとすることにした。
「まあそれにペルネは王女様だからな。一口にひき肉とか言ったって、その辺のじゃひき肉に見えねぇかもしんねーし。義姉上と違ってずっと旅してるわけじゃないからな」
そんなシュウの台詞に、オルヴスはああ、と納得した。さらに笑って言葉を付け足す。
「流石、婚約者の事は良く理解している。と言ったところですか」
からかうかのような言葉に、シュウは舌打ちだけで言葉を返さない。とそこにイラが割って入った。
「舌打ちは兄さんの照れ隠しです」
にやり、とでも聞こえてきそうな程悪戯な笑みで、イラは言う。成る程、とオルヴスが頷き、やはりシュウはまた舌打ちをする。
「ああ、くそっ」
してから自分で気づいて、悪態をつき、オルヴスとイラからそっぽを向いた。
「おっと、怒らせてしまったみたいですね」
「兄さんはマゾだからこれくらいが調度良い」
苦笑するオルヴスとは対照的に、イラは随分と愉しそうである。シュウとは以前にも会ったことの有るオルヴスとしては、彼がこうも簡単にやり込まれている姿は新鮮に映った。そんなオルヴスの思考を呼んだのだろうか。気を取り直し、シュウが口を開く。
「良いから行くぞ。お前らに付き合ってたら日が暮れる」
「もう夕方になりますけどね」
「イラさん、そこは黙っておいてあげましょうよ」
そんな会話を広げながら、三人は始祖教会を出て行き、アヴェンシスの街の中へと向かって行った。
オルヴス達が去った後の談話室。シュウの言っていたミッツァだが、オルヴス達がいなくなるや、「そうだ、メルるんに会って来るング!」と何やら思い出して、飛び出すように談話室を出て行った。果たしてそれが空気を上での行動だったのか、そもそもメルるんなる人物が誰なのか、誰にもわかる筈はないが、とにもかくにも測らずして、姉妹は二人きりで水入らずの話に花を咲かせていた。主にペルネッテが、王宮で会った事、ロロハルロントで会った事また婚約者であるシュウの事、その妹のイラの事などを話していた。アーノイス自身もシュウとは面識があるが、イラはまだ彼女が王宮に居た頃、誕生の瞬間に立ち会ったことがあるくらいでよくは知らなかった為、将来の妹の義妹となる人物の話には特に耳を傾けていた。
笑い話や他愛もない話に少しの愚痴を混ぜたりして、姉妹は一年ぶりの再会を喜びあっていた。ペルネッテの話がようやくひと段落し、お互いにお茶を淹れ直した所で、今度はアーノイスが先に口を開いた。しかしそれは、これまでの雑談とはわけが違い、少し憂いを帯びた瞳での話であった。
「ごめんなさいねペルネ。本当なら私がロロハルロントに帰るべきなんでしょうけど」
いつもこの時期、旅が終われば一応、アーノイスはロロハルロントへ帰っていた。鍵乙女となった時から、彼女の王女としての立ち位置はないに等しいのだが、ペルネッテにとっては姉であり、またロロハルロントの国民にとっても、彼女は世界で唯一の鍵乙女に選ばれた奇跡の存在だ。またアーノイスにとってもやはり故郷は故郷である。その点を加味し、ペルネッテの進言もあって、ロロハルロント王宮のアーノイスの部屋はちゃんと残されている。
アーノイスは、そうまでされているのに戻れなかった事を謝罪したのだが、ペルネッテはまるで気にしないと言うように首を振った。
「今は大変な時期ですもの。私がこうして姉様に会えただけ良い事だと思います」
笑顔で言い切る妹に、改めてアーノイスは敵わないと思った。一見、物腰柔らかな彼女は大人しく見えるが、その実は逆で、ペルネッテという人物は非常に行動力がある。今回、こうしてアヴェンシスに来たのももはや三度目くらいだろうか。その内二回は彼女を迎えに来たのだが、それにしても、である。また、本人の言うとおり、エトアールの事もあり今は大変な時期で、万が一旅の途中に危険があるとも限らない。故に、ペルネッテ達がこのアヴェンシスに来るとの趣旨が書いてあった手紙を読んだ時は、すぐにやめるように返事をしたためたのだが、手紙が教会に来た頃には既にペルネッテ達はロロハルロントを出てしまった後で、なし崩し的に現在に至るというわけである。だが、やはり家族と会うというのは心休まるもので、アーノイスも今更小言を言う気にはなれなかったのだ。
「姉様、私から一つ聞いてもよろしでしょうか」
唐突なペルネッテの言葉に、一瞬返事が遅れたアーノイスだったが、取り敢えず了承の意を示した。それまでずっと嬉々として顔を綻ばせていたペルネッテの表情に影が差す。
「アングァスト会戦。武国ノラルとの戦で、姉様も戦っていた、というのは本当でしょうか」
アングァスト会戦。ノラル。その二つの言葉に、アーノイスは息が詰まった。意識しているわけでもないのに、どうしても思い出してしまう。傷はとうに塞がっているというのに、疼く右肩。自らが惨殺した白く美しい幻獣。直立のまま息絶えた王。戦いが終わり、尚飛んだ鮮血。感情の見えない表情で崩れて行った、王妃。思わず、アーノイスは左手で自らの右肩を潰してしまいそうな程強く握り、苦々しげに答えた。
「……本当よ」
「そう、ですよね……ロロハルロントまで謳われていますもの。“光持つ鍵乙女。闇払う鍵乙女。あれが我らの求めた救済の戦乙女だ”と」
ペルネッテの言葉に、アーノイスは驚いた。ノラル国に乗り込みその頭を殺したのだ。何かしら伝わっているだろうとは思っていたが、よもや戦乙女とまで呼ばれているとは知らなかったからだ。それは、確かに民衆からの賞賛の言葉なのだろう。事実、アングァスト会戦の死者数は、あれほどまでに突発的かつ不利にはじまったというのに、犠牲者は千人にも満たなかったとは聞かせれていた。しかし、とアーノイスは歯噛みする。逆に言えば、あの戦いで千人近くの命が失われたということだ。しかもそれは、アヴェンシスの掲剣騎士だけを数えた数字だ。ノラルの方で同じだけ死んでいるとしたら。もしかしたら、それ以上に死んでいるのかもしれない。そう思うと、とても喜ぶ気にはなれなかった。
「嬉しくは、なさそうですね」
「それはそうよ。だって、人を殺したのははじめてだもの」
ペルネッテの沈痛な声音に、アーノイスの肩を掴む力が増す。その手は震えていた。実際に言えば、彼女自身が手を下したのは天馬であるクルスだけである。だが、彼女がミヅガルヅへ直接乗り込んだ事で、オルヴスとルギフが戦い、自らもまたココとクルスと戦って、結果死んでいる。目の前で、愛していたのだろう夫の振るっていた刃で自決したココの姿は、人の死んでいく一つの姿として、どうしようもなくアーノイスの心に刻みつけられていた。
「人って、簡単に死ぬのね。簡単に死ぬのに、傷つくのは本当に痛い。死ぬのって、どのくらい痛いのかしらね」
悲哀に暮れた声を、今にも崩れそうに弱弱しく紡ぐアーノイスの左手を、ペルネッテは身を乗り出し両手で引き剥がして優しく掴む。両手のなかにある、震えている姉の手の感触を確かめるように目を瞑って、そのままペルネッテは言った。
「私には、戦う力はないから、人を殺める怖さも苦しさも知りません。でも、姉様が自分を削って得たアングァストの勝利で、命を繋いだ人が居たのも、事実の筈です。それは、誇っていいんじゃないかと、私は思います」
彼女の言葉通り、アーノイスの名声はロロハルロントまで届いている。門が破壊されているという現状であっても、民衆の希望が失われていないのはきっと、そこに由来する部分もあるのだろう、アーノイスもまた思った。だがそれで、あっさりと納得出来るようであれば苦労はしない、と一瞬、ペルネッテに包まれた手の中で堅く握り締められるが、それはまたすぐに解けた。
力が解かれたのを確認し、離れるペルネッテの手。アーノイスの手はそのまま自分の所に戻らず、今度は彼女が身を乗り出してペルネッテの頭を撫でる。
「ありがとう。ペルネ」
短く、そう告げて手は離れた。それが、形ばかりの礼であった事もペルネッテは悟っていたが、それ以上はなにも言わない。どうにかしたいという気持ちはあれど、言葉で語る以上の事が思いつかない彼女は、今こうして姉が見せてくれた虚勢を張るだけの優しさを、無下にする事も出来なかったからだ。