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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
八章 戦と死
123/168

―破壊―

霊峰アングァストより遥か高空。もはや空を突き抜け、暗き空との境界線に、クオンとユレアは居た。


「ノラル王が死にました。王妃も後を追い自決した模様です」


魔眼を解放し、地表の何処かを“視る”ユレアがそう告げる。


「そうか。惜しい男を失くしたな」


クオンは淡々とした声でそれに応え、仮面の奥の瞳で地表の一点を見つめた。そこは、霊峰アングァスト。麓では未だ王の死を知らぬノラル兵達が、勝利を確信して己の命を賭け、それを押し止め、民を護る為に戦うコルストの兵達もまた己が命を賭して戦っている、戦場。それを起こした他でもない張本人は、笑っていた。かつてエトアールと親交のあったノラルの王へと取り入り、また同時にアングァストを遊覧中の王女を狙撃してソートの森へ落とす。その上で彼女を助け出すという三文芝居を打ち、亜空へと閉じ込める。鍵乙女らと遭遇した際に“依頼”だなんだと適当な言葉を巻いて不信感を煽って置き、ノラルへは姫がアングァストへ奪われてしまったということにしておいた。それだけで、戦争は起こった。

と、ふとクオンは嗤うのを止めた。全体の事の運びは、ほぼ、彼の思い描いていた通りだ。ただ、二点だけ。ボーヴとナツの死だけは、看過出来る事ではなかった。


「……ボーヴは霊魂ごと消え失せ、ナツは、最期に自らを魔具として逝った、か」


呟きながら、手の中でナツが最期にユレアへと渡した笛を弄ぶ。しばらく何を思ってかそうしていたが、笛を、空間へしまい、再び眼下の霊峰へ顔を向けた。そしてそのまま、冷たい声音でユレアへ告げた。


「フェルを放て。はじめるぞ」


「御意」


右手を胸の前に持って行き、その指先に“歪み”を、報復者アンサラーを呼び出す。血色の刃が、引きずり出されるようにクオンの手元へとやってくる。それを指先だけで掴み、クオンは落ちていった。真っ直ぐに向かうは、霊峰アングァスト、その頂上。そう、門のある場所であった。






「――フェル、だと!?」


アングァストの膝元。戦場のど真ん中でノラルと戦っていたメルシアが、突如空を見上げ叫んだ。琥珀の瞳に見える、上空より飛来する異形の者達の姿。何の前触れもなく、彼らは突然としてそこに現れていた。そこで、メルシアは思い出す。エトアールの連中が、フェルを扱うという話を。

青天の霹靂の如く戦場へ舞い降りたフェルの大群に、ノラルもコルストの兵達も動きが止まる。大小様々、三桁に登らんとする数の異形達は、全て“生けとし生けるもの全て”に仇なす化物。そう。動きの止まったその場にいる全ての人間達に対し、フェルは攻撃をはじめた。ノラルもコルストも、彼らには区別はない。一瞬のうちに、数百もの人がその命を散らした。

メルシアは逡巡した。このフェル達は明らかに、人為的にこの場へ運ばれた者共だ。ならば、その元を断てばこいつらは消えるのか。だが、そうでなかった場合。居場所もわからない奴らを倒すのに時間がかかってしまった場合。大きな被害は免れないだろう。

そんな思考するメルシアの霊覚が、炎の塊が走るのを捉えた。それは真っ直ぐにフェルの元へ向かうやいなや、数体を一瞬のうちに消滅させた。


「何やってんだメルシア! ボーっと突っ立ってる暇はねぇだろ!」


フェルの大群に一人飛び込んだグリムがそう叫び、向かって来るフェルの攻撃を槍で凌ぐ。


「ま、そういうこっちゃな。目の前に事態に取りかかるしかねーやな。戦場じゃ」


「そういうことね」


さらに、メルシアの背後より二つに人影がグリムの元へフェルの集団の中へ飛び込んで行く。翳刃騎士団長バーン、そしてアンナであった。

一歩後れ、歯噛みして、メルシアも戦列に加わる。術を放ちながら、彼女は霊覚で探知し続けた。エトアールの亡霊、取り分け仮面と男と鎌を持つ女の霊気を。だが、ただでさえ人間だらけな上に強大な霊気を放つフェルまでもが入り乱れるこの場、その上戦いながらであっては、流石のメルシアと言えど、たった二人の人間を見つけ出す事は困難を極める。諦めかけた、その瞬間。彼女は霊峰の頂上に、四つの存在を感知した。頂上に居たボーヴはグリムが倒した。なら、そこに居る存在は間違いなく、新たにこの場に現れた存在。そしてそれはまごう事無きエトアールの二人と、鍵乙女と従盾騎士の霊気であった。






垂直に、クオンは門の元へと落ちて行く。重力に身を任せたまま降りて行く彼の速度ならば、後一秒も要さず、門の元へと降り立つ、筈だった。アングァストの頂上に、何の前触れもなく現れる、光。それは烙印術の創りし、扉だった。


「見つけたわよ、エトアール!」


扉を潜るや否や、アーノイスは叫んだ。その眼に宿るのは狂気にも似た憤怒。叫び声と共に、五本の光糸がクオンへと襲いかかる。

クオンはいきなりの登場に一瞬驚いたが、すぐに平静を取り戻し、光の糸五本を全て、血色の刃で切り裂く。既にノラル王妃との戦いで傷ついたアーノイスに、彼を止める程の力はない。そして。


「クオン!」


それはまた、ルギフと戦ったオルヴスもまた同様であった。両手に青白い霊光を纏わせ迫りくるオルヴスを、クオンは報復者すら使わず、蹴りだけで吹き飛ばす。そして、当初の予定通り、彼は門の直前へと着地した。吹き飛ばされたオルヴスもまた体勢を整えてアーノイスの隣へ着く。両者の距離はおおよそ十メートルといった所か。


「よもやノラルから真っ直ぐこの場所へ来るとは思いも寄らなかったぞ」


愉快そうに、クオンは喋る。怒りに奮えるアーノイスとは対照的に、嫌味な程の余裕の笑みで。


「だが、その様子では相手にならなそうだな」


「黙れっ! お前が、お前がいなければ!」


激しく茹る感情をむき出しに、アーノイスは声を荒げた。だがそれだけで、もはや負った傷と烙印術の反動を負った彼女は、立つ事すら出来なくなってしまう。ふらつき、倒れる彼女をオルヴスが支える。だが彼もまた、負傷している身だ。先程もクオンに軽くあしらわれるほどに、その消耗は激しい。


「そこで大人しく見ているがいい。我らの本懐が遂げられる、その最初の一歩をな」


酷薄な笑みを浮かべ、クオンは門へと振り返った。身の丈を大きく超える、木でもなく、石でもなく、金属でもない堅く分厚い“門”。神聖さと底の見えない不気味さを同時に内包する、古代よりの遺物。女神により造られたとされるそれは、時代が変わってもどれほどの時が経っても、変わらずそこに有り続けた。世界に救済を与える為の装置として。門、とは即ち鍵乙女と同様、存在自体が人々の希望であるのだ。故に、人々がそれを視る時の視線は畏敬と期待。しかし、仮面の奥のクオンの眼はそのどちらでも無かった。アーノイスが今彼に向ける怨恨の視線と同様に、もしくはそれ以上に、クオンは門へ憎悪を叩きつけていた。


「……我が憎いか? 鍵乙女」


門へと向いたままで、クオンはそう口にした。平静な口調で、それまでとはうって変わって小馬鹿にした様子はない。


「当たり前よ。貴方達がこんな戦争なんて起こさなければ、今死ななくていい命だってあった!」


しかし己の体すらまともに支える事も出来ない状態のアーノイスが、そんな機微に反応するわけもない。ただ彼女は、憤っていた。目の前の、背を向けた男に。何よりも、そんな男を目の前にしながら、一矢も報いる事の出来ない己に。それだけで精一杯だった。

そんな彼女の答えに、クオンは仄暗い声で告げる。


「我も同じだよ鍵乙女。同じように、我はこの門が、鍵乙女というシステムが、それを強要する教会が憎い」


クオンの右手が、血色の刃を掲げる。


「故に我らエトアールは、その全てを破壊する!」


報復者アンサラーがクオンの声に応える。血の色禍々しく、光を放った。血色の鮮光が、門を両断する。女神により創られ、過去千年に渡って傷一つつく事のなかった、人々の希望が、崩れた。轟音と共に、袈裟に切断された門が崩れ落ちる。


「――あっ、アアアアアァァアアア!」


それと同じくして、アーノイスが苦悶の叫び声を上げた。烙印が勝手に光輝いている。術を使っているわけでもないというのに、まるで呼び起こされているかのように。共鳴するかの如く、切り崩された門が白く、紋様すらわからない程に白く染まり――夥しい数の光球を、空へ向けて吐きだした。鍵乙女の儀式の時に現れるものと同じものと思われるが、その色がおかしい。門を開いた際には色とりどりながら全て純粋な色を持ち放出されていくというのに、今ばかりは門を閉じる際に到来する漆黒が混じったような、濁った色をしていた。門が壊れた事で、強制的に儀式がはじまってしまったのだとしたら。アーノイスは今唐突に、“霊魂の声”を聴かされている筈だ。ならばその苦痛の表情も絶叫も納得がいく。


「クオン貴様ぁあ!」


オルヴスもまた、怒りに任せて声を荒げる。だが、アーノイスの側を今離れるわけにはいかない。どうする事も出来ない怒りに握られた拳が、爪に裂けて血を流す。

クオンは何の言葉も返さない。振り向きもせず、彼はいつの間にか地面に空いた亜空への裂口に沈んでいく。彼の姿が完全に失せると共に、門の儀式が終わる。完全に気を失ったアーノイスを抱き、地面に座してオルヴスは空を見上げた。門より放出された光球が、螺旋を描いて天へ昇り、何処かへと散り散りに飛んで行く。その様は、これまでに見てきたのとほぼ同じ光景の筈なのに、光の濁った色のせいか、不穏の象徴にしか彼には見えなかった。

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