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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
八章 戦と死
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―ユメ―

鋼の処女アイアンメイデン!』


鋼鉄の針山と天使のレリーフが白い巨人を叩き潰す。完全に挟みこみ、さらに棘の一つ一つから小さな棘が無数に伸びて巨人の体躯を完膚無きまでに貫き通した。だが。


「キュォォォオォオオォオォォ!」


巨人は倒れない。それどころか鋼の処女を形成している霊塊を吸収し、自らの傷を治してしまう。そしてさらに強大になって、メルシアへと襲いかかる。両の拳を組み、空中に漂うメルシアを叩き落とさんと振るう。以前の、クッキーと呼ばれていた個体の攻撃ならば普段から常に張っている防護膜で防げていたのだが、今はそうはいかない。全身に、吸血鬼特有の“魅了”のせいで、術を構成している霊力霊子霊塊術式の全てを奪われてしまい、防ぐ事が出来ないのだ。


時飛オータ


巨大な、落石の如き一撃がメルシアへ触れる寸前、彼女の姿が消える。と巨人の遥か後方に再び出現していた。空を切った拳を時、巨人が振り返ってメルシアを見る。


「素早しっこくてやんなっちゃうわね」


何処からか降りてきたナツが、巨人の肩に立ち、鬱陶しげな視線をメルシアに浴びせた。その瞳は妖しい光を帯びて、常に魅了の術が発動しているが、どうやらメルシアには一切の効果がないようだ。


「時間を飛ばしているだけだ。大した事はない」


時飛オータは自らの動作を加速させる術ではない。言わば時間を早送りする術である。それは時間を超えた行動をする事から、白い巨人に対し速さという点では圧倒的にアドバンテージがあると言えるだろう。メルシアはナツにそう告げながら、自分の前髪を鬱陶しそうに首を振って退けて、金色の瞳に巨人とナツを写した。


「それにしても厄介だよ。魅了の術に制御されたゴーレムというのは」


吸血鬼の魅了は、特別に保護を施すか、吸血鬼の持つ霊力を大きく超えた術でなければ有効だと成りえない。まさに万物を隷属させる術なのだ。故に、メルシアは攻めあぐねていた。術式さえ組めればどうにかなるだろうが、ナツ自身の霊力もまた高い為に、その術の強大なものにしなければならない。となると、霊呪術になるわけだが、刻印を描く隙を与えない為に、巨人が居るのだ。実質の二対一。何か打開策は――そうメルシアが考えている最中に、轟音が響き渡った。


「なっ、なんだあれは」


音の方向を見れば、霊峰アングァストを覆い尽くす竜巻が突如として現れていた。霊覚により感じられるのは、確かに頂上で相対した大男のもの。


「あら、珍しいわね。ボーヴおじさんが頑張るなんて」


メルシアと同じくその風を見ながら、ナツが呟く。ボーヴのと戦っているのはグリムだ。一人で彼の相手をする、二人同時でも構わないと語っていた男の実力の片鱗を見て、メルシアは歯噛みする。ここで、ゴーレム、吸血鬼などの相手をしているわけにはいかなくなった。


「……これはあまり使いたくなかったが、仕方あるまい」


言って、メルシアが空に向けて手を掲げる。紫色の術式が現れ、彼女の手を包むように降りてきた。ナツの表情が険しく変わる。元々、メルシアの霊力には恐れるべき所があった。本来の魅了であれば術の効力が現れる、つまりはゴーレムが破壊される前に、即ち触れる寸前にその術は瓦解してゴーレムに取り込まれる筈なのだ。それなのに、彼女の術はゴーレムへ一撃を加える事が出来る。それだけでもナツにとっては驚きであったのに、今メルシアが開いた術陣の向こうから感じる霊力は、異常。そして、似ていた。

術陣からメルシアの手が引き抜かれる。その手に、赤紫色の棒状の物体を持って。それは、ともすればただの色の塗られた棒に見えるだろう。しかし、長さは十メートル程もある。だが、それを彼女が振るうのだろうか。近接格闘をするにはあまりに細く、力のなさそうな四肢では考えられない。


百節棍セラピード


メルシアが小さく言霊を紡ぐ。同時、赤紫の棒はその本性を現した。頂点に生える、二本の鍬形のような顎。棒の至る所に平行に伸びる、二本一組の棘。そして、百に分割されその間を鎖で繋がれた節棍となり、まるで意志を持つかの如くメルシアの周囲を徘徊し、顎の先をナツへと向けた。その姿はまるで巨大なムカデのようである。


「成る程……魔女さんは魔具も使うのね」


「ああ。あまり使いたくない代物だがな。お前と遊んでいる暇もなくなったようだし」


ナツは先程感じた異常に納得していた。魔具、といえば彼女の主のクオンが多用するものだ。魔具の恐ろしさは身にしみている。ナツはかつて、魔具を用いたクオンと戦った事もあるのだから。心の中で己の従僕であるゴーレムに命じ、メルシアへとけしかける。猛然と向かっていく巨人。勢いに乗せた右の拳が振るわれ――その動きは停止した。

白い巨人の右手に絡み付く、巨大な虫の姿。棘の如き足を突き立てて、牙までも食い込み抑え込んでいる。明らかに、先程に比べ長さが伸びている。節の数が増えたのではなく、どうやら鎖が伸びているようだ。だが、そんな事驚くに値しない。長さが無限にあるなど、それが魔具だとわかっていればそこまで驚愕する事ではない。大切なのは、メルシアが何ら挙動も起こさず術の行使もなしに巨人の一撃を完璧に止めたことだろう。魔具を魅了出来ればアドバンテージは大きく傾くが、不可能だ。


断罪ファビスシィ


響く心唱。高まる、百節棍に纏う霊力。巻き付かれていた白い巨人の腕が、何の前触れもなく突然消失した。斬り落とされたのでも絞め潰されたのでもない。ただ、消えた。霊力の残滓を魅了して修復しようにも、その欠片も捉えられない。とにかく、巨人に退避を命じて自分のとこまで戻すナツ。ムカデはそれを負う事もなく、悠然とメルシアの周囲を取り囲む形へと戻った。


「……一体、何をしたのかしら」


「ふん。自分の手の内を敵に語るわけなかろう」


額に脂汗を浮かべながら苦々しく問うナツに、メルシアはどうしようもなく冷酷に告げた。確かにそうだ、とナツは自重の笑みを浮かべながら、内心焦燥に満ちていた。これまでは彼女の術を受けても、その霊力の残滓を隷属してゴーレムの修復を瞬時に行うことが出来た。だが、今回はそれが出来ない。そして如何な術で右腕を完全に“消失”させられたのかもわからない、とあっては、焦りが出るもの仕方のない事だ。


「さあどうする吸血鬼ヴァンピール。貴様が素直に自分達の目的でも話すくらいすれば、ここは見逃してやろう」


「そんな事言って……私達の存在が教会に仇なすなら、何の躊躇いもなく始末するんでしょう? ねぇ、虐者スファジスさん」


額の汗を拭いながら、皮肉な笑みを浮かべるナツ。メルシアは黙して答えない。ナツの言ってる事が正しかったからである。約束を破るのは非道で最低の行為だとメルシア自身思っているが、それ以上に彼女には譲れないものがあるのだ。これまでしつこく鍵乙女や世門など、千年前に初代鍵乙女とその仲間たちが創り上げてきたものを狙ってきているエトアールの亡霊達。真意は測りかねるが、間違いなく、それらに仇なすものである事は確かだ。それなら、メルシアには、巫女には、時紡ぎの魔女には決して看過出来ぬ事。メルシアは小さく、溜息を吐いた。


「ならば、仕方ないな……死んでもらおう」


琥珀の瞳がまるで氷の如く冷たく、光を失ったかのように暗くナツを見た。戦慄が、ナツを襲う。体の震えは止まらないし、冷や汗も服を濡らしていく。だが、彼女とて引くわけにはいかなかった。逃げられないというのもある。だが、それ以上に彼女は己の主に、クオンに言ったのだ。足止めさえ出来れば良いと、そう言ってくれた筈の言葉を遮ってまで。“吸血鬼の本気を見せる”と。


「例え魔女でも! 本気の吸血鬼ヴァンピールを止める事は出来ない!」


虚夢ナイトメア・ホロウ!』


ナツは唱える。己の、最高の業を。


「ギュァァァアァアアアァアアアアアア!!」


濁った、大気までをも押し退け叫び声を上げ、ゴーレムはそれまで閉じていた口を大きく開いた。そのまま振り向いて、己の主である筈のナツを、呑み込む。何の躊躇いもなく、当然の事のように。完全にナツを体内に収めた白い巨人がメルシアの方へと向き直る。そして、その双眸がナツのものと同じ妖艶の色を放ち光る。体躯も、薄くその色を帯び、翼は白から黒紫へと色を変えてさらに巨大に。四肢の指先の爪が凶悪に伸び、そして胸部にあった赤黒い華の紋様が捻れ、その中央に、ナツの顔面が裂いた。人のものではなく、内側から皮膚に押し付けたような形で。


「自らの体ごとゴーレムに取り込むとはな……それでは二度と元には戻れまい」


「貴女には分かるかしら? 全てを擲ったとしても、構わないと思う心が」


腹部の顔面の模様の口が動き、言葉を発する。その声は、先程よりも明らかに不純物が混ざったような濁りがあった。


「貴様らは生まれながらの享楽主義だと聞いたのだがな」


メルシアの表情は変わらない。ナツは言葉を続けた。


「届かずともいい。受け入れられずとも構わない。ただ、役に立てるならそれで良い。私はね、そういう人に出会ったのよ」


嬉しそうに、それこそ誇らしげに、ナツは語る。その様に、メルシアは目を伏せて逸らした。彼女が以前に会ったことのある吸血鬼とはまるで違う。吸血鬼とは本来、本能として自分自身の享楽の為に生きる生き物だ。だが、彼女はそうではなかった。誰かの為に、と嬉しそうに語る。その人物が誰かなのは、メルシアには知る由もない。


「哀しいな。吸血鬼ヴァンピール


だからただ一言、そう告げた。ナツは未だ、笑っている。


「そうね。でもいいわ。少しだけいいユメが見られたから。さようなら時紡ぎの魔女」


言い切り、白い巨人となったナツは地上へと降り立った。そして、両の腕を広げる。


空よスキイル大地よグランデ生けとし生ける全てよアルリヴアルアンド我に頭を垂れよフェロウミィラ!』


空が鳴動し捻れる。大地が震えて隆起する。大気すべて、この場に存在する目に見えぬ力が、ナツの掲げた両手の間に収束する。徐々に、徐々に妖紫色の球体が出来あがって行った。ゴーレムの体が一部一部崩れ、その球体に吸い込まれていく。自らの体としているものですら、隷属させる妖しき光。だが、ただ一つだけ。金色の魔女だけは、その様子を見下ろしていた。哀しさか憤りか、どちらとも取れる色の瞳で。


亡き者へエンヴィラー!』


術の、最期の一節を魂で叫ぶナツ。もはや口では言えぬのだろう。顔面の紋様は動いていない。光球が膨れ上がる。全てを呑みこまんと、上空に座す魔女を消し去らんと。だが。


『彼の者は赦されざるが故に』


残酷に響く、時紡ぐ魔女の詠唱。

その光球は、己を呑み込む程となったところで完全に止まってしまった。視れば、ナツとその球体を百節棍が覆っていた。複雑に絡み合うように、全体を覆うムカデ。メルシアの時飛の応用であったのだろう。ナツは眼を閉じた。やれる事はやった。動かない筈の口元が、弧を描く。確かな敗北そして死。だが、その笑顔は何処か、満足しているようにも見えた。


逃れ得ぬ懺悔をシン


百節棍セラピードの檻の中を、暗闇が包み込んだ。白い巨人もその手の先の光さえも、全てを塗り潰して。

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