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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
八章 戦と死
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―北風―

地上で空に最も近き場所、霊峰アングァスト。高過ぎる標高に位置するその頂上は、常に風が吹き完全なる無音になる事がない。だが、今、アングァストの頂上にはたった一人の男の、上がった呼吸の音しか聞こえてこなかった。

膝を着き、手にした紅い槍を杖になんとか己を支える、槍と同じ色の髪と眼をした青年。軽装の鎧も衣服も、また体までもが、膾切りにされたかのように切創に満ちている。一つ一つは深くないようだが、数が数だ。体力を削らないわけがない。荒く息を吐きながら、青年――グリムの烈火の瞳が、十数メートル離れた場所に仁王立ちする男を睨んだ。そして、一挙に体を起こし地面を蹴って、その男へと肉薄する。技巧も一切の騙しもなしに、ただ真っ直ぐにそれ故に純粋な力をそのままに、相手にぶつけるが如く槍を突き出した。しかし、穂先は決して男の法衣にすら届かない。見えない壁、いや圧力がグリムの渾身の一撃をいとも簡単に抑え込み、弾き飛ばした。


「ち、っくしょ……」


元膝を着いていた場所まで飛ばされ、また槍を杖にする羽目になるグリム。この攻防ももはや何度行ったのかわからない。ボーヴはそんな事を思いながら顎の髭を撫でつけ、そして口を開いた。


「ここは霊峰アングァスト。満ちる霊力は風じゃ。お主の火では舞台が違う」


世界には霊力が満ちている。だが、その霊力の持つ属性は特定の場所ではそれぞれの密度が違ってきてしまうのだ。大陸一空に近い場のここには風の霊力が特に満ちている。風を扱うボーヴにとってそれは好都合であるが、火を持つグリムにとっては技の妨げになってしまうのだ。一概にそれだけとは言えないが、質の同じ力を持つ二人にとっては重要な事であった。事実、二人の戦闘が始まって以来、ボーヴは一歩たりともその場から動いていない。


「あぁ? 知らねぇよんなこたぁなあ!」


グリムは再び槍を構える。幾度防がれ吹き飛ばされても、その目に宿る光の色は変わらない。強いて言えば、時が経つに連れて輝きを増しているという点だろうか。グリムの姿が没する。同時に、いや少し遅れて彼の居た地面が爆砕するが、ボーヴはそれを気にも留めず、己の霊覚に導かれるように直上を見上げた。荒れ狂う、グリムという人物をさまざまと表しているかのような火炎の球。槍の穂先に精製されたそれが、ボーヴへと叩きつけられる直前で一回転し、遠心力を上乗せて叩きつけられる。それを、僅かな手の動作で、風を集めて受け流す“流れ”を造るボーヴ。この世界にある有象無象を消し飛ばすであろう隕石の如き攻撃を、事も無げに風は掻き消した。炎を失い、それでも尚槍を叩きこもうとあきらめないグリムの体を、ボーヴの斧槍が薙ぎ払う。刃の部分はギリギリで彼に触れず、鋼鉄の柄が鈍い音を立てながらグリムの体を吹き飛ばした。

崩れた体勢を空中で整え、地面に槍を突き刺して強引に止まるグリム。


「ちっ、痛ぇな」


柄を叩きこまれた左の脇腹をさすりながら、ボーヴを見やる。彼もまた、少し驚いたように片眉を吊り上げてグリムを見ていた。


「驚いた。力技ばかりと思っていたが、霊術の基本くらいは知っていたのだな」


何の話だ、と言葉を返しそうになった所で、グリムはふとボーヴの言葉の内容から有る事を思い出す。術の基本、という言葉に何処か聞き覚えがあったのだ。そして思い付き、口元を釣り上げた。槍を振りかざし、地面へと突き刺す。その点から地を這う火炎がボーヴへと弧を描いて襲いかかる。大した速度も威力もあるようには見受けられず、込められている霊力も強くはない。一手前の方が何倍も有用な手だった、と少しの落胆のような表情をしながら、今度は手振りもなく、己へぶつかってきた炎を纏わせている風で払う。これだけで終わりではあるまい、と霊覚によりグリムの位置を感じ取るが、彼はまだ動いてはいなかった。よもや消されないと思っていたわけでもあるまいに、無駄と分かっていてもグリムならば向かってきていると、これまでの攻防で直感していた故に拍子抜けであった。だが、それが隙に繋がる。刹那の時のその油断が、間違いであった。

グリムの地中に深くさした槍を握る手に力が籠る。同時に、ボーヴは彼の霊力が強く高まるのとさらに、その発生源を捉える。それは、ボーヴ自身が立つ場所の、真下。ボーヴは飛びあがった。足元に、何かある。そして、彼の視界は紅に染まった。立ち上る、巨大な火柱がボーヴを襲う。グリムを中心に、ではない。狙ったかのようにボーヴを中心に取り囲んだそれは、彼を焼き尽くそうと空までもを焦がす業火としてそびえ立つ。しかし、ボーヴの風は一度の熱ですら通しはしなかった。それでも尚勢いの止まらない炎柱に鬱陶しさを覚えたボーヴが風力をあげる。こう、炎に囲まれてしまっては霊覚も探知しづらい、と。そこで、彼は気付いた。

吹き飛ばした炎の裂け目から、もう一つの“火”がボーヴ目掛けて突撃する。火柱はフェイク。多少の焦りに反応を一歩遅らせる為の。突き出される槍の先を斧槍で弾くボーヴ。とはいえ急遽の防撃では十分なものと成り得る筈もなく、十字の刃を持つ紅槍の刃の端が、ボーヴの頬に一筋の傷を刻み付けた。グリムはそのままボーヴの横を通り過ぎ、空中にて止まって振り返る。


「術の基本は円だってな。そういやメルシアが言ってたぜ」


言いながら、ボーヴと今しがた自分が地面へ穿った、赤い孔を見るグリム。孔はまるで火山の噴火口のようにはっきりと開けられた上に、そこにあった筈の地面を完全に溶かして溶岩と化していた。


「集霊陣から攻撃に繋げてくるとは思わなんだ。儂が考えておったより頭が回るではないか」


集霊陣は霊力を集める、受け皿となるだけの力場であり、本来このように集霊陣だけで攻撃の術を放つなど不可能である。しかし、グリムの力は自らの霊力を火霊力とする事。受け皿さえあれば、そこから火炎と化して放つくらいわけないのである。土壇場のただの思い付きの行動であったとはいえ、戦闘はじまって以来はじめて、グリムの槍はボーヴに傷をつける事に成功した。


「正直、見くびっていた。謝罪しよう」


「気にすんなよ。楽しくやろうぜ」


「そうだな……ならば儂も、多少は本腰を入れねばな」


攻撃をもらったとはいえない程度の負傷に過ぎないが、ボーヴはその重い腰を上げた。それまでただ持っているだけだった斧槍を肩に担ぎ、グリムを睨む。ボーヴは警戒したのだ。ただの思い付きで、試しもせずに土壇場で集霊陣を使った奇襲を行い成功させるという、グリムの戦いにおける才覚に。頭を使ったわけではなかろう。それがボーヴには恐ろしく感じた。戦いの中でグリムが何かに気づく度、彼の力が増して行く事を悟っていた。現に彼はボーヴに武器を使わせたのだから。


「行くぞ!」


ボーヴが吠える。斧槍を頭上に掲げ回転させる。風が何処からともなく巻き起こり、それは渦となって広がり、溶岩と化した地面を再び岩盤へと戻し、グリムを通り過ぎ、霊峰全体を包み込んだ。荒れ狂う風の音が、山に積もる雪を、転がる岩を巻き上げて、竜巻が二人を外部から完全に遮断する。グリムはボーヴから目を離さない。いや、離していなかったつもりだった。吹きすさぶ暴風の中、グリムの頬を撫でる、異質なそよ風。その感触と共に、グリムは背筋に悪寒を生じ、見る事は愚か霊覚で確認するよりも早く反射的に、紅槍を背を護るよう一回転させて前に飛び退く。槍ごしに伝わる、重すぎる一合。いつの間にそこに居たのか。ボーヴの斧槍が背後よりグリムに振るわれていたのだった。いつ移動した。何故感じられなかった。疑問が頭を駆け巡るが、一つの答えが出るよりも早く、次なるボーヴの攻撃がグリムを襲う。片手で柄の端を持ち、長く、後方へ腕を伸ばす構え。単純な横薙ぎか袈裟の動きにしかならない予備動作、しかし。風がグリムを引き寄せる。まるでボーヴに吸い寄せられるかのように、巨人の腕がグリムを掻き抱くようにボーヴの待つ場所へと誘う。槍を地面に刺し四肢を引っ張ってグリムは抵抗するが、敵わずずるずると引きずられてしまう。このままでは斧槍の一撃を受ける事になってしまうだろう。見れば斧槍の先には風が集合するように溜められており、引く力と交差して叩きつけられた場合の威力は想像に難くない。ジリ貧だ。そうグリムは咄嗟に、自らを引きずる風への抵抗を止めた。槍を抜き、代わりに風を蹴って流れに乗るグリム。勢いに加速したまま、紅槍を突き出した。ただやられに行くのでは性に合わない。槍の穂先へ霊力を集中し、爆発させて炎を生み出す。正面から撃ちあうなら好都合、それこそ己の舞台だと、グリムは狂喜し、次の瞬間己の眼を疑った。


炎が、消えた。


生み出したと思った火は、まるではじめから無かったかのように掻き消え、グリムは一瞬茫然となる。それが仇となった。

暴風の塊を纏ったボーヴの斧槍の一閃が襲いかかる。炎の防壁も作れず、腕を交差して槍を盾に、己と槍の内に可能な限りの纏霊をしてその一撃を受けるグリム。引き寄せる勢いとぶつかりあうような衝撃は着弾周囲の何もかもを吹き飛ばしてグリムの体を木の葉の如く中空へと跳ね飛ばした。刃の部分はどうにか防いだものの、直撃にやはりグリムの体は耐えきれず、両腕に裂傷を生じ、胸部の鎧が完全に砕け散って、そのまま重力に従い背中から地面へと落下した。


「がっ!」


肺をやられたのか、口から血を吐き、それでも尚体を無理やりに起こすグリム。腕と胸からかなりの出血をしているが、まだ彼は槍を手放さない。


「ちっ……図体に見合わず速いじゃねぇか」


「速いのではない。“北風の法”。今、この瞬間、儂はこの風と共に在る。この嵐そのものが、儂じゃ。この暴嵐の中ではお主の火など、まさに風前の灯じゃて」


言葉を言い終えると同時、再びボーヴの姿が消えた。グリムに捉えられない程速いわけではないのはボーヴが言った。光速ですら制止状態で捉えられるグリムの霊覚だが、ボーヴは今や風、この辺り一帯に吹き荒ぶ風そのもの。捉えられても抗いようがない。


「自分が、風……ねぇ」


何か覚えのあるような、とグリムの脳裏にふと過ぎる。まるで、その思い付きに応えるかのように、紅槍が震え始めた。紅き、真に紅い霊光を放ちながら、ひとりでに震えるのその様は、グリムに何かを伝えんとしているようでもあった。グリムが、笑う。


「ああ、わかってんぜ。グロウ」


呼ぶは、かつての槍の主にして、千年前の“己”の名前。

グリムが槍の柄を地面へと軽く突き立てる。地面に亀裂が走り、ボーヴの足元まで及ぶが、それは攻撃ではなかった。


「……メルシアの奴には使うなって言われたけどな。ま、仕方ねぇわ」


グリムの内から霊力が増大する。全身に、四肢の先に、髪の毛一本まで濃くひたすらに濃く満ちる“火霊力”。槍が頭髪が瞳が、元から紅かったそれらがさらに紅に輝いた。

ボーヴの視覚がその鮮烈な紅を映す。と同時に二人の姿は消え、竜巻の中心、山頂より遥か上空に再び現れる。紅槍と斧槍を互いに交差させ、押し合っていた。


「速いのはお主ではないか……小僧!」


憎々しげに言葉を吐くボーヴの口元から血が垂れる。見れば槍が刺さったのだろう、右胸に刺傷が出来ていた。対するグリムもまた頭から血を流しているが、腕の傷と先程の吐血も合わせ、それはもはや血ではなくなっていた。血液それ自体が火焔と化して彼の傷口から火の粉を散らしていたのだから。その炎は消えない。ボーヴの巻き起こす風が、グリムという男を消し飛ばせないのと同様に。


「一万ぐらい打った筈なんだがなぁ、一発しか当たらねぇたぁ思わなんだ……ってな!」


拮抗していた競り合いを一方的にグリムが押し通して退ける。瞳の光が、傷口の炎の勢いが、槍の震えがさらに激しくなる。弾き飛ばされたボーヴはまた風となり、姿を消した。


「あんたのそれ、北風の法とか言ったっけ。俺のこれも似たようなもんだろ」


『“太陽の法”とでも名付けてやろうか』


紅に光輝くその姿はまるで太陽の如く。その姿をボーヴはそう評した。何処からともなく風に運ばれてくる声に、グリムは笑った。


「いいねぇそれ。北風と太陽ってか」


『柔よく剛を制す。全てを受け流す風の力、存分に見せてやろう!』


ボーヴの宣言と共に、周囲を包んでいた竜巻の勢いがさらに増した。轟々と吹きつける風はもはや刃だ。グリムの衣服や鎧の一部は次々と切り裂く、が、グリム自身には効かない。己に纏わせる霊力さえも火と化した“太陽”には。


「確かに、柔らけぇそよ風だなぁ!」


グリムの全身が発火する。それは先程槍に生み出し掻き消された炎とはわけが違う。内から無限に生み出される熱が、火となって溢れ出ているからだ。

風が、ボーヴが、グリムへ斧槍を振るい襲いかかる。吹く風と同じ数、即ち無数の、全方位零の距離から振るわれるそれを、グリムは弾き飛ばす。そしてその内の一つの“風”を彼は掴んだ。止まった風がボーヴの姿となり、グリムの槍が叩きつけられる。しかし、当たったかに思われた槍の先は空を虚しく掻いた。


「お主の攻撃、風には意味がないぞ」


「あんたの攻撃も、俺にゃ届かねぇよ」


悠然と、ボーヴは空に漂い槍を担ぐ。グリムは槍先を、そのボーヴへ強く突きつけて、空へ立つ。

幻影の如く全てを受け流す北風と、向かって来る全てを受け止める太陽。霊峰の頂上よりさらに高空の果てで、二つは再びぶつかりはじめた。

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