―悪夢―
「瞬天足ぁ!」
光が走る。軌跡がジグザグに空に描かれ、その通り道にいたノラル兵や幻獣が吹き飛ぶ。その先で、笑みを浮かべ、地面に降り立つ達磨のような男――マロリ。大地に立って後ろを振り向き、倒れた、己が撃ちおとした敵を見て、満足げに、尚且つ見下しした目で笑った。
「弱いなぁ! 本当に弱いよ君達! そんなんじゃ無駄死にも良い所じゃないか」
「マロリ、突出し過ぎじゃないか? もう前線から大分遠いよ」
ケラケラと笑うマロリの横で、どこかか細い少年の声がそう水を指した。マロリと同じ翳刃騎士の仲間、スティーゴである。強気で自信家を絵に描いたような男であるマロリとは対照的に、常に何処か気弱で、ともすれば消え去りそうな性格のスティーゴは、対極の人間でありながらこうして戦場でもよく一組で行動する事が多かった。常に暴走気味のマロリを慎重なスティーゴと上手く噛み合う、だろうというのが彼等が隊長のバーンの思惑である。実際、コルスト軍とバーン達が踏ん張っている前線からは、彼らの居る所は結構な距離があり、二人は孤立無援とも言える状態で、スティーゴの言う事も間違いではない。
「問題ないだろ? ガガだってもっと先に居るし、グリムとメルシアちゃんはもう山頂に行っちゃったってお前が言ったじゃないか」
だからといって己の歩みを止めるマロリではない。溜息を吐き、スティーゴはそれ以上の苦言を呈する事はしなかった。無駄だと悟ったし、見たところ先程マロリが戦っていたチョー程度の実力を持つ兵士も周辺には見られない。なら、問題はないだろう。仮にも二人は、掲剣騎士の中でも実力の有る者だけが任命される翳刃騎士である。一兵卒が束になったとしても、相手にはならないのだ。
「さっさと行くぞスティーゴ。とっととグリムの奴に追い付かないとな!」
マロリは何故かグリムをライバル視している。当の本人からしたら眼中にないどころの話ではないのだが、まあ思うだけなら自由だろう、とスティーゴは何も言わず、一歩を踏み出そうとするマロリに着いて行こうとして、その足を止めた。ふいに、暗くなる頭上。続く、異様な、強いて言えばフェルに似た気配。人間でも幻獣でもない、それで居て強い霊気を彼らは感じた。
「きゅきゅ?」
小動物のような愛くるしい鳴き声。小動物のような頭部。彫刻のような造り物の白さの、細身ながら妙に筋骨隆々な人間の身体。それら三つが組み合わさった謎の存在が、二人の背後に立っていた。大きさは人間の二倍、いや三倍はあるだろう。あまりに異様なその存在にスティーゴは息を呑んだ。
「何これキモっ」
マロリは何か汚物でも見た様な目でそれを見、一歩引く。そんな彼らの頭上から、さらなる人間が登場した。
「あら、私のペットになんてこと言うのかしらん? イケナイ子達ねぇ」
間延びした、妖艶な女声。
「おっ! お姉さん美人だねぇ! どうだい、今度僕の家でワインでも飲まないかい?」
露出度の高い、殆ど水着かボンテージのような服装の女に、マロリのテンションが上がり、視線が空に釘付けになる。
「ふふ。素敵なお誘いね。だけど、今は」
そんなマロリをやんわりと足蹴にし、女が指を弾く。小気味の良いその音に反応し、異形の“ペット”の瞳が妖しく光った。
「この子達と、遊んでもらおうかしらね。クッキー、チョコ……やっておしまい」
「きゅきゅう!」
「きゅー!」
地上の、クッキーと呼ばれた異形と、さらに上空より飛来したもう一匹のペット――頭部はクッキーと同じだが、体が巨大な怪鳥と化したもの――が、マロリとスティーゴ目掛けて襲いかかった。筋骨隆々の拳がマロリを、鋭利な鉤爪をした脚がスティーゴを、それぞれ狙う。咄嗟に後ろに飛び、退避する二人。地べたに撃ちこまれた拳と爪が雪を舞い上げた。
「これはなかなか、ワクワク出来そうじゃん!」
「マロリ、さっきの奴の口調うつってない?」
言いながら、スティーゴが両手から霊気の塊を生み出し、連打する。闇雲に撃ちこまれたそれが、当たるとも彼自身思っていない。本命は。
『巨影掌』
マロリの右手が鉛色に変貌する。それだけではない。巨大なのだ。それこそ、クッキーを押し潰すくらいは簡単に出来そうな程に。巨人の掌が、雪煙ごと周囲一帯を叩き落とす。
「やったか!?」
「当然だね。手に感触がある」
スティーゴの問いに、マロリは自信満々といった様子で答えた。風に、視界が晴れて行く。勝利の確信の笑み。そんなものを浮かべていたマロリの表情が、歪んだ。
「きゅきゅ?」
「きゅー?」
それは、確かに潰れた筈だった。いや、潰れている。マロリの右手には、冷たい凍土の感触に混じり、生温かい、明らかな肉の感触が今なお伝えられているのだから。だが、二匹の異形は先程と変わらない声で鳴いていた。巨大化したマロリの右手の、その開かれた指と指の間から、蛇のように伸びた首と頭を覗かせて。四つの赤いガラス玉が、マロリを写す。
「う、うわっ! なんだよあれ!」
「し、知るかよ! フェルじゃないのか!?」
「違うわよぉ。この子たちは、私のペットなの」
パチン、と再び女が指を鳴らした。その音に反応して、二つの同じ顔をした異形が、捻れる。普通の生き物が、そんな事になる筈がない。それなのに、二匹はねじれていた。指の隙間から覗く二つの顔が、白いぞうきんのようになっていく。
「ナイトメア・ツアー」
艶やかに、女が呟く。その意味はマロリとスティーゴには見抜けない。それ以上に、二人は眼の前の光景から目を離せなかった。ねじれた異形が、さらに伸びてお互いを巻きこんでいく。手の下に潰されていた筈の体も伸びてきて、その捻れに加わる。全身が抜けだしたのか、捻れあったまま、白い何かが宙に浮く。まるで意志を持つかのように、それは自分をさらに中心へ中心へ、何か見えざる手に押し潰されて行くかの如く、縮まって行き、そして弾けた。消えたのではない。膨れ上がったのだ。それがまだそこに居ると、マロリ達は一瞬理解出来なかった。眼前に現れたのは、真白い、それこそ周囲の雪と同じ白さをもった、太すぎる柱。それに溝がついている事と、真っ直ぐに見た視界だけでは捉えきれない大きさという事で、二人を柱を辿るように視線を動かす。そこには、白い巨人が居た。
「お、おいおいおいおい……」
「こんなデカイの、フェルでも見た事ない」
驚嘆の声を上げる二人を、巨人が見下ろす。その頭の高さは地表よりゆうに百メートルは超えているだろう。顔は、先程までの愛くるしい人形のような様相など欠片も残していない。目も、鼻も存在しない、ともすれば深海魚のような頭部。真一文字の線で描かれていたような口ではなく、鮫のように凶悪に開き、鋭利な牙の生えそろった口腔。鍛え上げられた肉体のような体躯はそのままに巨大化して、胸部には、人で言えば鳩尾に当たるだろう部分に、赤黒い華のような、四方八方へ針を並べたような紋様が浮き出て、その背には白い翼がついていた。
「キュォォォォオオオォォオォオォオオオ!!!」
巨人が咆哮する。それだけで、二人は身動き一つ取ることが出来なくなった。身の毛もよだつ、けだものの声。
「もう少し遊んであげたいけど、もうすぐ怖い怖い魔女がやってきそうだから」
女の手がゆっくりと掲げられ、地上の二人へと向けられた。
「消えちゃって」
宣言と同時に、白い巨人がその手を振り翳す。握られた拳はもはや岩か、小さな山のようにしか見えない。それを、巨人は振り下ろした。先程のクッキーやチョコの一撃とは比較にならない衝撃が地面を砕く。二人に直撃はしなかったものの、生じた圧力に、まるで木の葉のように軽々と吹き飛ばされるマロリとスティーゴ。
『主神甲!』
飛ばされながら、マロリはどうにかして地面を掴み、言霊を紡ぐ。その表情に余裕はない。彼の姿が、銀色の騎士へと変貌する。
『瞬天足・翔!』
間髪入れず、次の術を叫ぶマロリ。先程までの瞬天足とは違い、足を包む光が羽の形を模る。マロリは、飛び上がった。そしてそのまま、光速の蹴りを巨人の眉間へと叩きこむ。しかし、効果は見られない。それでも彼は諦めず、二撃、三撃と攻勢を続けて行く。が、あまりに大きさが違い過ぎるのか、巨人はびくともしない。さらに攻撃を、とマロリは動くが、攻める事ばかりに意識を取られていたか、迫って来ていた手に、彼は気付けなかった。
「がっ!」
あっさりと体を掴まれ、拘束されるマロリ。必死に抵抗を試み、身じろぎするが、首以外を巨人の手に抑えられた状態から抜け出せない。
「くっそ、離せ! 離しやがれ!」
ギリギリと、万力のような力でマロリの体を握る巨人の力に耐えられているのは、主神甲の力によるものだろう。だが、それもいつまでもつか。
「べっ――俛悼……」
咄嗟に、マロリは己の術を唱えようとする。この化物の全身は朽ち果てさせる事が出来なくとも、今自分を抑えている手だけでも何とかすれば。そう思って。だが。
「な、なんだよ……これ」
マロリの顔が絶望に染まる。それを見て、いつの間にか彼の眼の前まできていた女は、巨人の手首の辺りに腰をかけ、愉快そうに笑った。
「さっき貴方の術を見てたけど、私のに似てるみたいね。でも、ざーんねん。それじゃ私には勝てないのよ。だって、私の方が上ですもの」
女の指先が、弄ぶようにマロリの兜を撫でた。
「マロリぃぃぃいい!」
その間に、スティーゴの叫びが割って入る。女が地上を見れば、何やら青白い光の塊が形成されていく様が写った。どうやら、仲間を助けるらしい。と、女は指先で軽くその光源を指した。巨人の足が持ち上がり、それを蹴り飛ばす。
「がぁっ!」
再び、宙を舞うスティーゴ。無様に地面に投げ出され転がって行くが、彼は立ち上がった。しかし、たった二撃で彼の体はもうボロボロであった。纏霊しているとはいえ、巨人の攻撃は見た目通り重い。もはや上半身の骨は所どころ折れ、アバラの数本が腹から服から突き出ていた。それでも、彼は巨人へ向かって行こうと一歩を踏み出す。
「――止せ。スティーゴ」
そのスティーゴの肩を、翠色の手が押し止めた。巨人の登場に駆け付けたのだろう。敵中で戦っていた筈のガガの姿がそこにあった。
「止め、ないでよ……ガガさん。このままじゃ、あいつ――がっ」
突然現れた仲間の姿に少し気が緩んだのか、スティーゴの体が倒れ込む。咄嗟にガガがそれを支えた。さらにガガは言葉を告げる。
「お前の退避が優先だ」
「な、にそれ。笑えない、んだけど」
肺もやられているのだろうか、口から空気が漏れるような音を出しながら、スティーゴは抗議した。誰が見ても重傷だが、彼は諦めた様子を見せない。しかし。
「う、ぐあぁあぁああああ!」
マロリの苦悶の叫びが響く。応えようと動くスティーゴ。それを止めるガガ。
「離してよガガさんっ。このままじゃ、あいつが、マロリが」
マロリの叫び声が続く。ガガも、その声の方向を見ていた。しかし、その亜人の瞳に映るのは、怒気と共に諦観であった。それを見抜いたスティーゴが、ガガの手から激しく抵抗する。
「離せ! 離せよ! 今行かなきゃあいつが……あいつを助けさせろよ!!」
無言で、否定するガガ。もはや手遅れであった。敵陣ど真ん中のここで、スティーゴを放っていってしまえば彼は間違いなく死ぬ。マロリを助けに行ったとて、もはや完全に捉えられてしまっている以上助けられる保障はない。ならば、少しでも生き残る確率が高い方を取る。それがガガの選択であった。
「さようなら。騎士さん」
女が非情な別れの挨拶をする。巨人のマロリを掴む手が、天高く掲げられた。
「こ、こんなの、こんなの全然ワクワクしな――」
最期の言葉が、全て紡がれる事はなかった。代わりに響いたのは、肉と水が弾ける音。空から、西瓜のような何かが落ちてきて、またそれは砕けた。熟れた西瓜の中身のように、真っ赤なものを撒き散らして。