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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
八章 戦と死
109/168

―炎風―

「やれやれ。ようやく麓かよ」


「ああ。気は抜くなよグリム。この先に待つのは恐らく、奴らの内の誰か、もしくは全員かもしれんからな」


二つの影が、アングァストの膝元に立っていた。周囲はノラル軍の占領下にあった場所だというのに、既にその場には誰もいない。少なくとも、彼ら二人を相手に戦える者は。二人の背後にほぼ直線に続く、灰の路。そこには傷つき倒れた兵士と幻獣がまさに死屍累々と連なっていた。まだ息のある者もいるが、誰もその二人に近づこうとはしない。絶対的な、あまりに高過ぎる壁が、彼らの背中に見えていた。常に生と死の狭間にあるこの戦場という環境にあったとしても、誰が好き好んで死地に赴く者があろうか。その二人に接近する事それ即ちが死にしか、ノラルの兵たちには見えなかった。それほどまでに圧倒的な力を彼らは見せつけたのだ。


「山ん中の霊気、お前でもわかんねぇのか?」


己の背後に居るノラル兵達が前述のような心境にいる事を知ってか知らずか、グリムは普段の様相をまるで変えず、隣のメルシアへ問う。問いに、メルシアは数瞬の沈黙の集中で持って返した後、口を開いた。


「一つは確かに感じる。頂上の門の所に。だが、あいつらにはあの“鎌”があるからな。それこそ、今この瞬間に背後に現れたとしてもおかしくない」


「ちんたら登ってたらやべぇってことか」


メルシアの言葉の真意を読み取り、グリムが返答する。メルシアは肯定の頷きを返し、何事が呟いて術をはじめようとしたが、グリムは手でそれを制する素振りをした。


転移テレポートはいらねぇよ。先が読まれたらマズイし、なんだったらあいつらの度肝抜いてやんぜ」


そう言って、まだ怪訝な瞳をするメルシアから数歩進んで離れ、槍を呼び出し、右腕と脇で挟むように構えるグリム。


「しっかり着いてこいよメルシア。加減はしねぇからな!」


それはまさに一瞬だった。紅い光がグリムの全身を覆う。同時に爆発的に膨れ上がる霊気。それは、この戦争はじまって以来の巨大な火霊力。それにノラル兵達が慄くよりも早く、メルシアが霊覚で確かに認知するよりも早く、紅い光は煌めきだけを残してその場から消え――アングァストが震えた。光を越える全速力で斜面を駆け昇っている、なら、まだ良かった。あろうことか、太陽のような光はアングァストそのものを抉っていた。そのぽっかり空いてしまった孔にメルシアが呆れる暇もなく、彼は頂上をぶち抜いて紅い光を撒き散らしていた。その様子はまるでアングァストが噴火を起こしたようでもあった。







「非常識にも程があるな、若造。霊峰をぶち抜く奴がどこに居る」


「ここに居んだろぉ!?」


アングァスト頂上よりさらに上空。地上とは違い、丸裸の太陽と澄み渡った大空の広がる超高空で、二人の男が対峙していた。一人は紅く、槍を天に衝きもう一人の男を押し上げている。もう一人の方は紅い槍の先端を浅葱色の斧槍で受け止め、世界と体を平行にし、己を突き上げる青年を注視していた。


「ああ、全く。驚かされたわい。おかげで色々考えていた奇襲が全部パーじゃて」


「そいつぁ良い知らせだ!」


紅の槍と浅葱の槍がお互いを弾く。仕切り直し、とお互いそれ以上の追撃はせずに、距離を離してアングァストの頂上まで自由落下していった。お互い、着地の衝撃を霊翔で緩和し、地面へと降り立つ。同時に、グリムの斜め後方上空にメルシアが現れた。


「あ? なんだよ結局転移してき――痛ぇっ!」


グリムがメルシアへかけた台詞を言い切る前に、彼女の拳が彼の頭を勢いよく叩く。


「馬鹿者! 霊峰に孔を開ける奴があるか! 馬鹿!」


憤慨し、激を飛ばすメルシアを、叩かれた頭をさすりながら見上げるグリム。


「いや、ほら、おかげで奇襲喰らわなかったじゃん? なぁ、おっさん」


「まあ、のう……素直に転移してくれれば一泡吹かせられたんじゃがのぅ」


「ほら」


あっけらかんとしたグリムに、メルシアは握り締めた拳を震わせ再び降り下ろそうとするが、止めた。そんな事をしている場合ではないと気付いたのだろう。


「さて、漫才は終わったかの?」


その様子を見ていた男が二人へ声をかける。改めて、その男の姿をグリムはまじまじと見た。大きい。第一印象はこれだ。体格は常人の二倍以上はあるのでは、と思わせるほどに広く、高く、厚い。衣装は法衣だろうか、垂れ幕のような黒地の、体の前面から背中まである布が特徴的で、そこには金字の何かの紋章かもしくは刻印が刻まれいた。その下は彼の体躯に合わせたのか、それでも袖口や布が大きいゆったりとした黄土色の服に身を包んでいる。少し長く伸びた髭を撫でつける仕草、瞳は好々爺として優しげで、その頭部にはつばのない冠のような、ミトラという帽子を乗せていた。一見、物腰柔らかない司祭に見えない事もないが、彼の左手に握られた浅葱色のハルバートがその説を如実に否定する。


「ああ。親切じゃねぇか。ちゃんと待ってくれるなんてよ。ノラルにも話のわかる奴はいるものなんだな」


槍を右肩に担ぎ、笑顔を見せるグリム。そんな彼の言葉を、男は首を振って否定した。


「儂はノラル軍ではない。儂はボーヴ。エトアール王宮騎士団団長だ」


「やはり、エトアール……貴様一人か? クオンはどうした」


エトアールと己の所在を名乗ったボーヴに、今度はメルシアが問いを発する。


「答えると思うか」


だが、そう簡単に味方の事を教える事もなく、ボーヴは当然と失笑した。


「やめろよメルシア。言って話すわけねぇだろ」


「ふむ。なら質問を変えよう。あの珍妙な傀儡使いはどこだ」


どうした、のではなくどこだ、と今度はメルシアが明確な詰問をする。それにほんの一瞬目を丸くしたボーヴだったが、すぐに表情を変え、惚けたような声を上げた。


「はて、何のことやら。最近年でのう。物忘れが激しくてな」


「とぼけるな。うっすらとだが、ここにあの傀儡使いの――吸血鬼の霊気の残滓がある。あの鎌を持ったメイドもな」


はぐらかした筈の答えを真っ向から否定され、ボーヴの顔が苦渋する。


「流石は時紡ぎの魔女といったところか。掻き消した筈が、鋭いのう」


そうも言い当てられては、ということなのだろう。鼻で息を鳴らし困った顔をするボーヴに、メルシアはさらに追撃する。


「駄話はいい。言え」


「気付かんのか?」


ボーヴの言葉に、メルシアは言葉を失くした。気付かない、何のことだろうか。そう思い、真意を探ろうとボーヴの視線に見るメルシアとグリム。そして、その視線が彼ら二人に向けられているものではない事を知った。ほぼ同時に、背後を、地表へと目をやる二人。異変はすぐにわかった。地表の人間など豆粒にも満たない大きさで見えないが、意識的に向けた霊覚により、それははっきりと捉えられる。いつぞや遭遇した、白いゴーレムの存在を。


「――! いつの間に」


「行けよメルシア。こいつは俺がやるぜ」


入れ違いになったのかと歯噛みするメルシアの横で、グリムは槍を構えなおして目の前に立つボーヴを見据えた。元々、彼にメルシアと共闘するつもりなどない。例えこれが大義ある戦争であっても、彼は自分自身の為に戦うことしか考えていない。全ては強くなる為に。それが、彼の今もつ槍の、グロウの遺した意志の一つでもあるのだから。それを理解しているメルシアは何も言わなかった。本音で言えば、彼と共に戦いと願う彼女だが、それを彼は望まない。さらに言えば、ただでさえ数で押しているノラル軍勢に援軍など来ては、今掲剣騎士団の後ろにあるコルストの街がどうなってしまうかわかったものではない。翳刃騎士も戦場に居るとはいえ、戦場に万全は存在しない。


「……大丈夫なんだろうな、グリム」


「大丈夫じゃねぇわけねぇだろ。さっさと行きな。俺もすぐに行く」


メルシアの方は振り返らず、グリムは力強く言い切った。なら、もう何も言うまい、とメルシアは再び地表目掛け転移の術を紡いだ。


「儂としては同時に来てくれた方が良かったんじゃがな」


光と共に消えるメルシアを見送り、ボーヴはそう呟く。


「よっぽど自信があるみてぇだな。いいねぇその余裕。俺も見習いたいぜ」


「……いやはや、お主には敵うまいて」


おどけてみせるグリムの台詞に苦笑しながら、ボーヴはハルバートを掲げた。風が、男の周囲に渦巻きはじめる。それは、霊気の流れにより余波的なものでつくられた風ではない。間違いなく、そこには彼の、ボーヴの霊力が通っていた。詠唱をした様子はない。心唱も霊覚を使っている筈のグリムに聞こえなかった。術ではない、純粋な霊力による業。グリムにはこれに見覚えがあった。いや、見覚えどころの話ではない。そう、その力はまるで――。


「俺と、似てんな」


「いや、殆ど同じじゃ」


グリムの火霊力と同じものだ。


「違うとすれば風か火か。……む? お主、何がおかしい」


グリムは、笑っていた。喉の奥で、押し殺すように。だがそれはおかしいのではない。その瞳は爛爛と輝いている。


「嬉しいだけだ。気にすんな」


これまで出会った自分より強い人間は二人。だが、同じ力を持っている存在と出会うのははじめてであった。それが、彼には嬉しかった。相手は、かつて自分を下した男と同じ、エトアールの人間。力と戦いの渇望を、グリムは抑えきれず、故に、笑っていた。


「随分と待たせちまったが、さあはじめようぜボーヴさんよ! あんたの風と俺の火、どっちが強ぇか試してみようじゃねぇか!!」


荒れ狂う紅蓮の炎。音もなく流動する風の刃。二つの力のぶつかりあいが、霊峰を震わせた。

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