―乱戦―
「撃てぇ!」
騎士の怒号と共に轟音が鳴り響き、人一人は悠に入れそうな大筒が火を噴く。霊呪兵器と謳われる対軍、対フェル用の武器の一つ、霊砲である。数人、十数人、もしくは以上の用員で霊力を込め、筒に刻まれた呪式により純粋な破壊をもたらすエネルギー弾として撃ち出す戦術兵器。全世界で最もポピュラーな霊呪兵器であり、その火力は単純ながらも、単純故に強固な一撃を生み出し、百人規模の隊であっても直撃すれば大きな被害は免れない代物だ。
そんな霊砲の前に、一人の男が立ち塞がっていた。両軍入り乱れるこの大混戦の中、思わず霊砲の射線に迷い込んで来てしまったのだろうか。いや、違う。その男の眼は自らへ迫りくる巨大な光弾を前にして尚、顔色一つ変えない。それどころか、口元には狂気にも思える笑みを浮かべ、赤い瞳に光の弾を写していた。光が、弾け飛ぶ。
「な、なんだ!?」
放った筈の砲弾がその直後に弾け飛ぶという光景に、砲手を務めた兵士が驚愕の声をあげ、誰かに正答を求めるが、彼の周囲にて霊砲の発射助手をしていた者たちも皆唖然として硬直していた。驚き見開かれたその瞳に、今度は突如として紅蓮の炎が写る。
「大した事ねぇなぁノラルの霊砲もよぉ! これで……」
視界を覆い尽くす真紅のカーテン。それが、彼らのこの世の見納めであった。
「最後だ!」
霊砲とその砲手達全員を灰へと変えた焦熱の大地に、グリムは立っていた。凍土の地べたは彼の生み出した炎の熱気で解けに溶け、一部溶岩と化している。そんな彼の傍らに霧の塊が舞い降り、そこから声が響きだした。
「支援は無用だったようだな」
「おー、ガガ。来てたのか」
戦場のど真ん中であるというのに、緊張感も見せないグリムの態度とその言葉に、ガガは苦笑する。彼らの周りをノラルの兵たちがジリジリと迫っているが、気にする様子はない。
『終わったかグリム』
そんなグリムの耳に、共鳴したメルシアの声が響く。彼女の霊力を辿り首を巡らせば、黄金の実をつけた巨木の上に座る魔女の姿を捉える事が出来た。
『アングァスト頂上へ行くぞ。二つの霊気を感じる。恐らくは』
『エトアールか』
メルシアの声をグリムが引き継ぐ。
『突破出来るか?』
グリムとガガを覆う兵士の層がさらに厚くなり、そして近づいてくる。それらをざっと見回して、グリムは鼻で笑った。その表情は余裕の笑みが浮かんでいる。
「へっ、出来ねぇと思うか?」
無手だった右に槍を呼び起こし、構えるグリム。彼とガガを取り囲む兵たちに緊張と殺気が高まった。霊気が増幅する。熱として火炎として膨れ上がるそれを、霧の中から出てきた翠の手が制した。
「任せろ。路を開ける」
霧から染み出すように、翠の亜人がその全身を顕わにした。いくら幻獣に見慣れているとはいえ、人型の異形が突然現れた事に慄くノラル軍。ガガは、グリムの返答を聞かぬ内に、その両の拳を打ち鳴らした。
「スイ バク ル リュウ……オウ ダク」
ガガの元に何処からともなく滴が生まれ、繋がり溢れて水流を生み出す。
『水吼・玉』
心唱と共に水流が球を形成し、膨れ上がった。囲う兵も放たれた霊術も木の葉の如く散らして、全方位へ肥大化していく水のドーム。さながら生きる津波のよう。その水球ドームの中から、紅い閃光が飛び出した。崩れていた陣形をさらに追い立てるかの如く、一直線に突きぬけて行く。その上を同じく金色の矢がついていった。それを見送り、ガガは水を解く。そうして、崩れた陣形を立て直そうとしている軍勢に、呟いた。
「来い。雑兵。潜映……霧尋」
周囲一帯が霧に包まれて行く。紛れる亜人の姿。包囲から抜け出した敵を追うことも出来ず、兵は白霧の世界に閉じ込められていった。
迫りくる三本の矢。一つの弓から同時に放たれ三角を描くそれを、マロリはその達磨のような重そうな体躯を意外な程に機敏に捻り、紙一重で躱す。そのまま地面を蹴って射手へと肉薄し飛び蹴りを撃つ、が金鎧の騎士も素直にそれを食わうわけもなく、両者の距離は再び離れた。
「ちっ。見た目の割に素早いじゃん!」
仕切りなしの合間に、騎士が悪態を吐く。もう一度三本の矢を精製し、弓につがえてマロリに向けて構えた。
「僕としてはそろそろ君の単調な攻撃に飽きてきたよ。そろそろ終わらせちゃおうかなー。思ったよりワクワクしないし」
対してマロリはどこか呆れた様子で、首を振る。
「まあ、最後に名前くら聞いておこうかな。その悪趣味な鎧は忘れそうにないし」
あくまで相手を馬鹿にした態度を崩さないマロリに、騎士が憤怒し、弓引く手に力が籠った。
「チョーだ! 覚えておけ達磨!」
そう叫ぶとともに再び放たれる三本の矢。マロリは余裕の笑みで、もう一度騎士へ肉薄すべく矢の合間を潜る。戦いがはじまり、もう数度も見た技。そこそこの霊力は纏っているものの、多少早いだけでそこまでの威力はない。その上、三本をまとめて撃つという行動上、どうしても矢の軌道は安定せず無駄に間が広がりがちだ。それこそ、横に大きい体型のマロリが体を捻れば難なく通れてしまう程に。故にマロリは余裕に胡坐を掻いていた。だが。
再三同じ回避行動を取るマロリの姿を捉え騎士――チョーは口端を釣り上げ、何事か呟いた。
「あぁ、あ゛ぁぁあ゛ああっぁぁああああ゛!」
弾け飛ぶ電光が戦場に走る。矢の合間を潜りぬけようとしたマロリに、それぞれの矢から電流が糸のように絡み付いて電撃を浴びせていた。
「俺はチョー。電磁のチョーだ。脳に刻まれただろ」
先程までの攻撃はブラフ。適当な攻撃と見せかけ、この一撃を放つ為のものだ。呟きは恐らく、発動の為の詠唱。
「ぁぁあっ――!」
チョーは術を解きはしない。マロリの体が血を沸騰させ骨まで焦げ付くまで、止める気はない。
「聞くに堪えない醜い悲鳴だな。さっさと逝くじゃん」
しかし、長過ぎるとチョーは思った。いくら纏霊して耐久力があるとはいえ、叫び声もあげているというのに、マロリの体からは出血一つ見られない。そんな事は有り得ない。そう思った瞬間だった。マロリの指が彼を囲む矢の内の二本に触れる。同時、それは土くれとなって崩壊した。電磁の網も解かれ、マロリの体が落ち、器用に着地した。
「んー……痺れたよ」
多少服装は焼け焦げているものの、マロリの表情は先程までと変わらない、小馬鹿にした笑みのままだ。
「おかしいじゃん……なんで無傷なんだよ。答えろ肉達磨ぁ!」
「言うかよバーカ」
『エレクト・クラック!』
短絡な挑発の言葉ながら、真に受けたチョーの額に浮き出た血管がその怒りの度合いを示す。血走った眼が標的を見据え、矢を放った。その射る速さは先程までの比ではない。相変わらずの三本ずつだが、一秒という時間の間に五度、計十五本の矢。さらに、一本一本が電磁の糸で繋がり、面としてマロリに襲いかかる。先程のような矢と矢の隙間を潜る事も不可能だ。
しかし、マロリは笑みを崩さない。ゆっくりと、言霊を紡ぐ。
『瞬天足』
紡ぎ終えたのは、矢の先端が彼の顔面に触れるか否かの距離。普通に考えれば間違いなく遅すぎる術の発動。チョー自身も勝利を確信していた。彼の電磁霊術は矢の本数が増すごとにその密度が上がり威力が増大していく。先程何をしたのかわからないが、三本分の電流には耐えられてもその五倍には耐えきれまい、と。そう、顔を歪ませて、その顔面を蹴り潰された。
マロリの初撃の時とはまるで格の違う速度と威力をもろに受け、もんどりうって地面をバウンドし吹き飛ぶチョー。
「がぁぁぁあああぁっ!」
痛みに呻く彼の代わりに、先程までの彼の位置に降り立つ、達磨のような男の影。
「遅すぎるよこっぱげ。チョー。ん、チョンだっけ。ま、どっちでもいいか」
とんとん、と爪先で地面を叩くマロリ。その足はつい刹那前とは違っていた。淡い光に包まれ、その光が地面を押し退けているのか、マロリの体を少し浮かせていた。
「な、なんなんだよお前はいちいちむかつくんだよ!」
いつの間にやら立ち上がったチョーが矢をつがえる。同時、彼の眼前には既に光が迫っていた。咄嗟に首を曲げてマロリの蹴りを回避する。攻撃後の隙を射抜こうと矢の先端を向ける、が既にそこにマロリの姿はなかった。
「どこ見てんだよ。髪もなければ眼も眩んでるのかよっ」
小馬鹿にしたマロリの声が背後から響く。殆ど反射的に振りむいて弓を引くが、真っ直ぐにマロリへと飛んでいった矢は彼の体に触れた瞬間、土くれとなって砕け散ってしまう。
「無駄だよ。これが僕の術。さ、死にたいならかかってきなよ。今なら見逃してあげるけどね」
「うるせぇ! 俺はなぁ、そういう嘗めた態度取る奴を絶対に許さねぇんだよ!」
マロリの台詞にチョーが叫び返し、地面を踏み抜いた。四方八方に電流が走り、辺りを乱雑に破壊していく。しかし、咄嗟に放ったものの為か、大した威力もない。マロリは己に向かってきた何本かを虫でも払うかのように手ではたく。
「怒ってもこの程度なんてね。ノラルも大したことないなぁ」
『エル エル ロテュニカ』
また軽口を叩くマロリであったが、返答は詠唱であった。徐々に徐々に霊力が高まって行くのを、マロリは余裕綽々といった態度を崩さないで見ていた。蔑むような、嘲笑うような視線と、チョーの殺気に満ちた視線が交差する。
『エレント・エレリア』
心唱の最後一節と共に、矢が放たれた。遅い。それも一本だけ。だが、その矢からは大量の電流が迸り、一つの電磁の塊となっていた。感じられる霊気はこれまでとは一線を画すものがある。地面を抉り巻き上げた土砂を電磁が蒸発させている。しかしながら、それはあまりに遅すぎた。起死回生の一手として撃つにはお粗末に過ぎるといったところ。マロリは一瞬身構えたが、「瞬天足」使用中の自分ならば簡単に避けれる程度の速度と大きさに拍子抜けしてしまった。避けるのも面倒臭そうに、向かって来る雷球からサイドステップで距離を取るマロリ。そのまま雷球は彼の居た場所を抉るだけで通り過ぎる――筈だった。
右足に、マロリは違和感を覚えた。何かが纏わりついている。そう思い目を向けるとそこには、絡み付く電磁の紐。それを辿れば、今まさに避けたばかりの電磁球に繋がっていたのが確認出来た。彼の全身が警鐘を鳴らす。球体は既に紐を辿って近づきはじめていた。まるで、導火線の如く、ゆっくりとだが確実に近づいてくるそれは、突如としてその速度を跳ね上げた。