―霊覚―
火花が散り、突風と轟音が巻き起こり、雪が蒸発し地面は砕けて粉塵を巻き上げる。メルシアが急拵えした結界の中で、二人の騎士は思う存分に戦っていた。もし彼女の張っている結界が無ければ、既にここ周囲一帯はこの世に存在していないだろう余波を撒き散らしながら。教会の裏庭というなんともいえない場所で戦っている為、時折修道女や神父、コルストの掲剣騎士団やらが通りかかり何事かと慌てるが、彼らには二人の戦闘行為の欠片も捉える事は出来ないだろう。霊覚の扱いを知る騎士団員であっても、わかるのは何かとんでもないものがとんでもない事態を引き起こしているが、巫女がいるから何かしらの安全策は練っているだろうと、確証のない納得をする他ない。例え地面が砕けたのがわかっても、わかるのはそれだけだ。それが何故、どうして、誰の手で起こってその誰かが今現在どうしているかが視えるわけがない。それくらいに、この二人の戦いは速過ぎた。どうにか集まってくる見物人に事態の説明をしたいが、メルシアもメルシアで手一杯である。ちゃんと術式を用意した上でやるのならばわざわざここに居るまでもないのだが、今回は急拵えもいいところだ。周囲に余計な“破壊”がもたらされないよう最低限の結界を張りつつ、二人の動きを霊覚により追いかけて、余波が集中するところに先回りで強化を施す。といった作業をせざるを得なかった。こんな急造の結界では二人のどちらかが破る気になってしまえばそれまでだが、二人の意識をそれぞれお互いに集中してくれている為、その辺りの心配は要らなかった。いざという時は本を解放すればいいが出来るだけお断りしたい。本心ではこんな街中ではなくてアングァストの頂上ででもやって欲しいところだが——。
『パレート・オフェリア』
そんな彼女の思考を読み取ったのだろうか。烙印術の心唱が、霊覚を使っていたメルシアの耳に届く。それは隔絶の術であった。
自分の張っていた結界を解き、背後の人物に振り返るメルシア。そこには、外出用のフードまでしっかりと被ったアーノイスの姿があった。
「アーノイス起きたのか? 早いじゃないか」
「こんだけ大騒ぎされたら嫌でも目覚めるわよ。何が——って聞かなくてもわかるわね。うん」
だろう? とメルシアは半ば呆れた視線を新しく造られた鍵乙女の結界内の二人に向ける。結界が切り替わった事には恐らく気付いているだろう。だからといってさらに激しく戦わなければいいが、との危惧もその眼には映っていた。
「オルヴスの奴が珍しくグリムに訓練を持ち出してきてな。あいつの事だから二つ返事でOKだしたんだよ。珍しい事もあるもんだな」
「彼が……?」
それは珍しい、とアーノイスもメルシアの談に同意する。グリムの方から突然彼に襲いかかったりすることは多々あったものの、オルヴスの方からグリムに戦いを申し込むことなどこれまでにあっただろうか。いや、ない。倒置方。そんな疑問を抱いていた為、アーノイスは数秒、怪訝そうに自分を見つめるメルシアに気付かなかった。
「むむ」
「えっ……? 何?」
ようやっとメルシアに気がいったアーノイスだったが、彼女の思念の把握には至らない。見つめ合う事さらに数秒。メルシアが口を開いた。
「何かあったな?」
「え、ええと……」
あったにはあった。だが、何故いきなりそれを言い当てられてしまうのだろう。それも、今気付いた感じで。ここまでのこんな少ない言葉のやり取りに何か違和感なんてあっただろうか、と一分にも満たない過去を振り返るが別段問題はないような気がしていた。
「ふーん。成る程。まあその話は後にしよう」
「あ、ちょっとメルシア」
「ほらほら、気を取られると結界崩れるぞ」
一体メルシアは何を納得したのだろう。疑問は深まるばかりだが、今はともかく訓練に全力を尽くしている二人の方を視る事にした。とはいえ、アーノイスの霊覚ではあまり捉えられない。彼女の技術では、二人の速度を捉える事はまだ難しい。烙印術で無理矢理に戦闘の才覚を“開かせて”いるとはいえ、だ。
「……私にも少しは見えるようになるかと思ったけど、全然ね」
二人がこんなにもぶつかりあうのを見るのは実に数年ぶり。御前試合以来だ。教会のすぐ近くで騒がしくしている二人にちょっと言ってやろうと思って出てきていた事はすっかり忘れ、眼前で繰り広げられる、およそ個人同士の戦いとは思えない激しい光景を見ようと眼をこらしていた。
「アーノイスも、戦いたいのか?」
ふと、メルシアが先程までとはうって変わって真剣な眼差しで問う。アーノイスは自然と眼を伏せた。そう見られてもおかしくないのかもしれない。けれど、彼女は確かに首を横に振る。
「戦いたい、わけじゃないわ。でも、戦わなきゃ護れないから」
メルシアは昨日の一件の事を考えていた。アーノイスにクルスの治療を頼まれる前に、彼女が戦い方を学んだようだとグリムから聞き及んではいたが、実際に目の当たりにし驚いたというのが正直な感想だった。通常、霊覚を見につけるには誰しも最低二年の修業が必要だという。しかもそれで見につけられるのはせいぜい360度視界とでも呼ぶ程度のもので、音や光を“見切る”事は出来ない。修練を積んだものでも大概は極音速が限界。音速を大きく越える物体を見る事が出来るのはほんの一握りだ。だが、彼女は光とまでいかずとも超音速程度の挙動なら見れていた、とメルシアは当たりをつけている。でなければあのエトアールの亡霊に対し、先回っての攻撃など不可能だったからだ。それは平均的な掲剣騎士の霊覚能力とは比べ物にならない。アーノイスに元々強大な霊力と天才級の才能があれば、あのオルヴスの元で修業してそのくらいにはなるのかもしれないが、彼女に戦いの才覚があったとは思えない。となれば、彼女を取り巻く状況を考察して導き出される事は一つ。烙印術の行使。その上、アーノイスが使っていた光の糸による攻撃は間違いなく烙印術によるものだった。さらにはその術の“心唱”。霊覚を使った戦闘の中で、声に出す詠唱では遅過ぎるが故に、魂で術を唱えるのが心唱だ。術の特性と文言を十二分に理解した上で、術を行使する。これもまた、普通では習得出来ない技能であるはずなのだが、アーノイスはそれをあろう事か烙印術で実現していた。
「あまり無茶をするもんじゃない。今だって無理矢理体を動かしているんだろう?」
となれば、巫女として、また彼女の傍に居る人間として、アーノイスに忠告しなければならない。今彼女は霊力を体に通している——纏霊しているが、いくら体が重いからと日常生活の上でそんな事をするやからはいない。しかも、メルシア自身も任せてしまったとはいえ現在進行形で隔絶の術を使っている。烙印術はこの世界で最も、世界の法則から外れた力だ。故に使用には多大な反動がある。鍵乙女が烙印術を使いこなせるなら、従盾騎士や掲剣騎士など意味をなさない。だが、それが出来ないのが現状だ。女神にでもなれば話は別だが、初代鍵乙女を覗いて過去千年、例はない。
「……そうね。気をつけるわ。ありがとう」
メルシアの言わんとしている事に素直に理解を示し、礼を述べるアーノイスだったが、それが上辺である事をメルシアは見抜いていた。しかし、もう追及はしない。出来なかった。彼女の瞳がどうしようもなく苦渋に満ちていたから。
「うむ……そうとなったら馬鹿を止めるぞ。こいつらのせいで私は朝食もまだなんだからな」
わざと明るい声音でメルシアは隔絶の結界の方へ、未だ戦いを続ける二人の方へ歩きはじめた。
アーノイスは後に続かない。ただ申し訳なさそうな眼で、自分の何倍もの時を生きてきたと言われる童女の後ろ姿を見つめていた。