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白月に涙叫を  作者: 弐村 葉月
八章 戦と死
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―喧騒―

翌日。

アーノイスは教会より宛がわれた一室にて、突然響いた轟音とその余波による衝撃に強制的に目覚めさせられた。


「うぐ……なによ、もう」


あまりに大きな音と震動であった為、靄がかかったように不透明な朝の脳内も否応なしにフル稼働させられる。元々朝は強くない上に今は霊力も発現させていない。緩慢で重苦しい動作で自分にのしかかっている布団を押し退け、這いつくばるように床へ足を降ろす。その間にも二、三度衝撃が伝わっていた。アヴェンシス教会の建物は総じて堅牢に造られている。それはフェルと戦う掲剣騎士を置くのが教会の一つの目的でもある為、ある程度は敵の襲撃に耐えられるように設計されているのが通例である。そしてそれはここコルストの教会も例外ではないのだが。となれば敵の襲撃か、とようやく自身の体に霊力を流し半ば強制的に目覚めたアーノイスが思考を巡らせるが、その線は薄いような気がした。何かあればオルヴスが、彼が敵襲に応戦しているのであれば掲剣騎士等教会関係者の誰かが知らせに来る筈だろうからだ。別にこれは自惚れではなく、鍵乙女というのがそういう存在だと知っている上での考えである。ともかく、そうなれば考えられる答えは二つ。ここの教会の人間全てで当たらなければならないほどの大事か、教会内での修練によるものか。掲剣騎士では集団で扱う陣霊術なる戦法がある。幾人もの人間で術式を描き、または元から刻印を用意して使役する殲滅術。強大なフェルやまたは戦争の際に使用される、といった感じの話をアーノイスは以前何処かで聞いた気がしていた。それならばこんな音がしても仕方がないのかもしれない。時計を持つ習慣がないアーノイスには今が早朝なのか昼間なのかはたまた夕方なのかもわからないので、「何を朝っぱらから」と憤慨する事も出来なかった。それに、これだけの轟音を起こす人物には二人程、いや、二人セットで心当たりがある。出来ればそっちじゃない方が良いと願うアーノイスであったが


『ハッハー! いいじゃねぇかオルヴス! 今日はノリがいいぜぇ! 最っ高っだぁぁぁぁあ!』


建物の中に居ても余裕で聞こえてしまう明朗快活な叫び声が、悪い方の予感に正解の判を押した。


「……………………はぁ」


出来れば彼は火中に居ないで欲しいと思ったが、遅い。というかもう既に名前を呼ばれている。盛大に溜息を吐きながら、アーノイスはいそいそと身支度をはじめた。髪もぼさぼさであるし、寝起きも寝起きで酷い顔になっているだろう。平穏の象徴たる鍵乙女がそんなみっともない姿で衆目にさらされるわけにはいかない。本当ならこの騒ぎの大元に今すぐにでも駆けつけたいが、仕方がない。

化粧棚に座り、鏡の前で櫛を通しながら、アーノイスは昨晩の事を思い出していた。昨晩とは言っても殆ど今日なのだが、そんな細かい事はどうでもいい。ずっと、それこそ少年であったチアキと別たれてから何年も心の奥底にあったわだかまりが取れた、憑き物が落ちたような気分だった。今となっては、何故もっと最初に、彼を従盾騎士と任命した時に聴ければ――と詮無い後悔が脳裏を掠めるが、それも致し方のないことだ。自分はこの世界の命あるものを護る鍵乙女で、彼はその鍵乙女を護る従盾騎士。そしてそれはアーノイス=ロロハルロント=ポーターで、チアキ=ヴェソル=ウィジャが担っている。傷みと哀しみばかりのこの世界で、その事実は彼女にとって大きな安寧をもたらしてくれる。彼への罪悪感は消えない。これからも消える事はないだろう。でも、それでいい。我儘かもしれない。傲慢かもしれない。理不尽かもしれない。だが、彼女はこれからも彼に従盾騎士であって欲しいと願ってしまう。でも、それも甘んじて受け入れようとアーノイスは思う。自分はどうしようもなく矮小で、弱い存在だ。その上で、願った。彼が二度と自分から離れてしまわないように、もっと強くなろう、と。


「あ」


そういえば、と全く関係ない、関係あるといえばあるのかもしれないが先程考えていた事に比べると割と小さな事にアーノイスは気付く。“彼”をなんと呼ぼうか――。昨夜は「チアキ」と呼んでいたが、よくよく考えれば公衆の場でそれは良くないのではないだろうか。チアキ=ヴェソル=ウィジャはロロハルロント国にて既に処刑された存在なのだ。祖国ではウィジャ家自体がもはや稀代の大悪党であったかのように認識されている事を彼女は良く知っている。誰も、その名を口にせず、その家に伝わっていた術を語る事もしない。それほどに、彼女の父は、ロロハルロント王は徹底的にウィジャ家を殺したのだ。どうやったのかは、国を離れたアーノイスにはわからないが。チアキ、という名前は独特だ。変わっていると言っても良い。だが、それがウィジャの名前なのだ。知る人が聴けばすぐに気付くだろう。それに彼女はこれまで、彼女の周囲の人間も教会の人間も全員が全員彼を「オルヴス」と呼んでいる。突然別の呼び方をする、というのは多分におかしいことだ。髪を梳かし終え、アーノイスは数瞬思考を巡らせたが埒が明かない、と席を立った。今から騒ぎを起こしている彼をちょっと叱りに行くのだ。その後で一緒に決めよう。そう思い直して、彼女は次の準備に取り掛かった。






グリム=ティレドは心躍っていた。口端は吊り上がって狂喜の笑みを形作り、真紅の瞳は爛々と輝き、沸き上がる感情の向くままに溢れ出る霊気が熱なり炎となり彼の周囲に撒き散らされている。戦い。それも強者との、遠慮の欠片一切のない戦いだ。それだけで、グリムの気分は最高潮にまで達する。

地面を蹴る。身体中から発する熱気に既に蒸発した雪下の大地が焦げて砕けた。どうしようもなく溢れる力を大まかに、右手に握った槍のその穂先に集め、業火を生み出す。悠然と立つ黒衣の標的を見据えた。槍の柄ギリギリを持ち遠心力を、脚力で加速力を乗せた一撃を叩きつける。爆煙が周囲一帯を視界零の世界と化した。

殆どの相手を灰燼と化す程の火力、威力。だが、そんな事で倒れるような相手ではない。何も見えない中で、グリムは槍を握る手に確かな違和感を覚える。それが、彼の愉悦を加速させた。

煙の中から黒い手が迫るのを、グリムは霊覚で捉えていた。顔面を素直に狙ってくる五本の爪を、寸前で上半身を右捻りに躱す。同時に槍の柄を引っ張ってみるが、びくともしない。それを確認するが早いか、彼はもう一度踏み込む。穂先は掴まれている。離れない。なら自分から詰めればいい。掌を滑らせるように移動して、穂先の直前までくる。そして、足を地べたに打ち付けた。衝撃波が噴煙と地面を吹き飛ばす。晴れた視界の中、二人の男が紅い槍を境に視線を交わし、両者は弾けるように飛んだ。飛び退きながら、片方は人間大の黒い球を、もう片方は火焔の弾を幾つにも放つ。ぶつかり合い相殺し、また爆発が巻き起こった。グリムは槍を強引に“黒の腕”から引き剥がし、体勢を立て直した。


「あっぶねー。思わずソレに触るとこだったぜ」


「騙せると思ったんですがね。甘かったですか」


切れていく煙の中、槍を構え直してグリムが軽口を叩く。答えるオルヴスの左肩からは、三本目の腕が鎌首をもたげていた。それに触れた時点で勝敗が、生死が決する事をグリムは知っていた。無論、それが呪印交霊が形を成したもので、故に触れれば魂が食われる、といった具体的な所がわかっていたわけではない。ただ単に勘である。単純で合理性に欠け、そして最も彼の頼る所だ。


「ったりめーだ。三本も腕ある人間が居てたまるかっての」


先程自分で危なかったなどと語っていた事は棚に上げる。なんにせよ、喰らっていなければ喰らっていないのだから言った者勝ちであろうが。


「さて、準備運動はこれくらいにしましょう」


言って、オルヴスが腕を戻し、代わりにその姿が魔狼へと変化する。グリムも呼応するように自身に纏う焔の鎧の出力を上げた。


「メルシアぁ! 結界ちゃんとしといてくれよ!」


名を呼んだ人物の方は全く見ずに要求だけ口にする。


「程々にしとけよ……全く」


そんなメルシアの愚痴は果たして届いたか。紅い光と黒い影が残像すら残さず再び踊りはじめた。

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