彷徨う黒玉
「っ撃ぇ!」
一斉に放たれる、七十口径砲。自衛隊の最新鋭戦車の一斉砲撃である。
目標は前方でゆっくりと転がりながら移動する巨大な黒く歪に丸い塊。
晴天の青空の下、普段は市民の行き来が与えない通りがそれらは見当たらず、今日は軍用車両が占有している。
これは軍事演習では無い。
此処は日本、金波県の県庁所在地金波市。砲撃をしているのは陸上自衛隊金波駐屯地から出動してきた戦車隊だ。行く当ても知れず、彷徨う様に周囲を破壊しながら進む黒い球を、必死の攻撃で停止を試みる。しかし目標に止まる気配は無いし、ダメージを与えている手応えも無い。
「ええい! 何としても、破壊するんだ!」
隊長が叫ぶ。と其処に、空対地ミサイルがニ発、目標へと命中する。ミサイルの進路を辿ると其処には三機の戦闘機の姿。
着弾と同時に轟音と爆音、爆煙が黒玉を包み込む。其処に一機の戦闘機が接近し機関銃を撃ち込む。
「やったか?!」
誰もが手を止め、状況確認に努めた。ほんの一時、不意の瞬間。
パン……ガボン、と上空で何か破裂音と破壊音がする。隊長は何事かと上を見上げると、見事に両断された三機の戦闘機が目に入った。
「は? ……はっ!」
ズガンッ!
――「……」
ソファーに腰掛ける様に座り、何か大きい物を抱き抱える様な体勢。
体の隅々まで輪郭に沿って密着する感覚。
それは衝撃吸収素材の防護物で体の自由を制限された空間。隙間。其処に光は一切無い。
頭の先から爪先まで全身を隈無く包み締め付ける最新式着衣型MMI。
頭にはヘルメット一体ゴーグル型モニタ。
モニタには破壊されたビルや家屋、そして軍用車両の数々が映し出される。破壊された戦車や車両は悉くが切断されており、其の疵は全て一直線上にある。其の先には巨大な異形のモノ。七階建ビルと同じ高さのそれは、歪ながらも球形をしており、ビルに食い込む形で停止していた。
「奴は日本海沖二十キロに出現、その後浮遊し進路を南に取り、現在金波市まで到達。既に周囲十キロ圏内の住民はおおよそ退避済みだ」
若い男のその声は冷静にヘルメット内に響き状況を説明する。
「だからといって、建造物の破壊許可は出ていないが。奴には自衛隊の最新鋭戦闘機も戦車も紙飛行機同然、に叩かれ豆腐同然に二分された。お前は善戦してくれよ。……この先には、国の重要文化財である金波城がある。壊れたら、嫌だろ?」
期待しているのか、いないのか。
”機動骨格八番機。稼動チェック開始。排熱回収回路、チェック……クリアー。Eドライブ……”
何かのチェックを行う女の声がする。
「問題無い。奴など所詮機械、無機質の塊。只のガラクタだ」
自信に満ちた男の声。其の声がスピーカから聞こえる其処は、様々な電子機器やモニタ画面に埋め尽くされた広大なオペレーションルーム。窓はなく、光源は天井の照明とモニタ画面。室内では十数名のスタッフが各々持ち場にて作業に当っている。皆一様に襟の高い、白を基調とした制服を身に付けている。明るく広いフロアには天井から複数の巨大なモニタがたち下がる。その中で唯一動作している巨大モニタに映るのは、台に固定された、真紅の巨大な人形と忙しく動き回る人間達、と目まぐるしく入れ替わる、状況を知らせる表示類。人形は同時に映る人影から比べるに十五メートルはあるだろう。若い男は、其のフロア内にあって一段小高くなった重厚なコンソールデスクに向かって、これまた重厚な椅子に深く腰掛けていた。
金髪が美しい其の男は巨大モニタに向かい、
「まぁ、期待はしているよ。君は我が”A.R.R.P.F開発事業部”の星、だからね」
「問題無い」
男達の会話に割り込む女の声
「四十番ゲート開きます」
作業は着々と進行する。
――「くそ! 何だ、あれは? あの黒い玉は!?」
黒玉をビルの柱の陰から睨みつける、一人の若い男性兵士。手には破損した防音耳当て付きのヘルメットを持つ。戦車隊の生き残り、其の男を残して隊は壊滅状態だ。
「何処の国の兵器だ? 宣戦布告も無しに攻撃かよ!」
其の男はついさっきまで気を失っていた。戦闘機が切断された処までは覚えている。切断された戦闘機に目を奪われていると、不意に猛烈な衝撃を全身に受け、ビルの壁まで吹き飛ばされ、衝突した際に気絶したのだ。
奴は先程から少し進んで金波市のランドマーク、香乃森ビルに食い込む形で停止している。空は青いが日が大分傾いていた。男は周囲を見回し、部隊の被害を確認する。
「何をしたんだ……?」
戦車の車体や地面に残る攻撃の跡は今まで見たどの兵器とも違う。と黒い玉状の敵を睨んでいると、またもや不意に、衝撃を全身に受ける。しかし今回は踏ん張りきれるものだった。飛散するアスファルトの破片から顔を腕で守りつつ、視線を衝撃の中心地へと向ける。其処には……。
「何だ? 新手か?」
全身、真紅の巨大な人が立っていた。いや、あんな巨大な人間など存在するわけ無い、それは解る。モータの駆動音が聞こえるから機械、機械人形だ。
駆動音が聞こえる分、黒い玉よりかは幾分か人工物らしい。しかし、その立ち姿は自然で、鍛え上げられた兵士の如く、整然と立っている。本物の巨人であるかのように。
二つの巨大な存在、それはまるで昔見た戦隊ヒーローだ。最後に敵を討ち取るシーン、巨大化した敵と、正義の巨大合体ロボ。今はどちらが敵か味方は解らない、どちらも敵かも知れないが。それらを前に男は、自身の無力感をひしひしと感じながらも其の場を離れられないでいる。状況を飲み込むのが精一杯で、退避する処まで頭が進まないのだ。男が目の前の存在の理解に苦慮していると、破裂音と破壊音が鳴り響く。
「?!」
男の目には、一瞬にして地面が抉られ其の破片が飛び散るところが確認出来たが、何故そういう現象が起こったのかは確認出来なかった。そしてその答えを考える間もなく、無数の破裂音が鳴り響き、男は思わず両耳を手で塞ぎ、身体を前に屈する。音が止んだと思った瞬間、何か飛来する気配があり、顔を上げると巨大な金属体、菱形の刃物が此方へ浅い放物線を描きながら飛んでくる。
「うわぁ!」
男は、咄嗟に横っ飛びからくも直撃は免れた。
「んなもん刺さるかよ!」
男は、何か胸に湧き起る悔しい思いから荒れた口調で怒を吐き出す。無意味なのは解っているが、そうでもしないと気が済まなかった。そして顔を真紅の機械人形へ向けると、其れは巨大な日本刀を腰から抜き、切っ先を黒い玉に向けている。
「今度は何だ? ……あ」
男は急に、全身に強烈な倦怠感を覚えその場に崩れこみ、そのまま意識を失った。
――男性兵士が再度気を失う、数十分前。
何処か高台にある広大な芝生の広がる公園。普段は市民に愛される憩いの場。しかし今その芝生の中程に二十メートル四方に亀裂が入り、またその中央にも左右を二分するように亀裂が入り、形作られた二つの長方形は地響きと共に一段落ち込みそのまま左右に別れ引き込まれた。
青々とした芝生の絨毯は大きく口を開ける。その内部は、口の形に沿って長大な金属構造物の壁が地中深く垂れていた。
キュルルル……
等間隔に配された黄色の警告灯がリズミカルに巨大な人影を照らす。地下よりその中をモーターが金属ワイヤーを巻き上げる音を響かせ、せり上がる巨人を載せた台。
金髪の男は巨大モニタに向かい呟く。
「健闘を祈るよ、犬飼主任。街を守ってくれ……」
若い男はふぅと一息吐くと、今まで座っていた大きな椅子から立ち上がり、伸びをする。そして椅子の横に立つ初老間近の男に小声で言付けする。
「あれの準備を頼む」
「……」
数瞬間を置き初老の男は無言でその場を後にした。
若い男は何事も無かったかの様に椅子へと戻り、肘掛に肘を置き、頬杖を付きながら視線をモニタへと向ける。
……ゴゥン。
せり上がる台は遂に公園の地平へと到達し、その上に載る真紅の巨人がその全貌を露にする。
各関節周辺を大きく省いて配される直線を基調とした装甲でフレームを包む体躯、腰には反りを下向きにして取り付く鞘、其処から柄が伸びる。それは当世代の最新素材の塊ではあるが、紛れもなく太刀だ。
細身で必要以上の装甲を省いたその体躯は山猫の様なしなやかさと瞬発力を感じさせる。
「MMI最終同調確認……クリア、操縦士、機動骨格同調完了。生体モニタ異常無し。ワイヤ拘束解除、アンカー解放。周辺不安要素無し。……目標は現在地より西北西直線3キロ先、香乃森ビル。御武運を、主任」
先程の女の声がヘルメット越しに男へ語り掛ける。
「……躯、出るぞ」
真紅の巨人、機動骨格八番機、躯は、犬飼主任と呼ばれる男の声と共に足を踏み出した。
機動骨格、それは人の形をした巨大機械。犬飼はその操縦士。
「軍は何をしている。第六次大戦の亡霊め……」
眉間に皺を寄せモニタを睨みつける若い男の座る肘掛に備えられたコンソールパネルから軽い電子音が発せられ、付随するモニタに女の顔が映し出される。
「部長、首相よりお電話です」
先程とは別の声の女が金髪の若い男に電話を伝える。相手は首相、この国のトップだ。
若い男は姿勢を正し咳払いした後、席に設置された受話器を取り保留を受ける。
「お電話替わりました、椚です。……はい、奴は此処で排除します。問題ありません。……ええ、市街戦ですがいつも通りの準備は出来ています。……では」
電話が切れると椚は力なく姿勢を崩し、項垂れる。
「はぁ……、頼むよ、ほんと。犬飼主任。……クミちゃん、お茶」
はい、と電話を取り次いだ女は返事をし、席を立つ。
――「Eフィールド展開。跳ぶぞ」
犬飼は躯の操縦席でヘルメットに内蔵されたマイク越しに、椚のいる場所と交信する。
躯の行動は椚達の居るオペレーションルーム、通称”本部”へと逐一映像と供に伝わる様になっており、其の映像は巨大モニタに映し出される。
次の瞬間、躯は十五メートルもある巨体を其の場にフワリと宙に浮かばせる。そして瞬く間に天高く飛翔し、目標に向かって一直線、滑る様に飛行する。高空を滑降する真紅の機械人形はまるで、重力に捉われた隕石の様。
「目標を捉えた。これより目標“黒玉”と接触する」
誰の命名だ、等と思いながら犬飼はゴーグル型モニタの枠内に黒い塊を捉えた。様々な矢印や表示がその塊を中心に、差し示し、取り囲む。
頭部から自由落下し地面へと直撃しようかと言う直前、急に姿勢を制御し、躯を反転させ目標の前に降り立つ。それは実に荒々しく、大量のアスファルトの破片を巻上げ、地点付近は大きく抉られクレータ状となる。膝を曲げても吸収し切れなかった着地の衝撃エネルギーが身体各部のダクトから熱気となって排出され、揺らめく空気が骸を包む。
衝撃が収まった後、躯は小型アクチュエータの甲高い駆動音を体躯より滲ませ、緩やかに立ち上がる。敵に反応は見られない。
「……」
暫し黒玉とのお見合いの後、躯が目標へと微かに動く。瞬間、鋭い破裂音の後、激しい破壊音を伴って黒球を始点として百メートル程地面に溝が穿たれた。自衛隊もこれにやられた。気付く暇も無く、為す術もなく。……しかし。
「……」
躯は無事だった。何事も無かったかの様に、溝の開いた地面の横に立っている。
一瞬の出来事であった。それは黒玉の表面から音もなく垂直に伸びた細く透明な一筋の弦。其れが一気に振り下ろされたのだ。突起の無い物体から想定外に伸びるそれ、触手とでも言おうか、は破裂音を発した刹那、地を穿つ。極短い距離で音速を超える触手は常人の目、さらにはレーダー類の捕捉限界を超え、目標を悉く切り裂いた。
躯を除いては。
不意に躯は黒玉目がけ脱兎の如く駆け出す。それは巨体である事を忘れさせる程素早く、機敏だった。そして、その巨躯の挙動は周囲の空気を大量に巻き込み、嵐の如き風を巻き起こす。躯の動きに反応して黒玉も迎え撃ち、放たれる無数の破裂音を伴った鋭い触手。周囲のビル群を細切れに切り裂くも、其れは悉く的を外し、最後の一撃が虚しくも空を斬ると真紅の体躯は高く跳躍し、手首の付け根から数本のクナイを射ち出す。それらは勢い良く黒玉の表面に到達するも、滑らかに丸い形には食い込む隙も無く、弾かれる。空中の不安定な状態を黒球は見逃さず、触手を振るう。が、躯は空中で手足を振り、発生した慣性を推進力とし、クルリと身を翻し事もなく避け、黒球から数百メートルはなれた位置に着地する。
「ユリ、重鵡の使用承認頼む」
犬飼は自身の専任オペレータ、ユリに言う。ユリは自身の対峙するコンソールに配されたキーボードを弾きだす。
「了解、封印解除申請零一五号発行。……申請受理確認。……管理局より重鵡封印解除コード「シグムント」来ました。封印解除します」
そして画面上に承認を受けた旨の表示がされると、彼女のデスク上にある、”解除”と記された蓋が自動的にスライドし、中にある緑色の釦を押す。すると躯が腰に帯びる太刀の鯉口を覆う金属製のカバーが軽い破裂音と供に弾け落ち、其の中ではばきを締め付けていた、柄を挟んで両側各二本、計四本の極太ボルトが独りでに火花を散らしながら甲高い音を発して周り、緩み落ちる。落ちたボルトは鈍い音を伴いアスファルトの地面に沈み込む。
「了解」
犬飼がそう言うと、躯は腰に付く太刀の柄を握り、背丈の半分はあろう刀身を一息で引き抜く。
切っ先を地面すれすれに、すっと立つ其の姿は自然で、其の場面のみを切り取って見れば手に太刀を持つ真紅の甲冑を着た人間が立っている様にしか見えない。
「お前は楽で助かるよ」
犬飼は黒玉に話し掛けるように言うと、躯の右腕を真直ぐ黒玉へ伸ばし切っ先を向ける。と同時に躯の大きく張り出した背部の、人間で言う肩甲骨間の背骨の位置にあるダクト状開口部のダンパが開き外気の吸引を開始する。心成しか薄い光が吸い込まれているようにも見える。そして数秒の間の後。
「割れろ」
犬飼がそう呟いた刹那。躯の背後に強烈な衝撃波が走り周囲の建物が粉々に粉砕され、相対する黒球は音も無く真っ二つに割れた。其の後ろ、香乃森ビルも二つに割れた後、粉々に粉砕し崩れ去った。
黒玉は二つに割れた玉の断面から不気味に、赤黒く粘度の高い液をドックドックと吐き出している。切断面から覗く黒玉の内部は、赤や青のコード、液を送る柔軟な管など、機械的では在るが何処か動物の体内の様な、有機的な印象を感じさせた。
「此方犬飼、目標を撃破。帰還する」
周囲は黒玉の攻撃により瓦礫の山と化し、戦闘前の面影は見る影も無い。
「了解、帰還には二十八番ゲートを使用して下さい。主任、お疲れ様でした。」
犬飼とユリの会話の最中、椚から回線が入る。
「ご苦労だ、犬飼君。初めての市街戦にしては被害は最小限に留められた方だろう、上出来だよ。役所方が煩いだろうが、まぁそれは総務に任せよう。ゆっくり休んでくれ」
「ああ」
椚の労いの言葉に、犬飼は素っ気無く答え、回線を切る。そして、骸のモードを”有事”から”平時”へと切り替え、身体を隈なく包み込んでいた衝撃吸収クッションを収納し空間に余裕を作ると、着用している全身を締め付けていたMMIユニットの拘束を緩める。一連の操作はスイッチ等がある訳ではなく、背後の首の付け根に施された神経信号変換デバイスと骸との有線接続により思考を直接作用させる方式で行われる。
「ふう……。」
犬飼を乗せた躯はふわりと宙に浮くと、少し赤味掛かった日の光を身に受けながら二十八番ゲートのある方角へと飛び去っていった。