瀬戸内少年鵺弓譚 番外編
加賀美家に引き取られた玄狼のその後の生活の一端を描いたエピソードです。玄狼は既に中学三年生になっています。前半と後半の二話で構成されています。本編の最後で刷り込まれた偽の人生を打ち破って還ってきた彼は関東地方でどんな生活を送っているのでしょうか?・・・・
それは激しい雨だった。地方都市の中規模の駅が雨を避けようとする人達で慌ただしく混み合うほどの激しい雨であった。線状降水帯、いわゆるゲリラ豪雨と呼ばれる俄か雨だ。俄か雨と言っても一時間ほど前から降り出した雨は予想に反して止む気配がなかった。
駅の周辺には私立と公立合わせて三つの高校が在りそれらの電車通学の生徒の大半がこの駅を利用している。ちょうど電車通学の学生や帰宅する勤め人でごった返す夕刻の時間帯であったため駅構内はひしめき合う人で騒然としていた。その状況に更に追い打ちをかけるように電車の運行中止を告げる構内アナウンスが流れ出した。崩れやすい崖面や線路の浸水の可能性がある場所を点検する必要があるためしばらくの時間、電車の運行を見合わせるという内容であった。
「えー うそだろぉ・・塾に行けないじゃん・・・・」
「なんなの、この雨は! こっちはクライアントとの約束があるのよ!」
「もう、どうしてくれんのよ! 早く帰って観たい番組があるのにぃ~ ~ ~」
やがて人々は家や会社に連絡をするためであろうかスマホをいじり始めた。それがすむと学生たちは仲間内でこそこそと話し始めた。この豪雨の中、駅の外へ出ることは愚行だ。どうせここから動けないのであれば運行再開までの時間、バカ話でもして時間をつぶすしか他にすることがない。ものの数分の内に駅構内は重なり合うさざ波のような話声で騒がしくなった。学校の成績、TVドラマ、アニメ、ゲーム、スポーツ、推しのアイドルから身の回りの恋バナにいたるまであらゆる情報が人いきれと湿気で蒸れた空気の中を飛び交う。
ところがしばらくすると奇妙なことが起きた。先ほどまで騒がしくおしゃべりしていた女子学生たちの一部が囀るのをやめて構内の一角をじっと凝視するようになった。最初は数人からなる一グル-プだけだったがそのグループの奇行に気付いた他の集団も同様に話をやめて同じ場所を見詰め始めた。いつの間にか様々な角度から一斉に注がれる視線がその一角に集中していた。一時途絶えていた黄色い囁き声が再び広がり始めていく。
「ねぇ、あれ誰なの? 中学生? それとも高校生?」
「あんなに背の高い中学生っているぅ? でもこの辺りに黒詰襟の高校なんてなかったよね? じゃあやっぱり中学生なのかなぁ?」
粘りつくような視線の主は学生たちばかりではない。既婚未婚を問わず社会人女性たちのそれも混じっていた。
「ヤダ、あの男の子・・・ちょっとビジュアル的にヤバくない~ ♡」
「ひょっとしてドラマか映画の撮影じゃないの? 新人タレントの売り出しとか。」
吐息にも似た小さな嬌声と甘味を帯びた視線が交錯する先に佇んでいたのは一人の男子学生だった。ほっそりとした体幹、スラリと伸びた長い手足、百八十センチ近い長身、それらが合わさって蒼天に向かって伸び始めた白樫の若木を思わせる雰囲気を放っている。耳の下辺りで切りそろえられた濡羽色の黒髪と白皙の肌の対比がハッとするような鮮烈さを与えていた。
その顔立ちは申し分なく美しかった。ただその美しさは高度なメイク技術や整形手術で整えられた人工的な造形美ではない。 透き通るような漆黒の瞳、優美な曲線を描く整った鼻筋、瑞々しく引き締まった薄桃色の唇、それらすべてが無為に溶け合って一体化された自然美であった。
白い額に張り付く濡れた前髪をサラリと掻き上げる仕草は彼を見つめる女性たちに蒼い艶めかしさを感じさせた。しっとりと水分を含んだ黒髪の生え際からツゥーと流れ落ちる水滴と駅構内の照明が織りなす陰影は神秘的にさえ見える。
誰かが言っていたように一般に学ランと称される黒い詰襟の制服を採用している高校はこの辺りにはない。黒い詰襟の制服を指定している中学校は何校かある。中学生なら徒歩か自転車、もしくは市内バスで通学する者が殆どだ。今までこの駅で見かけることが無かったのも説明がつく。
男子学生はコンクリート製の四角い柱に背中を預けながら改札口の上の電光掲示板を落ち着かなそうに見上げている。少年と呼ぶにはやや大柄すぎて青年と呼ぶにはかすかに幼気さの残るその男子は通学に必携のバックパックも手提げカバンも持ってはいない。代わりに右脇に一本の傘を抱え左手にもう一本の傘を持っていた。どうやら家から誰かを迎えに来たのであるらしかった。それに目敏く気付いた女子がそっと隣の娘に耳打ちした。
「ねぇ、あの男子、傘を二本持ってるよ。濡れたほうは自分のだとしてもう一本は誰のかしら? ちょっと気にならない?」
「ちょっとどころかメチャクチャ気になるわよ。 やっぱ彼女かなぁ‥いいなぁ~」
「あんな綺麗な男子に出迎えてもらえるなんて羨ましい・・どんな娘かしら?」
「案外女性とは限らないかもよ。ひょっとして兄とか弟とか。」
「無い、無い。今の世の中で男が二人以上生まれる家庭なんてめったにないわよ。でもまぁそうだった方が胸のモヤモヤした気持ちがすっきりしていいかもね・・」
今の日本において男性の数は女性のそれに比べてずっと少ない。精霊合金鋼の普及によって放射線障害による男児の出生率低下はかなり改善されたものの男女数の比率はまだ 約1:2.3 の不均衡を有したままだ。この駅構内の群衆においても男性の数はおそらく三割に満たないだろう。三つある高校のうち二つは女子高である状況を踏まえると二割以下かもしれなかった。
だから男子学生という若い異性集団は駅を利用する色々な年代の女性達にとってあらゆる意味で貴重な存在であった。加えて彼ほどの優れた容姿を持った男子なら構内の人の流れを普段と変えてしまう特異点となっても不思議はない。
一見、運行再開を待つ乗客達がそこに無作為に集まっているだけのように見えるが実は様々な女性集団がその男子の近くに即席の壁を幾重にも張り巡らせていた。当の男子学生はそれを知ってか知らずか改札口の向こうをただじっと見詰めている。
〈電車が動くまでどうせすることないしさ。目の保養をさせてもらおうかな。〉
〈賛成! 今日の仕事の疲れをじっくり癒せるまたとないチャンスだわ!〉
〈たとえ運行再開になってもあの子の待ち人を確認しなくちゃあ帰れないよ。〉
〈そうよ、 どうせ遅れてんだもの。一便くらい飛ばしたって変わんないし。〉
駅の屋根をダッ、ダッ、ダッ、ダッとドラムのように叩きつける激しい雨音が続く中、湿った空気とねっとりした時間が乗客達の周りを絡みつくように流れていった。
☆ ― ★ ― ☆ ― ★ ― ☆
このまま止むことなく降り続けるのかと思われた豪雨も三十分ほどすると勢いが弱まってきた。申し合わせたようなタイミングで駅の構内アナウンスが流れる。内容は全区間に崩落や陥没の危険性がないことが確認されたので間もなく電車の運行を再開するというものだった。濡れた床面にしゃがみ込んでいた乗客たちの間から湿った安堵の吐息が漏れた。
「やったぁー! ようやく帰れるぅ。目の保養もバッチリさせてもらったしぃ。」
「尊いものが見れて良かった~~。 うーん、最高の清涼剤!」
「次の電車であの子の待ち人が降りてくるのかな? どんな娘か見てみたい!」
「見たいよね、それ絶対! ・・・って・・あれ? 何してるんだろう?」
くだんの男子学生が奇妙な動作をしていた。彼は手に持っていた二本の傘を柱に持たせかけると制服の内ポケットから筒のような何かを取り出して床に置いた。そして先端に嵌められた蓋とおぼしき丸板を外すとゆっくりと立ち上がった。缶コーヒーを少し長くしたようなサイズのそれはよく見れば古びた竹筒であった。
一秒、二秒、三秒と過ぎた時、突然竹筒がコトンと倒れて転がった。まるで何かがその中から飛び出したかのような倒れ方だった。男子は上半身をしなやかに折り曲げて長い手を床に伸ばすと竹筒を拾い上げ内ポケットにしまった。そして再び改札口の向こうをただじっと眺めている。そこには雨に濡れた無人のホームと灰色の薄闇の中へと伸びる黒く冷たい線路があるだけだった。
だが視る者が視れば竹筒から飛び出したイタチのような黒い獣が改札口をすり抜けホームを横切って線路伝いに灰色にけぶる雨の中へとまっしぐらに駆け消えていったのが視えたはずだ。女性であればある程度の念視能を持つ者はそれなりにいる。が他の人間が使用する式神をはっきりと視認できるほどのそれを持つ者は滅多にいない。男性であればなおさらだ。大体、式神というものが存在する事さえ知らないのが普通であろう。だから男子生徒のその行為を奇異に思いこそすれ真の意味に気付いた者は駅構内には居なかったと思われた。
それから10分ほど経った時、間もなく電車が到着しますとのアナウンスが流れた。やがて薄灰色の雨の帳の中から姿を現した電車がゆっくりとホームに滑り込んできた。ひとつ前の駅に臨時停車していた車両であったらしい。数刻後、車両からホームに降り立った乗客達がバラバラと改札口へと歩き始めた。その足元を掠めるようにして小さな真っ黒い生き物が一直線に走り抜けていく。リスを少し大きくした位のサイズのその獣は改札口をあっという間にすり抜けるとコンクリート製の大きな柱にもたれ掛かった男子生徒に一目散に駆け寄った。そして流れる液体のような滑らかさで一挙に足元から肩まで駆け上がると彼の耳の中に尖った鼻先を突っ込んだ。それはまるで何かを告げているかのようであった。
男子生徒はしばらくの間、静かに目を閉じたままでいたがやがてその生き物の身体をポンポンと優しく叩いた。竹筒を内ポケットにしまい込む際に上着の第二ボタンは外れたままになっていた。イタチによく似たその動物はそこから制服の中へと素早く潜り込んで見えなくなった。彼は閉じていた目を開けた。そして改札口を通る乗客の姿を見ながら柱に立てかけていた二本の傘を手に取った。あたかも待ち人がもうすぐそこに現れるのを分かっているかのような仕草だった。
間もなく一人の女性が改札を抜けて現れた。成人(18歳)前だと思われる若い女性だった。いや若いというよりどこかあどけなさが残る顔立ちと言ったほうが正確だろうか。まだ熟しきれていない蒼臭い女らしさが逆に瑞々しい魅力を与えている。それでいてしっとりと落ち着いた雰囲気をもった女子だった。
背丈は150センチ半ばくらいだろうか。赤いジップアップ式のパーカーとインディゴブルーのジーンズ、足元は白いスニーカー、背中にはネイビーブルーのランリュックを背負っている。ハーフアップにしたショートボブの黒髪を黒いリボンでまとめて後ろに垂らしていた。軽くはねた毛先がサワサワと肩先で可愛らしく揺れている。滑らかに湾曲した綺麗な眉の下にはパッチリとした双眸と小ぶりながらも可愛らしく整った鼻、そしてぷっくりと膨らんだ桜桃のような唇があった。
ややふっくらした小さなうりざね顔が男子学生を見つけた途端、華が開いたように笑顔になった。彼女は周囲の視線なぞ関係無いかのように一直線に走って来ると勢いを殺すことなく彼に飛びついた。その勢いを受け止めきれずに彼は後ろのコンクリート柱にドンと背中を打ち付けた。
「ゴフゥッ!」
「玄狼ちゃん、ただいま!」
「・・・・お、お帰り・・つく姉。」
男子学生は現在中学三年生となった水上 玄狼だった。彼は ” しまった! そういや つく姉は興奮すると周りの状況が目に入らなくなる困った人だった ” と後悔しながら強烈すぎるハグをかましてくる彼女の手をどうにかすり抜けた。姉弟と言えども男女である。それもある事情で二年前にそうなっただけの義理の姉弟だ。
彼は ”人前なんだからもう少し加減してくれよ ” と心の中で文句を言った。当の本人はそんな義弟の困惑を知ってか知らずか無邪気な笑みを浮かべながら嬉しそうに腕を組んでくる。
「笑美が来るだろうって思ってたら玄狼ちゃんが来たからびっくりしちゃった。もう やったぁ!って感じだよ。」
「らび姉は部活の練習試合があって今日は無理だって。てか さっき ”玄丸” が前の駅まで知らせに行ったはずだけど・・つく姉が次の便に乗っているって ”玄丸” が教えてくれたよ。」
「そうなの? 見かけなかったけど。 ” 真白 ” も全く反応しなかったし・・・」
「 ” 真白 ” は今何してるの?」
「筒の中で寝てる。」
「ふ-ん・・・二匹で喧嘩でもしたのかな?」
「それはないよ。家と学校の寮じゃ三十キロ以上離れてるもん。家まで ” 真白 ” を走らせたら途中で念切れ状態になって消えちゃうよ。そのまま野良式神になっちゃうかもだから。だけどもしそれが可能だったら ” 真白 ” を玄狼ちゃんの部屋に送り込んで視覚共有で毎晩ワクワクしながら観察できるんだけどなぁ。」
「や・め・な・さ・い・よ‼ でもそれならどうして姉さんのそばに行かなかったんだろ?」
「うーん 何故かはわかんないけど・・・・ま、それは後で ”玄丸” に聞いてみれば? とりあえず早く帰ろう。 あ、傘は玄狼ちゃんが差してね。わたしじゃ玄狼ちゃんの身長まで傘を差し上げるの大変だから。」
「いや、つく姉は両手が空いてるんだから自分で差せるだろ。俺は俺で自分で差すからさ。」
「そんなの駄目だよ。相合傘にならないじゃん。」
「・・・・相合傘?」
「そうだよ。雨の日の男女の道行きは相合傘って昔から決まっているんだから。
さ、早く傘を一本頂戴。私が持ってあげるから。」
いやそれだったら自分で差したらいいじゃないかと言いたいのを我慢して彼は濡れていないほうの傘を差し出した。大体雨の日の男女の道行きは相合傘がデフォだなんて話は聞いたことが無い。しかしつく姉は県下でも有数の有名進学校の三年生だ。確か竜胆学院総合高校とかいう名前の私立高校だったと思う。彼女は現在、超難関と言われる大学の現役合格を目指して猛勉強中である。片道、約一時間弱の道のりだから電車通学も決して無理というわけではないが通学に勉強時間を二時間近くも取られるのは無駄だということで入学当初から寮生活を続けている。そんな優秀で努力家な義姉が言うことだから案外本当なのかもしれないと玄狼は思った。
相合傘か…そういえば前に、誰かと一度だけしたことがあるような気がする。あれは誰だったのだろう? 確かあれは・・・亜香梨! そう木地谷 亜香梨だった。何でそうなったのかはあまりよく覚えていないがあの時の淡い胸のときめきはまだ忘れてはいない。彼女は今、どうしているのだろうか?
※ 海坊主編 相合傘 参照
そんなことを考えながらふと隣を見ると偶然にも義姉もこちらを見上げていた。濁りのない艶やかな二重瞼の黒い瞳がじっと彼を見詰めている。
「つく姉、何? どうかした?」
「ううん、どうもしないけど・・なんか玄狼ちゃんが遠くを見るようなボウッとした眼をしていたから。」
そういうと彼女は組んだ腕にギュッと力を込めてきた。玄狼は今見た義姉の顔が思い出の中の亜香梨の顔にどこか似ているような気がして思わずドキッとした。外はまだ小降りの雨が降り続いている。その雨に濡れないように身を寄せ合いながら二人はゆっくりと足を踏み出した。やがて傘を差す細く高い影とその肩から下しかない丸みを帯びた小さな影は灰色に烟る雨の中へと消えていった。
「あれって何? 姉弟なの、それとも恋人?」
「そこよね。飛びついたり、抱き着いたり、腕組んだりってやってることはもろ恋人同士だけどなんか雰囲気が家族っぽいつうか・・姉さん呼びしてたし。」
「でもあんな綺麗な男子が弟だったらあたしもああなるかも! ギュッと抱きしめて頬ずりしてキスして・・・アアァーーー、あの娘が羨ましいわ!」
「いや、そこまでやってなかったでしょ! それ完全に貴女の願望だから!」
「でも言われてみれば意外な組み合わせだったかもね。勝手にスラリとした八頭身のモデルみたいな美少女を想像してたから。いや、確かに結構なレベルの美少女ではあったけど。なんか思ってたのと違うつぅか・・地味なのに人目を惹くつぅか。」
「うん、どこか浮世離れしたような不思議な雰囲気があったね。なんか温かい透明感っていうのかな、うまく言えないけどそんな感じのある子だった。」
「それとマシロとかクロマルとか言ってたけど何のことだろ?」
「さぁ? ペットの名前かなんかじゃないの?」
「ペットかぁ。じゃやっぱり家族なんだろうね。」
「だろうね。なんつったって相合傘だもん。あ~ん、やっぱり羨ましいぃッ。」
ワイワイと騒ぐ女性達とは少し離れた別の位置から二人が消えて行った銀糸のような細い雨の中をじっと見つめる視線があった。灰色のビジネススーツを着たその人物は特に印象を持たないどこにでもいるような中年のサラリーマンに見えた。男は冷えた視線を放つ暗い眼を細めながら低い声でつぶやいた。
「なるほど、あれが真子様の・・・・ふぅむ、あの年で離れた場所からクダを式鬼として使役できるのか。さすがだな。しかし依りによって御火神流のあのお方の娘と縁を持つとは。これはまたお館様が気を病まれることになりそうだ。」
後半の投稿時期は未定です。書いているうちに思わぬ方向に寄り道したりするので決まりません。別作品の狼人高校生白書とのつながりもちょっと出てきたりして・・・ 全部できてから投稿する予定だったのですがそれだといつになるかわからないんでま、とりあえず前半からです。




