外伝 凪の観測、断罪のなう【ラナクロア編】
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路地裏のどん詰まり。
そこには本来、何も存在しないはずだった。
天界の風紀委員・中村一式が展開した「認識撹乱シェルター」。
一般人の意識を逸らし、風景の一部として溶け込むはずのそれは、一式にとって完璧な「潜伏」のはずだったのだが。
「あら! こんなところに駄菓子屋ができたのね! 中村屋……変な名前ねっ!」
不意に背後から飛んできた声に、一式は心臓が跳ねるのを感じた。
振り返れば、そこには至極当然といった顔で暖簾をくぐろうとしている少女・ロイエ――ロイエル・サーバトミンが立っている。
「…………お前が変だよ」
一式は潜伏任務中であることも忘れ、思わず素で返した。
認識撹乱を無視して、一式の個人的な「隠れ家」に土足で踏み込んでくる存在など、計算外だ。
「失礼ね! 喉が渇いたわ、早くオススメを出しなさいよねっ」
「いや……。あのな、嬢ちゃん。ここは実際に営業してるわけじゃなくてだな……」
困惑する一式をよそに、ロイエの視線は棚の隅を射抜いた。
そこにあるのは、一式が小腹を満たすために持ち込んでいた私物のチョコレート。
天界の、しかも少し値の張るやつだ。
「じゃあ、それでいいわ! それちょうだい!」
「……まぁ、これならいいか。毒は入ってねぇよ。まいどあり」
一式は、もはや説明するのも面倒になり、投げやりにチョコを差し出した。
ロイエルはそれを受け取ると、すぐさま一口。
「!? おいしいわ! やるじゃない中村屋! 僕、また来るわ!」
嵐のように去っていくロイエル。
静まり返った「店」の中で、一式は己の指先を見つめて呟いた。
「……なんであの子、普通に見破れるんだよ。俺の隠密スキルも、まだまだ……か、なう」
それが、後に「天界屈指の出張店舗」として知られる(一部のバグった連中にだけ)中村屋の、あまりに締まらない開店の瞬間だった。
◇
それから暫く。
舞台はラナクロアの海岸へと移る。
一式は「海の家の中村屋」として、再びサダオミの監視任務に就いていた。
「沈むわ! なにかないの?」
波打ち際で盛大に飛沫を上げながら、ロイエがこちらを指差している。
一式は深く、本当に深く溜息をつき、カウンターの下から膨らませたばかりの浮輪を取り出した。
「……やっぱり見破ったよ。……ほら、浮輪。使ってみるか? 嬢ちゃん」
「あれ? 中村屋、転職したの?」
「あぁ、そうだそうだ。今は陽気な海の家のお兄さんだぞっと、なう」
「ふーん! それじゃ、行ってくるわ!」
浮輪を抱えたロイエルが、砂を蹴って弾けるように海へと戻っていく。
一式はその背中を、商売用のうちわで仰ぎながら見送った。
「ぉー、行ってこい、行ってこい。今度はちゃんと、かき氷や焼きそばなんかもやってるからよぉ。気が向いたら食べにきな~」
適当な台詞と共に、一式は深く、長く、溜息を吐き出す。
「……ったく。調子狂うな、あの娘」
一式は苦笑いを浮かべ、無意識に焼きそばの鉄板を温め直した。
ロイエルという「理屈の通じない例外」とのやり取りは、執行者として張り詰めていた彼の神経を、わずかに、けれど致命的に緩ませていた。
に、しても――
『男子だねぇ』
一式は鉄板の熱気越しに、視線を波打ち際へと投じる。
そこには、水着姿で無防備に笑うサダオミと、その数歩後ろで立ち尽くすマリダリフの姿があった。
一式の瞳が、スッと細められる。
彼の網膜には、普通の人間には決して見えないマリダリフの「もう一本の腕」が鮮明に映っていた。
マリダリフの魂から這い出し、サダオミの背中を、うなじを、その肌を、愛おしげに、あるいは飢えたようにまさぐろうと蠢く「不純な欲望」の具現。
それを見える方の右手で、ずっとわきわきと空を掴んでは、理性の力で拳を握り直している。
「触れたい」という衝動と、「姑息な手段で触れてはいけない」という清廉な拒絶。
その二つが、マリダリフの内で肉を焦がすような摩擦音を立てていた。
「おー、おー、触りたい。触りたいけど不純。でもバレなければ……いや、でも……。大変だなう。天使に惚れても碌なことないんだがなぁ……」
一式は、ヘラを器用に回しながら、その「詰み」かかった片想いの実況解説を続ける。
マリダリフが葛藤すればするほど、彼の周囲の因果がサダオミに引き寄せられ、天界のログがじりじりと熱を帯びていく。
「……純粋であればあるほど、罪が深くなる。皮肉なもんだなう」
マリダリフが再び、拳をきつく握りしめる。
その刹那、一式の視界を埋め尽くす警告ログが、ついに「保留」の限界を超えて真っ赤に染まった。
サダオミが笑う。
マリダリフが震える。
その幸福な「凪」の裏側で、積み上げられた四つの違反が、ついに一式の堪忍袋を食い破った。
一式は、他人事のような実況解説を終えると、途端に真顔になる。
手にしたヘラを静かに置き、エプロンの紐を解く。
陽気な店主の気配は、霧が晴れるように消え失せた。
「さて、執行の時間だ」
一式の手が、サダオミの因果ログを「確定」へとスワイプする。
ここから先は、中村屋のサービス時間は終了だ。




