外伝 その鋼は、かつて青空を指していた【ラナクロア編】
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剣が折れる音が、ひとつずつ、世界から消えていった。
残骸は拾われない。
惜しまれもしない。
役目を終えた鉄が、冷えてただの塊に戻っていく。
それでいい。
ルクセン・パロエは、震える指先を軽く振った。
こびりついた鉄の匂いを払うように。
からからと、乾いた笑いが漏れる。
「――終わりさね」
視線の先。
勇者の手に残った一振りの剣がある。
折れていない。
欠けてもいない。
陽光を跳ね返すその刃は、まるで呼吸をしているかのように、静かに脈打っていた。
――シーザル。
ルクセンは、愛おしさと呪いを混ぜたような声を投げた。
「どうだい」
軽い調子で。
いつも通りに。
ふざけた師匠を演じる、その裏側の震えを隠して。
「……その後は」
一瞬。
本当に一瞬だけ。
勇者の傍らで、空気が歪み、“人の形”を取った。
そこにいたのは、血の通った人間ではない。
かといって、ただの冷たい鉄でもない。
剣の姿ではないが、剣そのものであることは、痛いほどにはっきり分かった。
かつて、誰よりも高く、誰よりも真っすぐに空を指していた男の魂。
「――問題、ないでござる」
声は低く、短い。
それ以上、何も言わない。
言わなくていいと、互いに分かっている。
次の瞬間、世界は無情に元に戻る。
剣は剣に。
空気は空気に。
ルクセンは、肺に溜まっていた熱を吐き出すように、満足げな息を漏らした。
「そうかい」
それだけで、十分だった。
始まったものは、もう止まらない。
――手渡した瞬間から。
あの重みを、勇者の掌が受け入れた瞬間から。
儀式は、あの時すでに始まっている。
受け取った者の、残りの人生すべて。
歩む足跡、流す血、そしていつか訪れる最期。
それが、ルクセン・パロエという女が組み上げた、残酷で至高な儀式だった。
だから、選出に応じなかった。
国などという小さな枠に、魂を縛り付けるわけにはいかなかった。
だから、最後だと断言した。
これ以上の命を、自分はもう持ち合わせていない。
禁忌に手を染めたことも。
弟子を剣に変えてしまったことも。
その責めは、地獄まで持っていく。
だが、悔いではない。
悔しかったのは――
ただ、それだけが堪らなく悔しかったのは。
あれほど真っすぐに、剣の道を歩みたがっていた者が。
誰よりも誠実に、その真髄を掴もうとしていた者が。
運命という不条理に、歩みを止めざるを得なかったこと。
その無念を、ルクセンは許せなかった。
だから、剣にした。
死なせるのではなく、生きたまま。
終わるはずだった人生を、剣という永遠に近い形へ変え、無理やりにでも先へ渡すために。
師としての、それが最後の暴挙であり、最大の慈悲。
師は、もう得ている。
弟子を救うという名目さえ捨てて、ただその命を輝かせるための場所を。
それを、今日。
その剣が、確かに誰かの運命を切り拓くのを、見届けた。
ルクセンは、からからと笑い。
しなびた手首を軽やかに振って、背を向けた。
「……いい剣人生さね」
去り際は、いつも軽い。
羽毛が風に舞うように、何も残さないふりをして。
誰も知らない。
誰も気づかない。
だが――
確かに、ひとつの儀式は、誰にも知られないまま、完了していた。




