偶然
「げ……」
「偶然」
店に入る直前、見知った顔がいたので左手を上げながら声を掛けると、男は私の顔を見るなりげんなりし、踵を返すように、逆方向へと戻ろうとした。けれど、私は肘を掴み、少し強引ながらも入り口の自動ドアをくぐり抜け、店内に入った。すぐに一人の店員さんが気づき「お二人ですか?」と聞かれたものだから「はい」と答える。男は「違う違う。別だ!」と言い張るが店員さんは気にしないでそのまま「喫煙席ですか?」と聞き、私はそれにも「はい」と答えた。ちなみに私は数十年生きてきてタバコは吸ったことがない。
いつもの四人掛けのソファー席に座ると、店員さんがお冷やをお盆に乗せながら注文を取りに来て、私は自分のホットコーヒーと、この男のコーヒーフロート、それと小腹が空いていたからたまごサンドと伝えた。その間、男は始終私を睨み続けていた。
「あのなあ……これ訴えられてもおかしくないレベルだぞ」
「何の事だ?」
「……いや、もういいや」
男は少し伸ばし気味の、真ん中で分けられた前髪をかき上げ、窓の外を見た。そして、これまでと同じようにタバコに火を付けて、小さく息を吐く。
「こほん……私はテレビを見るのが好きなんだが、生憎やめ時がわからないときがある。主に教育テレビの一〇分放送枠のアニメや国民的アニメ、などなどをよく見るのだが、如何せん時間というのは有限で、いつまでも見てはいられない。しかし、見たい。そんな時、妻にいつも、いっそのこと、テレビを……」
「ちょっと待て⁉」
「まだ、話の途中なんだが?」
「お前、結婚してんのか?」
「うむ。いかにも」
私は指輪をはめてある左手を机の上に出した。その時、店員さんが注文の品を持って来た。私は机に置かれたたまごサンドを両手で持って交互に食べた。ポカンと口を開けている男に、「君も食べてくれ。私のおごりだ」と言うと、「いや、え、あ……お、おう」と動揺して答えた。男のたまごサンドを持った手が震えていたから「何だ、緊張でもしてるのか?」と言うと「いや、お前に配偶者が存在している事に驚きが隠しきれないんだよ」と店内には迷惑がかからないくらいの声で言った。
「ところで、話は戻るが……」
「いや、今日は勘弁してくれ。頭が痛くなってきた」
男はたまごサンドを皿に置き、コーヒーフロートを息継ぎしながら一気に飲み干して、席を立ち、例のごとく会計を済ませ店の外に出ようとしたが、早足で戻ってきた。
「その妻にリモコンを隠してもらえ、散歩でもして外の景色を見ろ。テレビがあると思うから見てしまうんだ。世間にはもっと色んな物があると自覚すれば、他にも視野が広がる。あと、別にテレビを見るのは悪いことでは無い。娯楽なんだ。存分に楽しめ」
男は言い終わると、店内から出て行った。
「ほう……そうか。なら、ここに来るのもある種、他の世間というやつだな」
私はたまごサンドに視線を落とす。
このたまごサンドがどれほどの幸福感を与えてくれるのかと想像するだけでワクワクした。
私はこの場の楽しい雰囲気に包まれながら、両手に持ったたまごサンドを頬張った。




