旧友 聞き手視点
珍しくホットコーヒーを注文し、おすすめと言われたたまごサンドを昼食代わりに食べ、一人隅の二人席で読書をするセンター分けの姿があった。ハムが少しこぼれ出ている。長方形のフォルムのたまごサンドが3つ皿の上に置かれていた。読みもしない恋愛小説を衝動買いし、勿体ないからと少しずつ読み続けていた。ページを繰る音と周りに気を遣って話す主婦の声が重なる。端から見れば優雅な昼食を送っていた。
パタンと本を閉じて、カップの持ち手部分に指を引っかけ口を付ける。少し苦く感じたからミルクと砂糖を少量足した。
そして一息吐いて思う。
また、突如としてあいつは来なくなった、と。
UFOキャッチャーをしにショッピングモールに行って以来、あいつに会わずに4日が過ぎた。昨日まではまあ、忙しいのかな、と軽い感じで考えていたが、今日は少し心配に思いつつ、気まぐれな奴だからまた気が向いたら来るだろう、という考えが混在していた。
「まあ、気にしなくていいか」
たまごサンドを右手に持ち、机の上に置いた小説を左手で開く。挟んであったしおりをどかし、続きを読み始める。文字の羅列を目で追いながらカップを持ち、肘を突いてそのまま止まる。 店員の足音、周りの会話、それらが静まった。
段々と本と顔の距離が近くなる。
呼吸が浅くなっていたのに気づくと同時に集中が切れる。
急に動いたのでコーヒーがこぼれそうになった。俺はカップを机の上に置き、誰もいない対面の椅子に視線を向ける。そして、囓った後の付いたたまごサンド、飲みかけのコーヒーと順に目を動かした。
「何で俺はこの恋愛小説のヒロインと同じ感情にならねばならんのだ」
いや、厳密には全然違う。俺はあいつに一切の恋愛感情は無い。しかし、この会えないという切なさに共感している自分がいる。しかも、喫茶店と舞台も同じ。腕を組んで瞼を閉じて、少し頭を休めた。このヒロインは1週間会えず、少しナイーブになっていて、1人でデザートのワッフルを7つやけ食いしていた。……もしかして、普段頼みもしないたまごサンドを食べているのはそういう心理からなのか? いや、違うわ腹減ってたんだ。あぶね、なんか小説に引っ張られすぎてたわ。
変な緊張から解き放たれると、一気に店内BGMなど色んな音を耳は拾った。
「ていうか、なんで俺は恋愛小説なんか読んでんのかねー」
俺は残りのたまごサンドを食べ切り、コーヒーを飲んで本を持つ。ソファーから立ち上がり、通路をゆっくりとした足取りでレジへと向かう。俺は1200円を店員の前に置き、受け取った50円を財布に入れて店を出た。
「さて、どうすっかな」
スマホで時間を確認すると時刻は12時38分。このまま喫茶店にいても特にする事もないから店を出たが、あいにく行くところもなかった。目の前が広い道路で、車の往来が激しい。エンジン音を鳴らす車が青信号になると急発進した。俺はその車と反対の右手に向かって歩き出した。
7月の終わり掛けで蝉も気持ちよく鳴いている。
歩くと途端に暑くなり、これまで涼んでいた分の汗の利息分が湧き出てきた。
まだ帰るには早いし、適当に歩いて時間を潰すか、と思ったけれどこの暑さじゃなあ。服の袖で汗を拭った。歩くにしても飲み物が必要だ。俺は近くのコンビニに入って水を購入し、外の喫煙所でタバコを吸った。
「こんにちは」
背後から肩をポンと叩かた。俺はびっくりして体を揺らした。振り向くと中学時代の同級生がいた。背中まで伸びた黒い髪に、目にかかるギリギリの前髪のその女性は昔と格好は違えどすぐに過去の記憶と一致した。タックデニムのズボンを履き、上は白のTシャツを着ている。黒の帽子を被っていて、手にはコンビニ袋を提げていた。
「久しぶりだね」
「おー。久々」
旧友は風にあおられて揺れた前髪を左手で抑えた。
吸い終わったタバコを俺は灰皿に入れた。
「こんな平日の真っ昼間から何してんだ?」
「それは私の台詞でもあるんだけど」
俺は目を細めて遠くを見た。
「散歩だよ……。そっちは?」
長くなるのも面倒だし、出来るだけ速く話を終えて去ろう。
「昼ご飯買いに来た」
持っていたビニール袋を俺の前で開く。中には冷製パスタと豆乳が入っていた。これだけで午後まで持つのかね、と俺は内心思う。
「そうか。んじゃまたな」
そう言って俺は歩き出し、背後の旧友に向けて上げた右手を振った。
しかし、その旧友はなぜか隣を歩いている。
「ねえ、今何してるの?」
多分、何の仕事をしているのかという質問だ。
「散歩奉行だよ。散歩について考えてんの」
「要するに無職ね」
「ざっくりまとめんなよ。ま、そういうことだ。じゃあな」
別に嘘をつく理由もないし正直に言った。
俺はすぐにその場を去ろうとするのに、旧友はまたもついてくる。
「ねえ、暇なら遊ばない? 私、今日仕事休み」
「はぁ? なんでだよ」
「することないから」
フッと口角を上げると、口元のほくろが妖艶に映る。
その言葉には同意だな。
「何するんだよ」
「とりあえず涼しい場所に行こうか」
俺は少し前を行く旧友の後ろを、かかとを擦り、サンダルの音を鳴らして歩いた。
来たのは……。
「喫茶店かよ」
「嫌だった?」
「いや、別にいいけど」
さっきまでいたチェーンの喫茶店とは別で、10分ほど歩いた個人経営の喫茶店だった。中では白い髭を生やしたお爺さんがカウンターの前のキッチンでグラスを拭いていた。中は薄暗い雰囲気で夜はバーになるのだという。長年暮らしていたが、こんなところがあるなんて知らなかった。住宅街を抜けた先にあり、知る人ぞ知る隠れた店。内装は革製のソファーの4人席が三つとカウンターが5席。丸テーブルの席が入り口付近に3つと外に2つあった。外装はコテージのような木材で出来た建物。
コーヒー豆の香りが漂っている。
旧友が窓際のソファー席に座ると、ビニール袋からさっき買った冷製パスタと豆乳を机の上に広げる。
お爺さんが、目を細めて旧友の事を見ていた。
「お、おい、店の中でそんなの食べるなよ」
「大丈夫。ここ祖父の店だから」
俺は驚いた拍子に、手をテーブルについて立ち上がった。ガバッとカウンターの方に顔を向ける。
「どうも」
お爺さんは低い声を出しながら頭を下げていた。
俺も同じように会釈し、座ろうとしたときだった。
「孫と……どういう関係、なんですかね」
グラスを拭く手を止めた。
先ほどまで激しく吹かれていたジャズのトランペットのBGMが落ち着いたメロディーを奏でた。
どういう関係と聞かれても……。
「……中学時代の同級生ですけど」
「……そうですか。では、ごゆっくり」
「はぁ……」
俺はゆっくり腰を下ろした。
ドスのきいた声で言われるものだから、太ももの辺りが汗をかいていた。座ったときに少しひんやりとした。
お爺さんは白髪で短髪。前髪をオールバックで上げていて襟足も長い。俺の身の上を知ると、すぐに先ほどまで続けていたグラスを拭く。
目の前の旧友は髪がかからないように後ろで縛り、パスタを食べ進める。時折、私の様子をうかがい、目を細めて口角を上げる。なんか、居づらいなあ、この店……。何で他に客いないんだよ。
10分ほど経つと旧友はフォークを置き、豆乳のストローを口に咥える。パスタの中身は無くなっていた。
そこで俺は旧友の食事以外机に何もない事に気づいた。ここに来てまだ何も注文していなかったのだ。俺はメニューが書かれた表を取る。基本的にはよく行く店にあるメニューは名前は違えど似たようなのは存在していた。まあ、コーヒーの名前は違う。ここだと『マスターの気まぐれコーヒー』と書かれている。値段は450円。
「別に無理して頼まなくていいよ。無職なんだし」
「無職を強調するなよ。いいんだよ飲みたくて飲むんだから」
「へぇ……ならいいけど」
俺は少し悩んだ末、手を上げてマスターに言う。
「マスターの気まぐれコーヒーをお願いします」
俺が言うと、マスターは一瞬目だけで俺を見据え、しゃがんだ。
そして、一分も経たない間に俺の目の前にはパックの、どこにでも売っているようなコーヒー牛乳が置かれた。
「あの……」
「マスターの……気まぐれコーヒー、です」
「気まぐれにも程があるだろ」
思わず声に出てしまって、すぐに左手で口を押さえる。
様子をうかがうように少しずつ顔を上げてマスターの顔を下から見るも、表情を変えず、真顔のままキッチンに戻った。
嘘だろ。本当にこれなのか?
俺は絶句して何も言えずにただ、パックのコーヒー牛乳を見つめていた。
「もう一度お聞きしますが……孫と、どういう関係で?」
やめてくれその鋭い視線で孫との事聞くの。
目の前の旧友は何も言わずに微笑んでるし……。
俺は、何も言えずにカウンターの角に置かれた観葉植物を見つめていた。
「なんか、変わったね」
旧友が口を開く。
「俺が? 変わってないだろ」
「変わったよ。昔はもっと、何ていうか、子供っぽい? 感じだったよ。好きなものは好きって言ったり、自分に正直だったり」
食べ終わった容器を袋に入れながら旧友が言う。
そう言われて、俺は昔の自分ってどんなだったっけ、と考えたが、断片的にしか思い出せなかった。記憶の自分は、とにかくいい加減な人間だった。テストの点数なんて気にしたこともなかったし、いつも漫画ばかり読んでいた。だけど、何だろうな……。その時の一瞬一瞬を、凄い楽しんでいた気がするなあ。まあ、その結果今みたいな中途半端な人間になったのかも知れないな……。
俺の顔を、真剣な顔で旧友が見ている。
「今、また悲観的になったでしょ」
「な、いや……」
「昔は周りがうざいと思うくらい前向きだったのに」
「う、うざいと思ってたのか。……人間は変わるんだよ」
「どうかな。私は、そうは思わない」
俺は怪訝な顔をした。
「お前がさっき変わったって言ったんだろ。めちゃくちゃだな」
真剣な面持ちで、旧友はまだ俺の瞳を見続ける。
「はぁ……。私、変わったでしょ?」
自慢げに縛った髪をはらう。
「あ? あ、まあ、ぱっと見じゃわからなかったな」
「でしょ。でもね、それは私が変わろうとしたから変わったの。色んな人に憧れたり、ロールモデルを作ったりして。君もそうでしょ? 変わろうとしたの。多分、私とは真逆。こんな自分じゃ社会でやっていけない。もっと真面目にならないと。そういう風に社会という中に溶け込むために変わった」
でも、と言って旧友は続ける。
「本当の自分はやっぱり、どうしても変えられない。変わらないの。どれだけ、見た目を華やかにしても、結局のところは自分は自分のまま。だから、君もそうだと私は思う。自分の事を、縛っている自分がいる」
俺は整髪剤で固めた髪を左手で乱した。
「……勝手なこと言ってんじゃねよ」
「だって、君が無職だなんて、私は想像もしていなかった」
淡々と話す旧友に段々と苛立ちが増してきた。
「そんなの俺だって想像してなかった」
「君は、今のままでいいの?」
「お前に何がわかるんだよ!」
「君は私の憧れだったんだ!」
声を張り上げると、俺の声よりも大きな声で旧友が言った。
毅然とした態度だった。
「私が憧れた存在だったからこそ……君を見て失望した。そして、そんな風に思ってしまった自分にもっとがっかりした」
旧友の震えた声は、一言一句逃さずに俺の耳に届く。
俺は、もう、帰ろうと立ち上がった。
机の上のコーヒー牛乳を持ち、450円をレジに置いた。
「怒鳴って悪かった。そんな事初めて言われた……。ありがとな。でも、もう、昔みたいには戻れない。戻り方もわからない」
「いや、こっちこそ……ごめん」
旧友の視線は俺の足下を見ていた。
しばらく沈黙が続く。
俺が黙っていると、マスターが隣に来た。
「その、コーヒー牛乳は……ジョークだ。席に戻りなさい」
マスターが俺の左手からコーヒー牛乳を奪った。旧友を見ると少し恥ずかしそうに視線を逸らす。言われたとおり席に戻ったが、何を話せばいいかわからず、窓の外の空ばかりを見ていた。何してれば、いいんだろうな。
「連絡先……教えて」
旧友がスマホを机の上に置いて言った。
「あ、ああ。いいけど」
俺たちは電話番号や諸々の連絡先を交換した。けど、何で交換したのかわからん。旧友は両手でスマホを持って微笑んだ。
「へへ、これで友達だね」
「何言ってんだ? 友達だろ」
「だって、さっき中学の同級生って言ってた」
そう言えばそんなこと言ったな。
マスターの足音がコツリコツリと近づいてくる。目の前に湯気の立った熱々のコーヒーが置かれた。
「それで、孫と……どういう関係、なんですかね」
この答えに何の意味があるかはわからなかったけれど、俺はとにかく、まあ、自分の思う言葉で伝えることにした。
「仲のいい、友達です」
「……そうですか。では、ごゆっくり。楽しいひとときを、お過ごし下さい」
マスターは、一礼して戻っていった。
「また、連絡してもいい?」
「ああ」
俺が言うと、何やら旧友はスマホをいじりだした。
すぐに俺のスマホの通知音が鳴る。
ありがと、とメッセージが送られていた。
「確かに、お前は変わってないな」
「でしょ」
と旧友は口角を上げて目を細めた。
帰り道、俺は昼間ズバズバと言われた事を思い出しながら、青空を見ていた。思い当たる節があったからこそ、少し苛立ってしまったのかも知れない。
「変わった……か」
俺はふと、いつものあいつを連想した。
あいつは、いつまでも変わらず、今のままいるんだろうな、と思う。
そして、それが羨ましくもあった。
また、通知音がポケットの中から響く。
『頑張れ』というスタンプが旧友から届く。
「まあ、それなりのペースで頑張るよ」
俺はポケットにスマホをしまいながら、疑問に思う。
「そういや、俺、あいつの連絡先知らんな」
立ち止まって腕を組んだ。
今度聞いてみるか。
俺は年甲斐も無くスキップをして2,3歩進んだ。しかし、すぐにやめる。昔のように戻れるかと思ったが恥ずかしくなった。「うん。これは違うな」と冷静になる。
まあ、ぼちぼち進んでいきますか。ぼちぼち。




