空からの帰国
――10,800km。
これが、何を意味する数字かといえば、我らがマグニシ王国の王都からトラメリア帝国帝都までの最短距離である。
当然ながら、これだけの距離を旅しようと思えば、相応の時間というものが必要であった。
ズバリ……旅客船で、おおよそ二ヶ月。
費用は、人間というより貨物扱いをされる三等の片道で、大陸横断鉄道と合わせ、大体70万円から160万円ほどだという。
確か今年の初任給が、平均で24万円くらいであるから、実に新人の給料半年分くらいは必要という計算である。
しかしまあ、わたしのようにハイソサエティ通り越してロイヤルの域へ達している人間からすると、やはり、問題となるのは金ではなく時間だ。
何しろ、普通に移動した場合、行きと帰りで計四ヶ月、電報も使えず新聞もない空間へ隔離されることになってしまう。
これは、現在の世界情勢を考えれば、あまりに致命的な隙……。
先日、クソレオン皇子がのたまいくさり遊ばされた婚約破棄宣言と、関税引き上げ宣言がその最たるものだが……。
この星は、目まぐるしいスピードで変化していっている。
そんな中、四ヶ月間も新しい情報を仕入れないでいるということは、つまり……四ヶ月間、新しい情報を仕入れないということなのです。
だが……今は違う!
――ギュッ!
「姫様……。
急に手袋などはめて、一体どうなされたのですか?」
「分からないわ。
ただ、なんだかよく分からないけど、手袋をギュッとはめなきゃいけない気分だったの」
隣の席へ座るシムラに答えながら、念の為もっかいギュッ! としておく。
機内はまだまだ試行錯誤の段階ということもあり、天井には蒸気機関へ至るバルブやパイプが血管のごとく走り、床も壁も無骨な鉄板製という有様。
わたしたち王国使節団ご一行が座る椅子も、一応はカバーとクッションを取り付けてあるものの、あまり座り心地のよい代物ではない。
しかしながら、狭苦しい人型蒸気――それでもラヴはかなり改善した方だ――のコックピットで長時間操縦する時のことを思えば、これは天国であるといえるだろう。
というか、隣にある円形の窓から外を見れば美しい青空が広がっており、まさしく天の国にいるかのごとき心地だ。
「はあ……。
まったく、姫様は余裕ですな。
私などは、生きた心地がしませんぞ。
こんな、空の上など移動して……」
「船では二ヶ月かかる旅程も、この一式大艇ならば経由地を含めて三日なんだもの。
これを使わない手などないわよ」
滅多なことでは心を乱さないが、空路絡みのもろもろに関しては面倒臭い女のごとくグチグチネチネチと文句ばかりぬかすシムラに、涼しい顔で答えてやる。
わたしらは祖国のため、粉骨砕身で頑張らなければならない身の上なのだ。空を飛ぶくらいでガタガタ言わないで頂きたい。
「しかしですなあ。
こんな鉄の塊が空を飛ぶなど、やはりどうかしているわけでして……」
「揚力に関しては、何度も説明したでしょう?
紙飛行機が、滑空するのと同じ現象。
それを、蒸気機関によるプロペラ回転で継続的に引き起こしてるの。
いざとなれば、パラシュートも救命艇も存在するのだから、恐れる必要はなくてよ」
ちらりと左手首の腕時計を確認しながら、何度繰り返したか分からない言葉をもう一度だけ言ってやった。
そろそろ、時間か……。
鞄から手鏡を取り出し、もう一度身だしなみの確認。
今のわたしは、俗にモダンガール――モガと略される――ファッションに身を包んでいる。
ゆったりとして動きやすい水兵風パンツルックは、我が国の紡績産業がいよいよ円熟化したことの証と言えるだろう。
あと、ぶっちゃけ着ててラク。これ大事。
「恐れる必要があるとすれば、これから着陸する海軍基地に集結しているだろう記者団との質疑応答ね。
まあ……」
手鏡をしまい、自信の笑みを浮かべる。
うん……今日もわたしは、世界一カワイイ!
「今回もいつも通り、拍手喝采! 万々歳!
祝福と応援に満ちたものとなるでしょうけど!」
美貌をますます際立たせる笑みとなったわたしは、力強くそう断じたのであった。
「そんな上手くいきますかなあ……」
「もう、シムラってば本当に心配性なんだから!」
大嫌いな飛行機へ乗っているせいで、すっかり弱気となっているシムラに、わたしはそう答えたのである。
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結論から言おう。
……バチクソに叩かれた。
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※テーマがテーマなので、通貨単位や貨幣価値は、分かりやすく現在地球準拠にしようと思います。