釣りのようなもの
「先ほどの方ではない人がこそこそとついてきているんですけど、どうします?」
書店にはいってしばらくして困ったような顔でフィデルに報告された。
「拘束しないの?」
「若い女性で、我々のほうが不審者としてしょっ引かれそうです……」
彼が示すほうにグレースも視線を向けた。
さっと裾を翻して棚の陰に隠れたが、スカートの裾が見えている。じーっと見ているとひょこっと顔を出して慌てたようにまた隠れた。
小動物だろうか。
「さっきとは違うお嬢さんね」
別についてきたのか、見ていなかっただけで同乗していたのかもしれないかは不明だが、明らかにグレースに用があるような雰囲気がする。
彼女はグレースよりいくつか年下に見えた。確かに成人済みの男が話しかけるには躊躇するところはあるだろう。相手が騒いだら、間違いなく男のほうが何かしたと思われる。
そもそも若い娘が一人うろついているという状況もおかしい。そこで声をかけてしまっては、声をかけた男のほうが誘拐を疑われる。
まさか、トラップなんだろうか。
そこまで考えてグレースは、気の回しすぎかとその選択肢を捨てる。
フィデルなどの護衛ではなく、メイドたちから声をかけさせてもいいが、なんでもないと言い切られるとほっとくしかないだろう。
「いかがしましょう。襲ってきたら返り討ちできるんですが、ついてこられているだけじゃ追っ払いにくいんです」
「護衛というのも難儀ね」
「申し訳ございません」
「話してみるわ」
グレースはメイドとフィデルを後ろに従えて、その彼女のほうに向かった。
それは予想していなかったのか、ひっと小さい悲鳴を上げて逃げた。グレースが追ってという前に、さりげない振りをしてフィデルが彼女の退路を断っている。
走ったわけでもないが、とても速い。
「な、なんですの」
ぎょっとしたように立ち止まる令嬢。
「うちのお嬢様がお話があるというので、少しお待ちください」
そういってフィデルはにこりと感じの良い微笑みを浮かべる。
え、と彼女が戸惑っているうちにグレースは距離を詰める。
「お嬢さん、迷子なの?」
「……ち、違いますわっ!」
「護衛はいませんの?」
「外に」
「お付きのメイドも?」
「そ、それは、買い物を頼んで」
「不用心ですわ。ここには不届きな方はいらっしゃらないと思いますけど、万が一ということもありますもの。
呼びに行かせますね」
「いらないわ。大丈夫よ」
ご令嬢はぶんぶんと首を横に振って徹底拒絶している。
護衛を置いて、メイドのような付き人は別の用事をさせ、単独行動。はっきり言って怪しい以外の何物でもない。
しかし、どう見ても普通のご令嬢である。だが、少し気になる点はあった。この辺りの国は同じ言葉で話すが、発音が微妙に違うことはある。彼女のそれは隣国のものに近い。
「いいえ。軽率な行動は避けたほうがいいわ。
他国に避難されたのに、人質にされたくはないでしょう?」
一段低くグレースは囁いた。隣国の一部貴族は他国の親族に妻子を預けている。中立派が狙われていると噂に聞いていた。それだけでなく、内乱の危機を感じているのだろう。上手く治めなければ、そうなる可能性はある。
さっと青ざめたので当たりだったのだろう。
「あなたが、さっさと、婚約を解消しないから」
脈絡なく彼女が叫んだ。いや、彼女の中ではきっとそれが原因で何かがあるのだろう。
グレースは追い詰め過ぎたかとちょっと焦った。このような場で騒ぎ立てるような真似はしないと思ったのが間違いかもしれない。
「あんたなんか殿下に全く似合わないですよ! そんなだらしない体で! 悪女みたいな顔で!」
書店内に響き渡った。
ぱらりと本をめくる音さえ、聞こえない沈黙。
「なんですって?」
思ったよりドスのきいた声になった。
「殿下には女神のような方がお似合いです」
隣国の主に信者を集めている女神は麗しい。細身の黒髪で、慈愛の微笑みを浮かべている。なお、この国でも人気である。
女神のようなというとああいう感じとして共有認識されるくらいには。
なお、グレースとは真逆である。
「ねぇ、拷問していいかしら」
「こんなちびっこに言われてガチギレしないでください。
グレース様はお美しいです。ただ、まあ、あっちの国の美人に全くあってないだけです」
「それって相手にとってブスってことじゃない」
「……あー、美的感覚は人それぞれなので……。
お許しいただけるなら、全力で、磨きます」
「考えておくわ」
グレースは少しばかり頭が冷えた。確かに、相手は淑女というよりはまだ子供のようではある。
拷問という言葉にびくつくくらいには。
「お嬢さん、お名前は?」
フィデルは尋問に切り替えたようだった。幸いというべきか、先ほどの発言で問題があるのがこのご令嬢であると周囲はわかっている。
「なぜ名乗らなきゃいけないの?」
そう突っぱねるくらいには気丈なのか、愚かなのか。グレースはため息をついた。
「無礼なことをした、ということを報告せねばなりません。
ちゃんと、おうちの人にも聞いてもらって、自分より上の人に対する礼儀を覚えてもらわないと次は監獄」
フィデルはそういいつつ首のところで、指を横に引いた。首を落とすぞ、というニュアンスがとても、伝わる。
にこやかだからこそ、倍怖い。
対するご令嬢は青ざめたを通り超えて白い顔色だ。涙目どころか、泣く寸前。
「場所を変えましょう」
「あら、レイラ、ここにいたの」
その言葉を待っていたかのように声をかけられた。
グレースはその声の主へ視線を向ける。馬車でついてきたご令嬢だった。レイラと呼ばれた令嬢は救われたような顔をしている。
「シュリアさま、あの」
「……悪い子ね。
この子の非礼はお詫びしますわ」
「あら、幼いなら仕方ありませんわ。
でも、大人の真似をするのはよくないのできちんとご両親にお伝えしないと」
「それは、私の方から」
「正式に、抗議として送ってもよろしいのですけど。
シュリアさまのおうちにも」
今までのことを洗いざらいぶちまけてやるぞと告げる。
グレースは姪のようにかわいがってくれている王のために、いつでも使える切り札として脅迫の件を黙っていた。
だが、ここまで言われて黙っているつもりはない。
シュリアは眉をひそめた。心外と言いたげな表情にグレースはイラっとする。
「お友達をかばっただけでそこまで言われますの?」
「一緒に、いらっしゃいます? お茶でも嗜みましょう?」
「ええ、せっかくのお誘いですもの。まいりますわ」
甘く見られているのか、自信があるのかシュリアはそう応じた。
シュリアはちゃんとメイドは連れていた。レイラはやはり一人のままだ。それを気にしたのかフィデルからお付きの人について尋ねられていた。彼女は青ざめながら三軒隣の店の名を告げていた。メイドに用事を頼んだのは確からしい。
「騒がせて悪かったわ。ごめんなさい。
詫びは後で家の者から届けるわ。それから口止めは不要よ」
店を出る前にグレースは店主にそう声をかけた。多少の騒ぎになるかもしれないと思ったが想定以上の騒ぎ方をされた。
もしかしたら、事前に護衛から話が行っているかもしれないがそれが詫びない理由にはならない。
「承知しました。
取り置きの本はそのまま置いておきますね」
「ありがとう」
それはまた来てもよいということだ。グレースは店主に感謝の思いを込めて微笑む。
「またのおいでをお待ちしております」
「ええ、寄らせてもらうわ」
グレースは店を出る。その後ろをフィデルがついてきていた。二人のお嬢様の監視はしていない。
もしどこかに逃げたとしても名前がわかれば調べることはたやすい。他国人ならなおさら。
「休憩用に手配していた店に案内します。
少々の荒事は揉み消せますので、ご安心ください」
フィデルに小さくそう告げられる。は? と思って見上げればにこりと笑う。
「うちの人員の実家が経営してます。貸し切りもしてるんで、ご存分に」
「ありがとう」
言い回しがちょっと気になるが、礼は言っておいた。
それにしてもとグレースはフィデルをまじまじと見た。穏やかで優し気ではある。やや軽薄ではあるが、仕事ができないわけでもない。さらに手回しの良さがある。
騎士というよりいっそ執事や侍従をやったほうが向いているんじゃないかと思った。
「なんです?」
それにグレースは答えなかった。ほかの仕事のほうが向いてるんじゃない? などというのは侮辱になり得る。もし、それに家業なら、選択の余地はない。
グレースのように。