騎士の特技
フィデルは挨拶の日から三日ほどグレースの元に顔を出さなかった。邸内にはいるが、その視界に入ることはない。
お側に侍る準備中とお楽しみにと妙に可愛い字の手紙をもらったときには、グレースは頭を抱えたくなった。
護衛が、護衛してない。そう指摘したいが、メイドなどの話によれば部屋の外に控えていることはよくあるそうだ。グレースが滞在する部屋によっては窓の下などにもいるらしい。
つまり、グレースだけ避けている。なにか手品でも使っているのではないかというほどだ。
その日、父が珍しくグレースを部屋に呼んだ。執務室にグレースが入ることはあっても私室のほうはめったにない。
その必要最低限の家具しかない部屋は父の性格を表しているように思えた。執務室のほうが過ごしやすいように整えられているので、ずばり、寝るだけの部屋。二つの部屋をちょうどよく運営する気がない。
今日はとりあえず置いているという風情のソファセットに父が座っていた。その後ろに見慣れぬ女性が立っている。
グレースも対面に座る。
知らぬ女性に視線を向ければ彼女は控えめに微笑んだ。
「新しいメイドをつけることにした」
グレースは改めてメイドとして紹介された女性を見た。
女性にしては背が高い。結い上げた髪は銀色。露出を嫌うように首元まできっちりと覆うように変更されたお仕着せは誂えたようにぴったりだった。
そのメイドは口元に微笑みを浮かべ優雅に一礼する。
「ミラという。喉を怪我して声が出ない。どこに連れて行っても黙秘してくれるだろう」
「ああ、そういう用途の」
秘密を共有する、あるいは秘密のことさせるための者。
汚れ仕事専任ともいえる。今までグレースはそのような者を置いていなかった。しかし、今回は例外というところだろうか。
「よろしくね」
危ないことをさせる気はないが、口止めを考えなくていいのは気楽でよかった。
素直にうけとるグレースに侯爵は、そ、そうか、と少々不審な返答をした。
「……グレース」
「なんでしょう。お父様」
「違和感、ないか?」
「なにがです?」
グレースは、意図を掴み損ねた。
違和感と言われるべきところ。そのメイドに、なにか変なところを感じろというテストだったのだろうか。
立ち姿も今、グレース付きのものとそん色ない。むしろ、そのほうが違和感がある。
「よく教育された者のようですが、どちらから紹介されたのですか?」
そう言えば父が天井を仰ぎ見てしまった。え、と慌てるグレース。それを見てそのメイドは目を細めた。
「合格ですか、グレース様」
声は男だった。
それも聞き覚えのある軽い声。
「フィデル殿、君が勝ったみたいだな」
「良かったです。我が家渾身の出来なので、これ以上は難しかったんですよ」
清楚で大人し気なメイドの口から出てくる男の声。違和感が半端なかった。どこかに他の人いる? というくらいに。
「……まあ、グノー家の本気ならな。騙されても悪くないぞ、グレース」
「本当に、フィデル殿ですか?」
「そーです。言ったじゃないですか。
俺、可愛いって」
女装男は微笑む。わかっていても男らしさが見つけられない。しいて言えば肩幅が広いと言えそうだが、パフスリーブでごまかしている。腰もそう作っているのかきちんとくびれもあり、緩やかな曲線を描いている。のどぼとけと思えば隠されるように布で覆われていた。
グレースは認めた。地味そうでかわいいと噂される部類である。薄っすら化粧もされていて、艶めいたところもあった。
むしろ、私より可愛いとグレースは呻きたくなった。はっとするような美人ではないが、感じよい。
「お側に侍らせていただけますか?」
「…………こき使ってやるわ」
「仰せのままに」
フィデルが楽しそうでグレースは腹が立った。
部屋に連れ帰り、日ごろついているメイドたちに紹介しても違和感を覚えるものはなかった。それどころか声が出せないことに同情しているらしい。
対するフィデルは、皆さんにあえて嬉しい、と手持ちのメモ帳に書いて見せるような健気さで、何か疑われそうな気配すらなかった。
うちのメイドが純真すぎるのかもしれない。グレースは思い直した。
「これをいいことにうちのメイドに手を出したらただじゃ済ませないからね?」
こそっとグレースが言えば、フィデルはきょとんとして見返した。彼はメモに何かを書きつけてグレースに見せる。
『仕事中にしません』
仕事外ならするのかと言いたくはなったがそこまで疑うものでもないだろう。
グノー家というのはグレースの記憶にもある。
国の成り立ちより前から王を助け、建国の折に叙勲された最古というべき家のもの。そういう血の重さを背負っている風には全く見えない。
最初になぜそう名乗らなかったのか、というのは騎士団の昔からの風習によるものだろう。騎士団に入ったらとりあえず、家名は名乗らない。階級差による上下関係は禁止事項である。
グレースが覚えていたのは、ほかにも理由はあった。
グノー家は服飾品店も経営しており、成人した王族のみに贈られる手袋がある。なんとなく続いているお祝いと王はそう言っていた。王族にしか贈らないどころか、ほかに手袋は作りもしないらしい。有名ではないが、特別なもの。それをグレースももらったからだ。白い革の手袋はいくつかの刺繍があり、美しかった。
その手袋は衣装部屋にちゃんと保管して、特別な日にしか身につけないことにしていた。
確かにあの手袋を作るような家ならば、フィデルの女装もできそうな気はした。まあ、本人の資質というところもあるだろうけれど。
粗雑さがない女らしさはどこで学んだのか。
「……ほんと、どうなるのかしら」
グレースは控えめに微笑むフィデルを見て先行きを不安に思った。