侯爵家の一人娘
グレースは王の姪のような立場の侯爵家の一人娘だ。
母は体が弱く、グレースのほかに子ができなかった。男児がいないことで、離婚して他の女性と再婚してはどうかと父はよく言われたようだがそれを退け、グレースを後継者として指名した。それから5年後に母は亡くなったが、後妻を迎えることもなかった。
幼いころから後継者として育てられたグレースは女性の中では異端だ。普通は女性が後継者として指名されてもそれは有能な婿を取るという意味でしかない。そういうことに気がついたのは、王立学院に通うころだった。
グレースのように後継者教育を受けた女性は一人もいなかったのだ。
それに気がついたとき、グレースは父に尋ねた。私だけがどうして違うのかと。
その答えは、君が、好きな相手を選べるように、だった。そのためかグレースには婚約者がいなかった。ずいぶんと感傷的な答えだなとその時は思った。政略結婚がまだ当たり前で、結婚してから親しくなるような穏やかな生活が普通なのだ。
まあ、浮気だの結婚前からの愛人だの問題があるご家庭も多いのも確かだが。
そっか、選んでいいのかと悠長に構えていたグレースだが、それが間違いだったと気がつくのは数年後である。
王家の都合の政略結婚が降ってきたのだ。婚約者なしの王家の血縁の一人娘。とても条件が良いなとグレースですら思う。
話がやってきてすぐに政略結婚ふざけんなとグレースの父は王城に殴り込み、王と大喧嘩。
グレースは呆れた大人だと思いつつ仲裁した経緯がある。好きな人もいないし、私も貴族ですのでと言えば王も父も感動していたようだった。
貴族の娘なら普通のことだから、とは言わなかったが気まずかったのは覚えている。
グレースの婚約相手というのが隣国の王子であった。三番目で王位継承もしないが、国内で有力貴族の母を持っている。国内にいると火だねになることもあり得るか? ということでどこかに婿に出されることになったらしい。
グレースは婚約後、何度か顔合わせもしたし、隣国に赴いたこともある。そこで分かったのはなんとなくそりが合わない相手だということだった。
まず、侯爵家に婿に来ることが、侯爵家の当主になるということだと勘違いしている。跡取りのいない家に婿に行ってやるという態度が透けていた。
まあ、そこは婿に来てから矯正するかと思えたが、一番好きではないところは、グレースを不美人扱いするところだった。
多少太目なのは認めよう。癪だが。それで美点がないことにするところが、腹が立つ。
すでに暗雲が垂れ込めていた婚約だが、さらに暗雲が増量したのは半年前のことだ。
隣国の後継者が事故死し、ぽっかり空いた後継者の座を巡って争いが発生したからだ。その結果、グレースの婚約の雲行きが怪しくなった、ところまではまだよかった。
婚約相手の王子が有力候補とされている現在、グレースにまで脅迫されるようになってしまったのだ。
曰く、婚約破棄あるいは解消せよ、ということらしい。それも複数団体からきていた。
一つは、婚約相手を支持する過激派。よそに婿に行くわけないんだからそっちから辞退しろと何通も手紙をもらった。それも複数の相手から。手紙の字を見るに女性が多い。
もう一つは、敵対陣営のどこかから。婚約破棄し、支援を打ち切れ、さもなくば敵とみなすと中々に直球の要求だった。
手紙だけならそれほど害もないと嫌がらせの刃物入りくらいまでは、げんなりしながら王家に報告していた。荒立てると国家間の争いごとになるので、その判断をゆだねた形になる。その手紙があったことはグレースの婚約者にも報告され、王からの抗議はしていたはずだ。嫌味レベルなのか、厳重注意なのかはグレースにはわからないが。
この程度で終わってくれればよかったのだが、それでは終わらなかった。グレースは王立学院に用があり、立ち寄ったときに襲われたのだ。
隣国との交流を目的とした留学生が何人か学院にはいる。そのうちの一人が、グレースに襲い掛かった。その場で取り押さえ、犯人は牢獄に入っている。また、隣国からの留学生はすべて軟禁されることになった。誰も彼もが加担しているとは思えないが、余計な騒ぎを起こされても困るということだろう。
留学生まで警戒はしていなかったとグレースも反省している。実力行使はさすがにしないだろうと高をくくっていたところもあった。平和ボケといわれる程度には国内は平穏な治世が続いていたのだ。
それ以降、グレースは大人しく屋敷にいて、どこにも外出していない。
今は少々体調を崩してと言い訳しているが、そのうちお茶会などに参加しなければならないだろう。隣国との関係は良好で、間違っても襲われたり、脅迫されたりしている、なんてことはない。
ということにしなければならない。
この辺りは国家間の話になるが、相手の王も病床に伏していて話が通りにくい、らしい。これまでは足りないところは王妃や王太子が采配していた。だが、この王妃の子が事故死した王太子で半狂乱というから、もう、荒れに荒れている。
グレースは、のっとっちゃえ、と思わなくもないが、他国の征服というのは近隣諸国から嫌な顔をされるものだ。
すまし顔で支援する王子を決めて、代理戦争を始めるのがお綺麗な作法。
おそらく、婚約者が王として推されるであろうとグレースは踏んでいる。婚約者だからと侯爵家と王家からの支援をするのは、そういうことだ。そのうちに、婚約は解消される。グレースが隣国に嫁ぐことはないはずだ。
片が付くまで、グレースは婚約を解消することはできない。だが、婚約して、それを理由に支援しているから、狙われる。
護衛は増やされても、安全であるとは言えない。グレースは使い捨てされるほど価値がないわけではないだろう。代わりに傷つくのは、身の回りの者。それが少し罪悪感がある。仕事だと言われても、傷つくのは望ましくない。
まあ、あのフィデルとか言う騎士はへらりと無傷のような気がするが。