沈黙せず
今日の夜会はいつもと違った。
グレースは名を呼ばれ会場に入ると二度見された。
今まではそれなりに視線が向けられることはあったものの入場者への礼儀だ。戸惑ったような視線が二度目にやってくることはほとんどない。
「どこかおかしいのではないかしら」
グレースは思わずつぶやく。布地としてみたときには気にならなかったが実際着たときは違った。腰の細さを強調するようなデザインだったのだ。さほど細くないのにいつもよりもきゅっと引き締まって見える効果は賞賛したいが、こうも視線を向けられると変だったのではないかと思い始めてくる。
「お美しいです」
声を潜めてフィデルが言う。会場ではしゃべらないと言っていたにもかかわらず。
「問題があれば、護衛として排除します」
「つーか、触ったらぶっ飛ばすし」
触る? どこを? と問い返す間もなく、知り合いから声をかけられた。学生時代の友人や学友とは今も交流があり、夜会でも話をすることはある。しかし、今日はいつになく熱心に見えた。
いつも素敵ですけど、今日のお召し物、どちらで? から始まり、その腰の細さはどこのコルセットを? 肌がきらめていますけど、なにをつけられたの? など、美容に関することばかり聞かれる。
新しい侍女の特殊技術で、と曖昧に返答するだけのグレースを不満げに見るものもいたが、ほかに言いようがない。
美容のプロ(男)と衣装のプロ(男)と歩き方のプロ(男)が大活躍した、などと話すのも支障があるだろう。本人たちも公表はちょっと……という立場である。
なお、歩き方のプロには歩きにくい靴でも走れる特殊技術も指南してもらっている。
それが一段落したところで、今度は男性が近寄ってきた。今までにないことである。
さらに口々に褒められてグレースは困惑した。
男性にとってグレースは魅力的ではないという自覚はあった。
美貌というわけでもなく、性格に可愛らしさもなく、地位も金もあるが婚約済み。それも他国の王子だ。あまりのリスクの高さに火遊びの誘いすらやってこなかった。
どういうこと? と思いながらも礼を返した。
他にも何か言いたげではあったが、グレースの背後を確認して早々に退散していっている。
「なにかしら」
「グレース様の魅力にいまさら気がついたのでは?」
フィデルがぼそぼそと返答したが、グレースにとっては納得できるものではなかった。ちょっと見てくれが良くなった程度で、危険を冒したいと思うわけがない。
以前と変わったところがあるはずだ。
「ああ、そういうこと」
他国に嫁がないのであれば、侯爵家の一人娘として婿を探すことになるからであろう。もし万が一、婚約が解消されなければ王妃だ。顔を売っておくのも悪くはないだろう。
そういうことにいまさら気がついたのかもしれない。
グレースとしてはそれには納得感がある。
「絶対わかってないですよね」
「あなた黙ってるって言ってなかった?」
「危なっかしくて、これなら」
フィデルはそう言って黙った。
これなら、なによ、と返す間もなく、ラッパの音が響いた。王族の入場の前には鳴らされるのである。建国以来の伝統であり、そのラッパも建国当時からあるという話だ。
今までなら普通に聞き流していたが、精霊の話を聞いた後となるとこれにも意味があるのではと勘繰ってしまう。
「うにゃ!」
ネコイチロウが鞄の中から応じている。
王が現れた時、ふわりと風が通り抜けた。清々しい森の匂いと共に。
夜会は穏やかに進んでいった。名目は王の生誕祭なので、お祝いのための列ができている。これは王都より遠い地域の者から優先される。年に何度も王都に来れないからだ。
贈り物は断られており、そこで競うこともない。
グレースは話しかけられるのも嫌で王族の近くで聞くともなしに聞いていた。祝いの言葉と国の繁栄を願うことの繰り返しであるが、意外とバリエーションがある。
耳を傾けているうちに声に重なる別の音があった。聞き取れそうで、少しだけ異音が混じり理解できない音はやけに耳に残る。
音に意識しているうちにわかりそうになる。あとちょっと、だ。
「グレース様」
ミラに呼ばれてグレースははっとした。もうその時にはもう音は音でしかなかった。意味もわからず、流れる風の音のようだった。
ひやりとした空気がグレースの周りを吹き抜ける。
「拙者、役目中のため、挨拶は後ほどにいたします。
おお、寛大な対応、さすが、……様。こちら我が主のグレース様で」
ネコイチロウが誰かにグレースを紹介していた。
「猫が鳴いたような」
そういいながらクリスが怪訝そうにあたりを見渡している。ミラは素知らぬ顔をしていたが、やや眉が寄っていた。
グレースも何も聞こえなかったふりをすることにした。
何だろうと首をひねるクリス。勝手に鞄がゆらゆらしていた。明らかに不審な動きだ。グレースは諦めて中身を出すことにした。
夜会で猫を装備。周囲どころか変な噂が駆け巡りそうではあるが、うごめくぬいぐるみを確認されるよりは多分ましである。
それ以外には問題は起きず、夜会は進む。
祝いの列も減りグレースはようやく並ぶことにした。順調に進み王へ祝いの言葉を伝えるが、あまり心は籠っていなかった。
王がもの言いたげに猫のぬいぐるみに視線を向けている。
「おじさま、可愛い護衛でしょう?」
「そうだな。護衛がいらないようだと良かったのだが」
「私は大丈夫です」
しかしなと続けた王は黙った。グレースの後ろになにか恐ろしいものでもみたように視線を向けたまま。
背後にいるのはミラとクリスではあるが、上の方を見ているわけではないのでクリスではないだろう。振り返ってみたい衝動を覚えつつ、グレースはなにかしらという表情で見返す。
「……後ろの侍女にもよろしく伝えてくれ。
くれぐれも、気をつけるように」
「承知しました」
そう返してグレースは王の前を退いた。まだ数人残っている。他国からの使者から書簡を受け取りもある。個人的やり取りという名目で内容が公開されることはない。
その使者とグレースはすれ違った。
ふわりと花の匂いがした。
嗅いだことのあるような匂いだが、なんだろうと振り返っても誰もいなかった。
「しばらく、離れます」
ミラはそういってしばしグレースから離れた。しかし、何かを見つけることもできず戻ってきた。かなり渋い表情で。
会場の隅でグレースは報告を聞く。異常はいまのところなにもないが、違和感だけはあるらしい。それで苛立っているというのかと思えば違ったらしい。
「俺が可愛すぎるので、あちこちで声をかけられ不快でした」
「……自分で言うところが、あなたらしいわね」
「技術への自信です。でも、ここまで可愛くする必要はなかったと思いました。次からは加減します」
なぜかグレースを直視しつつそう宣言した。
そうこうしているうちに室内では音楽が流れてきた。食事会という形の夜会もあるが、今日は踊るほうの夜会であったが、グレースはいつも通り踊らずに済ませるつもりだった。
婚約者がいるものは婚約者以外と踊らないものだ。そこにいないときは例外として認められることはあるが、いままでグレースに願うものはいなかった。
しかし、今日はとても誘われた。踊りの申し込みの列ができるほどである。
それを婚約中であることを理由に一律断ったが、思った以上に気疲れしてしまう。
「帰るわ。
そのほうが都合が良いでしょう?」
「ごった返す馬車留めで護衛するよりはとても気楽です」
クリスはそういうが心なしか心配そうではあった。
「侯爵閣下と同乗されては」
「お父様にはお父様のお仕事があるもの」
誕生祝いのための使者は、それだけで仕事を終わらせない。今日は隣国からも人が来ている。婚約者の手の者だろうから、会わないわけにもいかない。
グレースには挨拶にも来なかった。それだけで扱いの軽さがわかる。
「ですが……」
ためらうクリスを置いてグレースは先に歩き出した。廊下はがらんとしており、時折、警備ものが二人組で通り過ぎるだけだった。
夜会を途中で抜けるものはいるが、今日は特別な夜会である。普通は最後までいるだろう。
余計な誰かを巻き込むこともないだろう。
「何かあったら、担ぎます」
「お手柔らかに頼むわ」
クリスは余裕があったらと冗談めかして言っている。
フィデルがやけに静かだなと思って視線を向ければ、宙を睨んでいた。
「上司と口げんか中でありますぞ。ちょっと御屋形様にはお聞かせできない下品な感じです」
「なにについて?」
「精霊使いが発見できなかった無能とか罵っておりますな」
のんびりと言っているが、精霊様にそんな口をきくのかと思うとグレースでさえも引く。
「あれはわかってて泳がせているんであると思います、が?」
「へぇ? ネコイチロウ、わかったんだ?」
いつぞや聞いたような低い声が聞こえた。ひっとグレースは思わず悲鳴がこぼれた。若干トラウマである。
「ああ、それは、その。
ほ、ほら、いたですぞ」
慌てたようなネコイチロウの声。いたのは、二人組の警備の兵に見えた。しかし、二人の騎士はそれを敵とみなしたようだった。
今日は警備の都合で特別なリボンをつけているそうだ。付けていないものはすべて敵であるとグレースは先に教えられている。
「お嬢様は走る準備してください」
グレースは問い返さず指示された通りにドレスの仕掛けを引いた。
「先輩はちょっと時間稼ぎよろしく」
クリスはひらりと手を振った。任せろなのか、さっさと行けなのかは不明である。
「では、ネズミ捕り、行きますよ」
いや、この猫のぬいぐるみにゃうにゃういうよな? とほぼ確信を得たものの知ってもいいことなさそうと聞こえないふりを決め込んだ人が一人。




