猪突猛進淑女
シュリアは、侯爵邸にいた。
報告! という言葉が喉まで出かかっていたが、トラブル増量したくなかったんです、という心底疲れたような騎士を見て黙ることにした。なお、クリスとは別の人である。
当事者1の証言。
先日のお茶会の翌日だったかな、うちの実家の菓子店で買い物をしてうきうきして帰ったら、翌日、味が違うじゃないのっ! と怒鳴りこみに来た、らしい。ああ、それはうちの息子のと親がペロッとしゃべっちゃったんだ。そのくらいの剣幕だったそうだ。なにか、久しぶりにお父さんと手を握っちゃったと母さんが……いや、それはどうでもいいな。動揺が伝わってくる? それはよかった。
で、ご子息はどちらに、雇いたいと詰めてきたらしいが、職務は別にあり答えることはできないとこれは断ったらしい。
そしたら、不審なご令嬢が出没するようになり、数日はほっといたそうだ。うちも一応、貴族の端っこにいるから、伝手で危なくないように護衛まで用意しちゃって。
なに考えてんだか。
え、グレース様なんです、その微妙な表情。
いいから先? はい。
さらに数日後、私に連絡が来て捕獲することにしたんですが……。
あの幻覚でもないんですよ。幻聴でも。
わたくし、あなたのお嫁さんになるの、と言われました。
意味が、全く、わかりません。
そう語って彼はうなだれた。
当事者の証言その2
わたくし、貴族の娘として、親の言う通りに振舞うことに疑問を持ったことはございませんの。そういうものでしょう? 衣食住すべて提供され、享楽にもふけることができるのは、いつか、使われる日のため。まあ、正直、側妃として嫁ぐのは嫌でしたけど。相手が、あの、ヴィオレッタ様ですよ! 一晩過ごすためにどれほどの誘惑が必要か考えたら、喚きたくなりますわ。それなら、お父様が、やったらいいんですのよっ! って。
それにわたくし、レンナルト殿下のほうが好きでしたし。憧れというか、初恋泥棒ですわね。絶対手に入らない理想の王子様というのは、乙女に都合の良いものです。
まあ、彼は彼で……。あ、言ってもよろしいかしら? 別に婚約解消されるのであればよいですわよね?
浮気しまくりでしたわ。もう、戻んないんだしとつまみ食い。ご存じでした? ああ、予想していた。なるほど、では、破談おめでとうございます。まだ、してませんけど。
手紙を送ったのは、浮かれていたというところもありますわね。
お父様が、王太子が亡くなった、うちも王妃として嫁げる可能性がでてきたと喜色満面で。今振り返ると最悪ですわね。人が亡くなったのに。一度は、娘の夫にしようとした方ですのよ。
でも、わたくしも最悪ですわ。
王妃という言葉に、心躍ってしまったのです。それから、お茶会に連れていかれ、レイラ嬢と初めて会いました。お姉さまと慕われてうれしかったのを覚えています。そう、そこに呼ばれたのは、6人の令嬢でした。
本当に申し訳ないのですけど、このあたりから霞がかったように曖昧なところがあるんです。いたのはわかるのですけど、6人目が誰かわからないんです。
そこでは、グレース様は王妃に見合わない、降りてもらわねばと話が盛り上がり、皆がその場で手紙を書きました。
その後、私たちは隣国、つまりここに退避させられました。
おそらく、手紙の件がバレた場合に娘たちが勝手にやったというためでしょうね。確かに親に示唆されたわけではないので、勝手にした、でしょうけど、普通、知った時点で謝罪し、わたくしを修道院送りするくらいのことです。
なにもかも承知の上で、というほうがしっくりきますわ。
これが、わたくしが知っている全てです。いかようにもお使いください。また、処断されるのは嫌とも言いませんわ。
え、お菓子?
ああ、旦那様との結婚を認めてくださいますの?
そこ?
わたくしをこんな体にしておいて、逃げるなどひどいですよね!
このお菓子をわたくしの体が求めますのよ! 売っても、作っても、雇われてもくれないのなら、嫁ぐしかありませんわ!
それに貴族の令嬢が庶民に落とされるというのは罰としてはありえるでしょう?
そういう処断でもよろしくありませんことっ!
自信満々のご令嬢。その隣には、庶民断定された騎士がいる。
周囲にいた彼の同僚は肩を震わせている。
グレースは、肩を震わせているクリスに尋ねる。
「ねぇ、どうするの?」
「俺が聞きたいです」
つまり、本当に、シュリアはお菓子に惚れ込んで不審人物をして、捕獲されたということだ。
憑き物が落ちたというより新たなる憑き物に憑かれたような気がしないでもない。
「あなた、名前は?」
「キルシです。土地持ち貴族で、領地は兄たちが運営しています。家業の菓子店は別の兄が両親の手助けをしながら運営しています」
この国の貴族は家業を持つことが多い。それは建国時に本業持ちの従者たちがいた結果である。
「あなた婚約者はいるの? もしくは恋人」
「いません、が……」
その言葉の先を予想したのかキルシは青ざめた。隣でシュリアがきゃっと言っている。ちょっとグレースはいらっとした。
「保護しなければいけないの。
その後の扱いも色々考えなければならないから、信頼できない相手に任せるわけにはいかないわ。
おじさまに相談するから、短期で頼むわ」
「…………はい」
グレースだけでは従わないという対処ができても、王命をちらつかされては、騎士としては断らないだろう。
たぶん、ご両親も勘違いされているようだしとグレースは心の中で言いわけした。息子の菓子に惚れ込んで不審人物するくらいのご令嬢、もしかしたら、息子好かれてる!? お嫁さんになっちゃう!? と。
残念ながら、本人の意思だけが無視されている状況に同情はする。
後日、婚約解消したいというときには、きちんと対処するつもりである。
一時、二人を他の部屋へ移した。残りの者たちで他の者たちの状況を詳しく聞くためだ。さすがにこれはシュリアには聞かせられない。
「ところで、心底嫌、って感じなのかしら」
「あ、あれは、ですね。
キルシ、35歳なんすよ。あのご令嬢、どう見ても、20前後じゃないですか。わ、わかいむすめ!?というところで躓いてます」
若い娘に迫られて、対処できずに困るの図。であったらしい。
俺みたいなおっさんよりいい相手いるとか、もっと条件の良い相手がとか言っていたらしい。
それを聞くと別に、嫌ではない、という話に聞こえる。
「あのご令嬢、口が肥えてるというか、味にすごく敏感です。
処断するより毒見役としてそばにおいてもよいかもしれません」
「……考えておくわ」
絆されてるな、とグレースは苦笑した。
あのやり方は保身として悪くない。ただ、あれが自然体である可能性も否めない。何かを狂わせるほどに、あれはおいしかった。
いるなら、作ってと言っておこうとグレースは決めた。
他のご令嬢もやはり、お茶会のことは覚えていても最後の6人目が覚えてないという。
本当にいたのか、ということさえ疑問になるはずなのに、皆がいたと断言する。
グレースは、エリグ公国について思い出したことがある。
かの地は精霊がまだいる。そして、その血を継ぐ者を守護し、力を使うと。まあ、そういう伝説と言われる程度の話ではある。
しかし、ここまで不審なことが続けば、魔法のような得体のしれないもの存在を疑ってもいいような気がした。
この国にも精霊使いはいたのだ。
役割を終えたと最後の精霊使いが城を辞したのはたった4代前。
最後の精霊使いの名は、ローデン。家名は、と記憶をたどり、グレースは驚いた。
ローデン・グノー。
建国以前より王と同道したこの国で最初の精霊使い。そして、最後の精霊使いの家系である、グノー家。
フィデルの家名を知って最初に思い出してもよいような情報が、今、ようやく思い出せた。
ふわりと風が部屋を流れた。
扉も窓も開けていないのに。
気配のなさには定評のあるグノー家です。
意図的に消されてんじゃないのかってくらい記録に残されてません。
建国よりいる家で残っているのはあと2家あり、そっちは現在も派手な感じに有名です。