第三話 酷暑の刑事たち
■
高齢女性殺人事件に関しては、うちの署に捜査本部が置かれることになった。
会議室の空調機器は盛大な振動と音で、必死に働いていることをアピールしている。
どこの官庁舎の例にもれず、冷房の設定温度は27度と決められていた。
しかし振動や音ほどの成果は見られず、広い会議室はまだむっとしている。
すでに15人ほどの捜査員が集まっていたので、わたしと水戸は窓際の席に座った。
上座に座った県警本部の増木警部の声は、いつにも増して力がない。
「で……被害者だけど今のところ、周辺でなんか出た?」
なにか眠そうな、だるそうな口調だ。
もともとこんな感じの喋り方だったろうか。
もともと細い目がしょぼしょぼしていて、いかにも眠そうだ。
太った身体をなんとかパイプ椅子に収めているが、病人のように大儀そうに見える。
隣に座っているのはうちの署の刑事課長、島倉警部だった。
痩せた小男なので増木警部の横に座っているとまるで顔だけ老けた子供みたいに見える。
うつむいたまま、ずっと押し黙っていた。
「はい……高木です」
まず起立して発言したのはわたしと同じ強行班係の高木だった。
使い込んだシステム手帳を見ながら、顔も上げずに話し始める。
「ほとんど近所づきあいはなかったようで、左隣の家族などは、被害者があの家に居住していたことも知らなかったようです……ですので近隣からの聞き込みはほぼ成果なしです。ただ、1か月に一回あるかないか、たまに訪れる喫茶店・名称『ランゴン』があったらしんですが、先月に閉店しています。とりあえず経営者兼マスターはまだ店の二階に在住しておりましたので話を聞きましたところ、具体的に被害者についてはほとんど何も知らないようです……ほとんど噂レベルの話になりますが……」
「噂……」
また噂か。
となりの水戸巡査を見た。彼女は、ぼんやりと窓の外を見ている。
何か特別なものでも見えるのかと思ってわたしも窓の外を見たが、署の向かいにあるホームセンターの看板が見えるだけだった。
「まあ噂でもいいや。聞かせて」
増木警部が、やはりだるそうに言った。
それにしても、身体の調子でも悪いんじゃないだろうか。
普段から覇気のない男だが……今は目を開けているのがやっと、という感じだ。
で、隣の島倉課長といえば……やはり俯いている。
ほんとうに居眠りしているように見えた。
「……はあ……」とめんどくさそうに高木がまた語り始めた。「まあその、その喫茶店……『ランゴン』のマスター……いや、元マスターも被害者から直接聞いたわけではないようで、馴染みの客が噂話していたののまた聞き、という感じなのでほんとうに、まったく不確かな噂なんですけど……聞きます?」
高木がそう言っても、会議室に笑い声も起きない。
「うん。まあ……聞かせて」
と増木警部。
まだ俯いたままで、反応のない島倉課長。
「被害者は20年くらいまで東京、新宿でいわゆる違法風俗店をしていたらしく、被疑者本人も……当時でもう60歳半ばは超えていたようですが……本人も性的サービスを自分の店で行っていたらしいんです」
「え?」
思わず反応してしまった。
でも、反応したのは、会議室でわたしだけだった。
隣の水戸は、わたしの反応にも反応しない。
相変わらず、窓の外、向かいのホームセンターの看板を見ている。
誰も笑っていない。
見ると、2、3人明らかに机に突っ伏して居眠りしている者もいた。
居眠り……?
いやまあ、わたしも殺人事件の捜査会議で不謹慎なことで反応してしまったのだが。
高木が続ける。
「まあそれはどうでもいいんですけど、20年前に相当の財産を作って店を畳んだと。その後、どこをどう流れてきたのか詳細は不明ですが、この界隈にやってきて事件現場で暮らすようになった、と。で、被害者は……あくまで噂に過ぎないんですが……相当額の財産を、現金で自宅に保管している……まあいわゆるタンス貯金ですね……という話を元喫茶店経営者は申しておりまして……」
「で、その財産、どれくらいなの?」
増木警部は本当に興味なさそうだったが、一応、という感じで高木に尋ねる。
「いや、詳しいことは……あくまで噂ですので、数千万、という話も数億円、という話もありまして……まあ噂です。以上です」
そう言って高木は……疲れ切ったようにどっしりと着席した。
なんと高木と薫でいる若い刑事……確か桐島と言ったが……が、腕をくんでこっくり、こっくりと船を漕いでいる。
しかし高木は若い相棒を咎める様子もなく、ぼんやりと宙を見上げたままだ。
「ふーん……なんかほかに、なんかない? 噂でもいいからさ……」
増木警部が耳をほじりながら言った。
「あれじゃないか、ってさっき部長とも話してたんっすけど……」
と、突然隣から声がした。
水戸だった。
「え、あの……おい……」
「噂になってますけど……アレじゃないっすか? “39度超え連続殺人”」
会議室内に集まった面々からは、とくに何の反応も見られない。
増木警部も……無反応だ。
島倉課長はやはり俯いたまま。
どうやら本当に眠り込んでいるらしい。
「あ、アレね……うん、確かに……噂になってるよなあ……」
「え……」
わたしは思わず、呆気にとられた。
すると厚ぼったい目で増木部長がわたしを見て、言った。
「どう思います? 高津さん……やっぱり、高津さんも同じご意見で?」
「えっと……あの、その……」
ちらり、と水戸のほうを見た。
べつに助け船を求めたわけではないが……水戸はまた、窓の外……ホームセンターの看板をぼんやり見ている。
「まあ今の段階ではなんとも言えないけど、こうも続くとね……やっぱり噂も、どんどん広がってるから……ねえ? 島倉さん?」
島倉課長は答えない。
ずっと俯いて無反応だ……どうやら本当に眠り込んでいるらしい。
「でも……その、噂ですよね? あくまで。あの……今さらなんですけど……そんなに噂になってるんですか? その“39度超え連続殺人”の話……」
「え? 高津さん知らない? 県警本部ではその噂でもちきりだよ……いやほんと」
まったく知らなかった。
それも妙な話だ……いくらわたしが噂に疎いとはいえ。
しかし、わたしが件のその噂……いや、事件捜査でここまで“噂”が話題になること自体が前代未聞だが……についてまったく察知していなかったことに関して、増木部長も他の捜査員たちも、特段気に留めている様子はない。
「その、事件発生日の気温以外に……その……一連の……事件に関して、どのような共通点があるんでしょうか?」
と、わたしのほうから聞いた。
本来なら、捜査本部を執り仕切る増木部長が部下たちにしなければならない質問だった。
なぜか場違いな場所にいる違和感のせいで、背中にじっとりと汗をかいていた。
「まあ……共通点って言えばその気温と、被害者が高齢者ってことと……あとまあ、ほぼ被害者に人間関係がなかった……ってことくらいかなあ……?」
「それだけ……ですか?」
「ま、連続殺人だったらいいじゃない。だって犯人、一人つかまえたら解決するんだからさ……あはは」
増木部長が愛想笑いをしたあと、ふう、とため息をつく。
「はあ……」
わたしに苛ついているというか、この会議自体に苛ついているようだ。
早く会議自体を終えたいらしい。
なんだろうか……?
わたしはますます居心地の悪さを感じた。
たったひとりだけ、部外者になってしまったようだ。
「えっと……明日の午前中だっけ? 山里先生のとこで今回の被害者の司法解剖すんの? ……高津さん、行ってくれるんですよね?」
「は、はあ」
「じゃ皆さん……明日以降も被害者周辺関連、不審者関連、それぞれの班で引き続き捜査、よろしくお願いします……以上、解散!」
がたがたと椅子を引く音とともに捜査員たちが立ち上がり、会議室を出ていく。
増木部長も退出した。
座ったままぐっすり眠り込んでいる島倉課長を残して。