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7-22


 膝をつく二人の男と、臨戦態勢に入る藍玉と子狐たち。


 驚愕と、確信と。それぞれの思惑が滲む眼差しを一身に浴びる蘇凛風は、衣と長髪をふわりと靡かせて、空中からこちらを見下ろしている。


(彼女はいま、どこまで正気だ?)


 どこか超然とした表情で宙に浮かぶ蘇凛風を見つめる紅焔の額から、汗が一筋滑り落ちる。


 蘇凛風が、華劉生の幽鬼の憑代になっているかもしれない。その可能性に気づいたのは藍玉だ。


 蘇凛風を春陽宮で保護していた間、華劉生は一度も姿を見せなかった。あれは、藍玉が自由に動き回るため、そして蘇凛風を確実に安全な場所で守るために、藍玉が蘇凛風の意識を奪っていたためだ。


 憑代を術式で眠らせることにより、藍玉は擬似的に――もちろん意図せず、華劉生を封じていた。だが、蘇凛風は蘇大臣に、蘇家の屋敷に連れ戻されてしまった。


 華劉生の幽鬼は、ついに自由を得た。だから憑代の望み通り、蘇大臣を襲った。


「お嬢様!」


 胡伯の声に、紅焔ははっと息を呑んだ。胡伯はまだ、玉たちに連れ出されていない。霊圧に抗って立ちあがろうとする胡伯に、紅焔は叫んだ。


「やめろ、胡伯! 彼女はいま、蘇凛風であって、蘇凛風じゃない」


「お嬢様は、お嬢様です。まぎれもなく私たちの目の前に、この方はいるではありませんか!」


「いまの凛風様の中には、蘇大臣を殺めた幽鬼がいます。凛風様の怒りが、悲しみが、幽鬼をその身に招いてしまったんです!」


「そんな……」


 藍玉の制止に、胡伯は切れ長の目を見開き、呆然と座り込んだ。床に置かれた白い手が、深い後悔に強く握りしめられる。


「私のせいだ。私が凛風お嬢様に、俊宇の死をお伝えなどしたから……!」


「それは違います、胡伯」


 吹きすさぶ嵐の中、その声は妙にはっきりと耳に届く。激情を欠片も感じさせない落ち着いた声で、蘇凛風は良家の娘らしく、胡伯の働きを労った。


「あなたが悔やむべきことなんてない。むしろ私は感謝をしています。あなたがお願いを聞いてくれたから、あの人がどこに眠っているのか、私は知ることができた。」


「……好いていたんだな。その、死んだ従者のことを」


 あえて注意を引くために声をあげれば、凛風はゆっくりと視線を紅焔に向ける。春陽宮で見かけた時と同じく可憐な少女の姿のままなのに、凪いだ湖面のように落ち着いた大きな瞳が、却ってぞくりと背筋を震えさせる。


 視界の端で、宗が紅焔を庇うように、わずかに体の向きを変える。けれども、こちらの警戒など意に介さず、凛風は祈るように両手を胸の前で握り合わせた。


「――はい、陛下。好いておりました。愛しておりました。この想いを伝えることは、もうできないけれど。共に生きられるならすべてを捨ててもいいと、心が震えるような恋でした」


 だから、と。そう続ける凛風の片目から、血のように赤い涙が一筋零れた。


「呪わずにはいられなかった。あの人を私から奪った、すべてを……!」




*     *       *




“お前はいずれ、この国の国母となるのだ。そして我が蘇家を救う聖女になるんだ”


 幼い頃から、耳にこびり付くほど繰り返し、凛風はそう父に言われてきた。


 父は一年の大半を、遠く離れた王都にある屋敷で過ごす。だけど、時々本家に戻ってきては、子供たちの成長を値踏みするように確かめにくる。


 中でも凛風のことは、特に熱心に目をかけた。


“お前はとびきり可愛い、我が一族の宝だ。おまけに詩も、楽器も、刺繍も、なにをとっても覚えがいい。お前は私の一番の誇りだよ”


 師に習ったことを披露するたび、父は凛風をほめそやした。何も知らなかった時は、それでよかった。父の言葉を素直に信じ、自分は父に特別に愛されていると得意になった。


 だけど、父のアレは愛情などではないと、すぐに理解できてしまった。


“お前は、アレに何かあったらどうするつもりなのだ!!”


 父が母に手をあげるのを、一度見てしまったことがある。あれは、凛風が高熱に倒れた時だ。


その二日ほど前、凛風は母たち大人の目を盗んで、使用人の子供らと追いかけっこをしていた。以前から凛風は、そうやって同年代の子供たちと遊んでいた。母や侍女たちも気づいていたが、ある程度目をつぶっていたのだと思う。


その追いかけっこの途中、凛風は足を滑らせて庭の池に落ちてしまった。幸いにしてすぐに気づいた侍女に助けられたが、よく冷えた日だったために体調を崩して寝込んだ。


そんな折、タイミング悪く、父が都から戻ってきた。そうして、凛風が使用人の子らと仲良くしていることや、その子たちと遊んで熱をだしたことを知られてしまったのである。


“おやめください、旦那様! お嬢様の前で!”


 おぼろげな視界の中、それでも瞼の奥に残ったのは、怒り狂い般若のように歪んだ父の顔と、頬を押さえてうずくまる母の小さな背中。そして、震えながら母を庇う侍女の姿だ。


 こんなに怒る父の姿は初めてだった。高熱にうなされる凛風の視界の先で、父は口の端に泡を浮かべながら、尚も大声でがなり立てていた。


“この子はいずれ、皇帝の妃になるのだぞ! 汚らわしい使用人の子供に近づけさせるなど、お前の目は節穴か!? しかも、池に落ちただと……!? この美しい顔に傷でもついたらどうしてくれる? たったそれだけで、一族の悲願が潰えるとなぜわからない!!”


 ごめんなさい、ごめんなさいと、母のすすり泣く声が耳にこびりついている。


 ああ、そうかと、幼いながらに凛風は理解した。父は凛風を愛しているのではない。道具としての凛風を、その道具によってもたらされる栄光を、愛しているのだ。


“ごめんなさい……。お父さま、ごめんなさい。もう二度と、あの子たちとあそばないから、お母さまをおこらないで”


 熱に朦朧としつつ、それでも泣きながら凛風が起き上がると、『父』は飛び上がって、それから愛おしげに凛風を抱きしめた。抱きしめる力が強くなるほど、心が寒々と冷えていったのを、凛風はいまも覚えている。


 凛風と仲良くしていた子供とその親は、翌日には屋敷から追い出された。


 代わりに凛風の前に現れたのが、ふたつ年上の俊宇だった。



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