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7-21



「その話を、貴方はどこで知ったのですか」


 それまで黙っていた藍玉が、薄氷のように澄んだ瞳で胡伯を見つめて尋ねる。藍玉に視線を移して、胡伯は答えた。


「後に、お嬢様ご本人に伺ったのです。この件はお屋敷勤めの者でもごく限られた者しか知りません。外聞を気にする旦那さまが、そのように口止めをされましたから」


 当たり前といえば、当たり前だ。


 蘇大臣は娘を妃にするのが望みだ。その娘が従者とはいえ若い男と姿を消した。仮にそんな醜聞が出回れば、李家に嫁がせるどころか、まともな縁談を結べなくなってしまう。


 頷いて、紅焔は胡伯に先を促した。


「蘇大臣の望み通り、蘇凛風の失踪は秘匿され、彼女は変わらずに皇帝の妃候補のままだった。彼女の逃避行は失敗したんだな」


「左様にございます——」


 蘇凛風の失踪に気付いたのは、彼女の母親だった。蘇凛風は『自分を妃にするのは諦めて欲しい』と書き記した文を残しており、それを母親が見つけたのだ。


 凛風にとって不運だったのは、その文が見つかるのが、彼女が想定したよりもずっと早かったことだ。加えて、その後の母親の行動は迅速で、的確だった。母親はただちに蘇家の私兵を動かし、徹底的に娘と従者を探させた。


 そうして、屋敷を出てからわずか三日で、蘇凛風と俊宇の二人は蘇家に連れ戻されてしまった。


「奥方様より報せを受けた旦那さまは、激怒されました。宮中の動きが不穏な中にも関わらず旦那様はお屋敷に飛んで帰り、お嬢様を仕置き部屋に閉じ込め、俊宇のことも追放した……とされていました(・・・・・・・)


 紅焔は形の良い眉根を寄せた。胡伯の意味ありげな言葉も無理はない。俊宇は実のところ、死んでいたのだから。


「私がことのあらましを知ったのは、お嬢様より頼みごとを引き受けた時です」


「凛風姫が、お前に頼み事を?」


「お嬢様は私に、屋敷から追い出された俊宇の行方をお尋ねになられたのです」


 それは、蘇凛風が屋敷に連れ戻されてからふた月ほどたった頃だ。


いよいよ李紅焔が実兄である李焔翔を処刑し、皇太子の座を奪うかもしれない。当時はちょうど、そんな噂が中央から漏れ聞こえていた。


時代のうねりを感じた胡伯は、歴史が変わる瞬間を目の当りにするべく、都に上ることを決めた。その日は、その前の挨拶で蘇家の屋敷を訪れた。


「旦那様は都にお戻りになったあとで、奥さまもたまたま体調を崩しておられました。私は早々に蘇家をあとにしようとしたのですが、そこでお嬢様に引き留められ、ふた月前の騒動について打ち明けられました」


“俊宇が心配なのです”


 声を潜めて、蘇凛風は涙ながらに胡伯に頼んだという。


 屋敷から追い出す前に、蘇大臣は俊宇が蘇凛風の逃亡に加担したことを咎め、鞭できつく折檻した。そのことを知る蘇凛風は、追い出されたあとも俊宇が傷に苦しめられていないかを気にしていた。


“人目を盗んで俊宇のところに行ったとき、あの人はひどい怪我でうなされていました。ろくな手当も受けずに、あのまま追い出されたとしたら……っ。お願いします、胡伯。あの人を、俊宇がいまどこにいるのかを、探していただけませんか?”


「普段はお取引以外のご依頼がお引き受けしないのですが、その時のお嬢様の悲壮な表情が見ていられませんで……。必ず俊宇を見つけ出すと、私はお嬢様にお約束しました」


「結果、俊宇がすでにこの世にいないことを突き止めてしまった、か」


 紅焔がそう言うと、胡伯は悼むように目を伏せてから、続けた。


「俊宇が屋敷で命を落としたのか、瀕死の状態で運び出されたのかまではわかりません。確かに言えるのは、彼は旦那様の命で殺され、山に捨てられたということです」


 商会の伝手を使い、俊宇がいなくなった前後の屋敷周辺の動きを調べたら明らかだった。夜半、俊宇は積み荷と装われ、私兵により屋敷から運び出された。私兵が向かった先は、地元の刑吏が罪人の死体を捨て置く山だった。


 そこまで掴んだところで、胡伯は蘇家の私兵のひとりに接触し、買収した。そうして、俊宇を殺して山に埋めるよう蘇大臣から指示があったと、私兵から聞き出した。


「なぜ、蘇大臣はそこまで……」


 藍玉が戸惑ったように呟く。


 確かに、蘇大臣の対応は大袈裟にも思える。蘇凛風と俊宇は主従の関係にあり、蘇凛風に強く押し切られたら、彼女の逃亡に手を貸さざるを得ない。むしろ、蘇凛風が屋敷を抜け出した三日間、彼女の身に危険が及ばないよう守ったという側面もある。


 けれども紅焔は、小さく首を振った。


「おそらく蘇大臣は、蘇凛風と俊宇の仲を疑ったんだ」


「え?」


「二人は年齢が比較的近く、蘇凛風も俊宇に気を許していた。それに、俊宇は見目もよかったという話もあった。蘇大臣は、娘の逃亡が単なる反抗などではなく、好いた男との逃避行であることを恐れたんだろう」


(それと……時期も悪かった)


 口には出さず、拳を握りしめた。


 通常であれば、蘇大臣ももう少し慎重にことに当たっただろう。だが、当時は皇太子である焔翔が幽閉され、その兄を処刑するために紅焔が地盤固めを行っていた時期だった。


 蘇大臣は焦ったのだ。いつ何時、瑞国の大局が動くかもしれない。蘇家の力を強めるためにも、この大波に乗り遅れるわけにはいかない。


 そんな極限状態において、不覚的要素はできるだけ排除するに限る。その焦りが、苛立ちが、俊宇を始末するという判断に結びついた。


 運が悪かった。ひたすらに。


「俊宇さんが亡くなったことを、凛風様には?」


「お伝えいたしました。俊宇の行方を捜すというお約束でしたので、彼が死んだのが旦那様の指示であるということは伏せましたが……」


 藍玉の問いに、胡伯は遠くを見るような目で答える。


 いよいよ都に上る直前、胡伯は凛風を訪ね、元従者がこの世を去ったことを告げた。凛風が取り乱したり、その場で泣き出したりすることを胡伯は恐れた。


 だが凛風は、一瞬声を詰まらせたあと、「そう」とだけ答えた。


「お嬢様はきっと、俊宇の死を気付いておられたのです。だけど信じたくなかったから、一縷の望みをかけて、私に俊宇を探させた。お嬢様の表情を見た時、私はそう確信しました。」


 美しい相貌に憂いを滲ませて、胡伯はそう締めくくる。そして、訝しげに紅焔と藍玉を交互に見つめた。


「以上が、私が知ることのすべてです。教えていただけませんか。なぜお二方は、俊宇のことを知りたがったのですか。園遊会でお嬢様が呪いを受けたことと、俊宇の死に何か関係があるのですか?」


「呪われたのは蘇凛風ではなく、蘇大臣だった」


「は?」


「昨夜、都にある蘇家の屋敷に幽鬼が現れました。幽鬼は凛風様ではなく蘇大臣を襲い、蘇大臣が亡くなられたのです」


 紅焔の代わりに藍玉が説明すると、胡伯は呆然と言葉を無くした。


 ゆっくりと瞬きをしてから、紅焔は慎重に言葉を選んで続ける。


「あの幽鬼には、『大切な者の仇を探して彷徨う』という性質がある」


 幽鬼本体――華劉生にとっては、大切な者は阿美妃であり、仇は鄧慧云だ。だが、園遊会で華劉生の幽鬼は、紅焔と藍玉、そして蘇大臣を呪った。


 問題は、呪われた三人が、誰にとって(・・・・・)仇であるか(・・・・・)だ。


「園遊会の幽鬼は、あの場にいた誰かに憑りついていた。その誰かにとって、呪いたいほど憎い相手が、俺たち三人だった」


 瑞国の皇帝、李紅焔。

 皇帝の唯一の妃。香家の藍玉。

 そして、蘇大臣。


 その中で、真っ先に優先して狙われたのが、蘇大臣だったことを踏まえれば。


「まさか。あの幽鬼が憑りついているのは……」


 切れ長の目を見開いて、胡伯が呟く。その後を引き継いで、藍玉が大きな瞳を光らせる。


「そうです。あの幽鬼の依り代となり、園遊会に招き入れ、三人に呪いをかけた人物。それは……」




「気づいて、しまったのですね」




 ここにはいない、別の人物の声が突如として響く。


 次の瞬間、地揺れのような地響きと共に、全身をすり潰すような重圧が紅焔を襲った。



* * *



 ドッと突き上げられるように地面が震える。次の瞬間、見えざる巨大な手が天から落ちてきたような衝撃があり、紅焔はたまらず地面に膝をついた。


(これは、蘇家の屋敷から報告があったのと同じか……!)


 全身を押しつぶそうとする重圧に、紅焔は歯を食いしばる。少しでも気を抜けば、意識を飛ばしてしまいそうだ。


「旦那さま!」


 藍玉が悲鳴をあげて紅焔に手を伸ばす。辛そうな表情をしているが、紅焔と異なり藍玉はまだ動けそうだ。


「俺はいい! それより、胡伯を!」


「……っ、はい! 玉、宗!」


「「了解!」」


 術を打ち消し、宗と玉が降り立つ。地面を蹴った二人は、紅焔と同じに動けない胡伯のもとへと駆け寄った。


「宗! この人間を、霊圧の干渉領域の外に飛ばします!」


「わかってるって! ほら。あんた、手を出して!」


「待ってください、待って!」


 宗が差し伸べられた小さな手を、胡伯が振り払う。突如現れた奇妙な子供への恐怖が理由ではない。胡伯の見開かれた瞳は、ただ一点に吸い寄せられている。


 信じられない。否。信じたくない。

 唇を震わせて、胡伯は叫んだ。


「まさか、そんな……! あなたがお父君を呪い殺したのですか、凛風お嬢様!」


 ふわりと、絹のような美しい黒髪が風に舞う。


 喧騒も。慟哭も。


 何もかもが無関係のような静謐な佇まいで。まるで女神のように、蘇凛風は悲しげな笑みを見せた。




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