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7-17



 紫霄宮と春陽宮が幽鬼に襲われたのと同時刻、都にある蘇家の屋敷も、禍々しい邪気に覆われた。ほか二箇所と状況が違ったのは、蘇家には幽鬼の放つ邪気だけではなく、華劉生の幽鬼本体が現れたということだ。


 蘇家に控える呪術師たちは身構えることもできず、押し潰さんとする重圧に膝をついた。地面が凍り付き、この世ならざる咆哮の空気が震え、屋敷全体が軋んで悲鳴をあげた。


 一瞬にして屋敷を覆った邪気から伝わる怨念は凄まじいものだった。呪いが、怒りが、憎しみが、嵐のように駆け抜けた。訓練を受け、覚悟を決めてこの場に集った呪術師たちをもってしても、吹き荒ぶ怨念に恐怖した。


 それはまさしく、一方的な蹂躙。指一本でも動かせば、直ちに首が胴から離れて飛びかねない。そんな緊張の中で、誰もがなすすべもなく死を覚悟した。


 だけど幽鬼は、蘇凛風のいる離れには目もくれなかった。かわりに厄災は守りの薄い本殿に転移し、蘇大臣の寝所を襲った。


 生き残った呪術師によれば、すべては一瞬の出来事だったという。


「な、なんだ!? なにが起きた!?」


 蘇大臣は衝立を倒して寝所から転げ出て、近くに念のため控えていた呪術師に救いを求めた。否。救いを求めようとした。


 その瞬間、すべてが漆黒の闇に包まれた。


 黒く塗りつぶされた視界の向こうで、凄惨なナニカが起きている。呪術師になんとか理解できたのはそれだけだ。何かが引きちぎられ、飛び散る水音。いやだ、やめてくれと叫ぶ蘇大臣の声と、耳を塞ぎたくなるような断末魔。


 視界が戻った時、呪術師は腰を抜かして悲鳴を上げた。そこには、四肢をばらばらに引きちぎれ、血の涙を流して絶命した蘇大臣の姿があった。


 悲鳴に気づいて駆けつけた蘇凛風も、その光景を見てしまったという。父親の無残な死に様を目にした蘇凛風は、半狂乱になって錯乱した。そのあまりの取り乱しようから、呪術師により眠りの術を施され、屋敷の奥深くに隔離された。


 呪術師たちの懸命の捜索も虚しく、幽鬼はすでに蘇家の屋敷のどこにもいなかった——







――というのが、玉と宗から聞いた、蘇家の屋敷で起きたことの一部始終である。


「まったく、何が何やらだ……!」


 こめかみを押さえて、紅焔は呻く。


 昨夜の騒動が嘘のように、頭上には初夏の爽やかな青空が広がっている。隣を歩くのは、ここ春陽宮の主、藍玉だ。互いの従者は離れたところに下がらせており、よほど声を張らなければ会話が聞こえてしまう心配はない。


 寵妃の無事を確かめるという名目で、春陽宮に足を運ぶのは容易かった。実際、いつも通りぴんぴんしている藍玉を見て、安心したかったというのもある。けれども犠牲者を出てしまった以上、手放しで喜ぶこともできない。


 整った顔をしかめて考え込む藍玉を見下ろして、紅焔はゆるゆると首を振った。


「蘇凛風が襲われるならまだわかる。なぜ、華劉生の幽鬼は蘇大臣の命を奪った? 華劉生が呪っていたのは、蘇凛風じゃなかったのか?」


 玉と宗によれば、蘇大臣の遺体のそばで、例の人形(ひとがた)が発見された。それは紛れもなく、呪術師が預かっていたはずの蘇凛風の人形であった。


 人形の四肢は、強い力で無理矢理にねじ切られていた。その姿は、蘇大臣の凄惨な最期にそっくりだった。


 園遊会で華劉生の幽鬼が現れた、あの日。蘇凛風が意識を失い、直後、彼女のすぐ近くで人形(ひとがた)が落ちているのが見つかった。だから紅焔たちは、てっきり蘇凛風が呪われたのだと思い込んだ。


 しかし思い返してみれば、あの時、人形を最初に見つけたのは蘇大臣だった。人形が落ちていたのは蘇凛風と蘇大臣のちょうど間のあたりであった。


 そもそも人形の見つかった時の状況と、蘇大臣とそっくりにバラバラになって発見されたという事実。これらを合わせて考えれば、人形が呪ったのは蘇凛風ではなく、蘇大臣だったとしか考えられない。


(その可能性に誰もが気づけないまま、蘇大臣は襲われ、命を落としてしまった……)


 舌打ちをする紅焔の隣で、藍玉も同じ結論に至ったのか、悔しげに視線を落とした。


「申し訳ありません。私の過ちです」


「君のせいじゃない! 俺も、俺だけじゃない、あの場にいた誰もが、呪いを受けたのが蘇凛風だと思い込んでしまった」


「だとしてもです。劉生兄さまを止めなきゃいけないのは、私だったのに……!」


「藍玉……」


 苦しげに吐き出す藍玉の握りしめた小さな拳は、ふるふると震えている。その姿に紅焔は、なんて声をかけるべきか逡巡した。


 けれども、顔をあげた藍玉は、思いのほか強い眼差しで紅焔を見つめた。


「今度こそ、劉生兄さまを止めたい。お願いです、旦那さま。あなたの助けが必要なんです」


 今にも泣き出しそうなのに、その奥で決して消えるこちとのない灯が燃えている。そんな藍玉の瞳に、紅焔は息を呑んだ。それから、背筋を正して頷いた。


「そうだな。これ以上の犠牲を出す前に、華劉生を二人で止めよう」


「はい……!」


 とはいえ、だ。


 華劉生の幽鬼は強力だ。本体が姿を現さなくとも、あれほどの邪気を放ち、鬼通院の呪術師たちを苦戦させた。藍玉もはっきりと、力づくで祓えるような幽鬼ではないと言っている。


(呪われた人間は、残すところ俺と藍玉だけだ。待っていれば、いずれ本体が姿を見せるだろう。だが、待っているだけでは華劉生の幽鬼は祓えない)


 華劉生の幽鬼を形づくり、この世に留めるものが何か。何を願い、何を思って三人の人間を呪ったのか。華劉生の幽鬼を祓うために、謎に包まれたそれらを本格的に解き明かす必要がある。


 そこまで考えた紅焔は、昨夜襲われている最中に見た華劉生の『夢』を思い出した。


「藍玉。君は昨晩、華劉生の生前の(まぼろし)を見たりしなかったか?」


「? いえ。旦那さまは、何をご覧になったのですか?」


「実は……」


 あの夢とも幻ともつかない光景の全てを、紅焔は藍玉に語って聞かせた。


 北の砦で言葉を交わす、生前の華劉生と鄧彗云。自分の手で愛する人を終わらせると決意した、華劉生の遠い眼差し。


 そして、青白い頬に滲んだ真っ赤な鮮血の筋と、深い怨嗟の声。


 最後まで聞くと、藍玉は目を丸くして紅焔に詰め寄った。


「母さまを、阿美妃を殺していないと。劉生兄さまが、そう言ったんですか?」


「自分は阿美妃を殺せなかった。なのに奪われたと叫んでいた。直後に、鄧彗云の名を……」


“殺してやる。殺してやるぞ、鄧彗云”


華劉生の幽鬼は、そうはっきり口にしていた。


 あの夢が真実だとしたら、華劉生は阿美妃の死に関わっていない。かわりに阿美妃の命を奪ったのは、鄧彗云ということになる。


 だが、阿美妃が人間としての生を終えた場に鄧彗云がいたなどという記述は見たことがない。だいたい鄧彗云は、蘇芳帝が呼び寄せた阿美妃専属の医官だ。ただの医官が、妃を処刑するかどうかの決定権を握れるわけがない。


「阿美妃が処刑されたという言い伝え自体、間違っているのだろうか。しかし、阿美妃の最期を市井の者にも見せるため、城の門を開いたという記録もあったが…………おい!」


 隣の藍玉がよろめいたのに気づき、紅焔は彼女を支えるために手を伸ばした。


 慌てて受け止めた藍玉の華奢な身体は、見た目以上に軽い。あまりの手応えのなさに動揺する紅焔をよそに、藍玉は素直に紅焔の胸に縋りついた。


「すみません。少し気が抜けてしまって」


「大丈夫か? 昨夜の疲れが出たんじゃないか?」


「違うんです。こんなことに一喜一憂している場合じゃないってわかってるんですが、嬉しくて。……劉生兄さまが母さまを殺したんじゃないって、信じてたから」



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