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7-16


 紫霄宮で目を覚ました紅焔は、慌てて身を起こそうとした。


それを片手で押しとどめ、庇うように背中を見せるのは、鬼通院の長・淵暁明(エン シュンメイ)だ。


 夜半に関わらず、視界は明るい。それが、紅焔と春明を取り囲むようにして無数に浮かぶ、青白い鬼火によるものだと、すぐに紅焔は理解する。


加えて、豪奢な寝所の中には嵐のような暴風が吹き荒れている。ガタガタとひっきりなしに障子や壁が揺れる一方で、外では低く長い慟哭が鳴り響いている。


なるほど。状況は芳しくなさそうだ。


淵方士に守られたまま、紅焔はその背中に大声で問いかけた。


「どうなっている!」


「紫霄宮と春陽宮、同時に襲撃を受けております。外からお呼びかけしたところお返事がありませんでしたので、無礼を承知で寝所に立ち入らせていただきました」

 

「構わない。春陽宮は大丈夫なのか?」


「呪術師たちを通じて視て(・・)いますが、あちらも持ち応えています。尹嘉仁と……貴方様の配下の方が、善戦をしておられます」


 藍玉だ。男装をして正体を隠した藍玉が、あちらで戦っているのだ。


 勇ましく幽鬼に立ち向かう妃の姿が簡単に思い浮かび、紅焔はホッと胸を撫で下ろす。同時に、春明が藍玉のことに触れたために、一瞬ドキリとした。


自由に動き回るため、藍玉が尹嘉仁に「皇帝に直接雇われている呪術師だ」と説明した。そう、彼女から報告は受けている。


どちらかといえば直情型な尹嘉仁は、それで誤魔化せるだろう。けれども淵春明は思慮深く、賢い男だ。呪術で何がどこまで見えているかはわからないが、変装を見破られたり、それ以上に、彼女が妖狐の術を用いることを見抜かれたりはしないだろうか。


 けれども、身構える紅焔に反して、春明は深く藍玉に触れることなく先を続けた。


「末恐ろしいのは、ここにも、春陽宮にも、怨霊の核が来ていないということです。おかげで、祓っても祓ってもキリがない。我々も、防戦の一手を取らざるを得ません」


「怨霊の本体が、別の場所にいるということか?」


「左様です。遠方にありながらこれほど邪気を飛ばせるとは、一体どれほどの憎悪でその身に溜め込んできたのか。やはり狐の匂いを纏った幽鬼など、のさばらせていいものではございませんね」


 春明の口ぶりは、言葉のわりに軽やかだ。なおも悪霊の慟哭が鳴り響く中、春明は銀糸のような髪をなびかせて両手で印を結ぶ。


「陛下が目を覚ましてくださってよかった。ここからは、手荒にいかていただきます」


 いうが否や、春明の手元に円形の呪術陣が浮かび、光の暴流が噴き出した。


 ごおごおと音を立てる光の流れに、あっという間に紅焔も呑まれる。凄まじい威力に、吹き飛ばされないように紅焔はなんとか両手と両脚で堪えるのが精一杯だ。


 無数に浮かんでいた鬼火が次々光の流れにかき消されて消失するが、同時に寝所全体もギイギイと嫌な軋み方をしている。


 まさか淵春明は、寝所そのものを壊すつもりなのか。ちらりと不安が頭をよぎった時、淵春明が印の形を二、三度変えて叫んだ。


「”汝が主人(あるじ)が是を命じます。疾く疾く姿を表し、すべて排除しなさい!”」


 途端、寝所を満たす光の川が、輝く巨大な青龍に転じた。


 仰天する紅焔の視線の先で、光の龍が咆哮する。ビリビリと痛いくらいに鼓膜が震えて、思わず紅焔は座り込んだ。


(これが、鬼道院の頂点、淵春明の使役する使い魔か……!)


 藍玉や春明のような特別な力はないが、青龍がとんでもない覇気をたぎらせているのを感じる。その龍が、大口を開けて室内に残っていた鬼火をすべて呑み込み、勢いそのままに襖を壊して外へと飛び出していった。


「淵方士の青龍だ!」


 庭にいた呪術師たちから歓声が上がる。


 寝所の中と同様、紫霄宮の庭には大量の鬼火が浮かんでおり、容赦なく呪術師たちを襲っていた。


 その中を青龍は猛然と駆け抜けて空へ昇ると、眼下に広がる庭園に向けて、勢いよく(ブレス)を吐き出す。


 途端、龍の吐息は無数の光の矢となり、凄まじい威力で鬼火を貫いた。


(さすが若くして鬼道院の長になった男だ。桁違いに強すぎる……!)


 消えては再生する鬼火を次々に消し飛ばす青龍と、それをたったひとりで使役する淵春明の鮮やかさ。それらに、紅焔はすっかり圧倒された。


 いつか見た、妖狐の力のすべてを解放した藍玉も迫力があった。だが、半妖ではなくただの人間であるはずの淵春明も、藍玉と同格の強さがあるように思える。


 だからこそ、期待せずにはいられない。


(藍玉と淵春明。ふたりの力を合わせれば、阿美妃とこの国を千年の呪いから解き放つことも夢じゃないんじゃないか?)


これまで漠然としていた目標が、現実味を帯びて目の前に現れた気がする。どくりと胸が熱くなり、紅焔は無意識に胸の辺りを掴んだ。


阿美妃の呪いを解く。それは藍玉の悲願であると同時に、紅焔にとっても必要な到達点だ。


人の心に憎しみを生み、争わせるように仕向ける。阿美妃が楽江にかけたのはそういう呪いだ。その呪いを解くことは、かつて父と兄が目指した「真に平和な国」を実現することと等しい。


だからこそ、紅焔と藍玉は手を結んだ。その願いが、淵春明の力があれば叶うかもしれない――


「終わりました」


 春明の声で、紅焔は我に返った。ハッとして視線を戻せば、淵春明が色素の薄い瞳で紅焔を見つめている。


 改めて周囲を見ると、先ほどまでの喧騒はすっかりなりをひそめ、あれだけ無数にあった鬼火も圧倒的な力を示した青龍もどこにもいない。


 紅焔が問いかけるかわりに小首を傾げると、春明は恭しく手を掲げて報告した。

 

「たったいま、春陽宮でも邪気を退けたと確認が取れました。今夜は、これ以上の脅威はないと考えて間違い無いでしょう」


「っ、本当か!」


「貴方様に仕える術師が中心となり、春陽宮の邪気を退けたようです。もっとも悪鬼本体の行方は不明。一時的に危機を退けたにすぎませんが……」


 さすがは藍玉だ。鬼通院の術師たちに譲ることなく、きっちり仕事をこなしたらしい。


 紅焔はホッと胸を撫で下ろす。けれども同時に、呪いを受けてしまった最後のひとり――蘇凛風の顔が、ふと脳裏をよぎった。


「蘇凛風は無事か? 蘇家の屋敷はどうなっている?」


 紅焔の言葉に、淵春明は目をみはった。


 華劉生の幽鬼が呪いの人形(ひとがた)を残した相手は三人。そのうちの二人、自分と藍玉が、ほぼ同じタイミングで襲撃を受けている。ならばあと一人、蘇凛風も襲撃を受けていると考えたほうが自然だ。 


 蘇家の屋敷には、藍玉の機転で玉と宗が潜り込んでいる。鬼道院の呪術師も、蘇凛風の近くに控えている。


 だから蘇凛風も無事だ。そう思いたいのに、妙に胸が騒ぐ。


 淵春明も同じなのか、春明は固い表情で懐から紙の鳥を取り出した。


「しばしお待ちを。ただいま、蘇家に控える部下に連絡をいたします。…………おや」


 春明が指で印を結ぶと、紙の鳥がぽわっと輝く。けれども紙の鳥が飛び立つ前に、春明が何かに気づいたように顔を上げた。


 つられて顔を上げた紅焔は、白く小さな影が夜空をこちらに向けて飛んでくるのを見つけた。


 春明が懐から取り出した、作り物とは違う。本物の白い小鳥が、春明めがけてまっすぐに滑空してくる。


 こんな夜半に小鳥が活動するものだろうか。そのように疑問に思う紅焔の目の前で、飛んできた小鳥が春明の差し出した手にとまる。


 ぷるりと小さな体を揺らす小鳥に、淵春明は気遣わしげに目を細めた。


「貴方は休んでいなさいと、あれほど言っておいたのに。……なんですって?」


 眉根を寄せる淵春明に、小鳥はぴちゅぴちゅと小さく囀る。そんな一人と一羽の姿は、まるで言葉を交わしているかのようだ。


 やがて春明は、固唾を呑んで見守っていた紅焔に視線を戻した。


「蘇家の状況がわかりました。陛下のご推察の通り、あちらも同時に襲撃を受けたようです」


「蘇凛風は!? 彼女は無事なのか」


「ご無事です。すでに邪気も退いたと、蘇家に配置させた呪術師から報告も入っております」


「そ、そうか! それは……」


「ですが」


 よかった。そう告げようとした紅焔を、春明が遮る。それから春明は、沈痛な面差しで続けた。



「蘇凛風様の御父君、蘇大臣が、幽鬼に襲われ命を落とされたとのことです」



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