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1-9



 翌日、藍玉は当たり前のような顔をして紫霄宮に現れた。


 美しい妃は紅焔を見るなり、ふむと満足そうに頷いた。


「よろしい。言い付けに従い、昨夜はぐっすり眠ったようですね」


「おかげさまでな。身体も随分と軽くなった」


「食事もしっかり採られたと侍従長より聞き、何よりです。念のため、何も口に出来なかったときのため、昨夜と同じ薬を用意していましたが……せっかくなので、飲んでおきます?」


「いらんわ!」


 得も言われぬ苦さを思い出し、紅焔は思わず口を押える。あのまずさは、飲まずに済むのなら飲まないのが一番いい。


 顔をしかめて後ずさる皇帝に、藍玉はふふっと笑った。


「慣れれば癖になる味わいなのですが、まあ、いいでしょう。この薬は、またの機会にとっておきます」


 できればそんな日が来ないようにと、紅焔はこっそり天に祈る。その時、ふと、夜明け前に目が覚めたときのことを思いだした。


「そういえば、今朝がた、部屋にいたのは君か?」


「はい?」


 きょとんと小首を傾げられ、紅焔は「あ、いや……」と言いよどんだ。まだ日が昇る前、誰かが枕元にいた気がしたのだ。


 ひやりと心地の良いものが額を撫でたので、初めは侍従長が汗を拭ってくれたのかと思った。けれども、朝になって侍従長に尋ねたが、彼はその時間は顔を出してないという。もしかしたらと思って藍玉にも聞いてみたのだが、まったくの見当違いだったようだ。


(侍従長でも彼女でもないとすれば、俺は夢でも見たのか?)


 だとすれば、誰かが枕元で様子を見守ってくれただなんて、なんとも自分勝手で都合のいい夢だ。それが気恥ずかしくて、紅焔は慌てて話題を変えることにした。


「それで、どうやって怨霊を祓う?」


 なぜそんな力を持っているのかわからないが、藍玉は怨霊や呪いを祓う術が使える。それも、かなりの使い手らしい。


 だが紅焔に取り憑いているのは、その彼女に「厄介な」と言わせる怨霊だ。いまさら疑うのもあれだが、なにか策はあるのだろうか。


 そんな紅焔の疑念が伝わったのか、藍玉は袖で形の良い口元を隠してて、悲しげに眉尻を下げた。


「まあ、ひどい。旦那さまは、私が無策であるのではとお考えなのですね


「そういうわけではないが……」


「旦那さまに疎まれ、軽んじられ、それでも御身をお救いしようと粉骨砕身励む、健気な妃だというのに。さすがの私も、報われなさすぎて悲しくなってしまいます」


「ま、待て。君のことはもちろん信頼している! 君が、こんな俺のために献身してくれることも、感謝をしているし……」


「………………おひとよし」


 思わず狼狽えてしまった紅焔に、袖で隠された口元から笑みを含んだ声が返ってくる。


 虚を突かれて紅焔が瞬きしていると、藍玉が赤い舌をちろりと覗かせて、いたずらっぽく微笑んだ。


「失礼。少々、からかいました」


 ぽかんと惚けてから、紅焔はかーっと一気に頬に熱が上るのを感じた。


(こいつ。大人をおちょくりやがって……!)


 だが実際、勝手に疎んじて、軽んじて。そのくせ、そんな相手に救いを求めている厚顔無恥が自分であるのは間違いない。


 屈辱に顔を赤らめて目を逸らす紅焔に、藍玉はくすくすと笑ってから、スッと音もなく立ち上がった。


「さっそく参りましょう。ここから本気の、怨霊祓いが始まりますよ」






「以前も言いましたが、怨霊を祓うには、祓う相手のことをよく知る必要があります」


 道すがら、藍玉は天気のことを話すような気軽さで、そんなことを話した。


「怨霊や呪いというのは、陰の気が寄り固まったもの。死者であれ生者であれ、恨み、妬み、無念、悲しみ、人間の負の感情が陰の気を生み、この世に留まっています。特に強い思念を持つ者は、無闇に陽の気をぶつけたところで、簡単に祓うことはできません」


 弱く力のない霊であれば、軽く陽の気をぶつけるだけで、容易に祓うことができる。しかし、紅焔に憑りついているものは、その限度を超えているという。


「ですから、相手を知るのです。その怨霊を形作る陰の気の中身がなにか――なにを無念に思い、なにを恨めしく思うのか。その中身を正しく知り、相反する陽の気を的確にぶつける。そうして怨念の根元を断つことで、除霊することができるのです」


 そうやって藍玉が連れてきたのは、春陽宮だった。先日と違って、壁の五か所に複雑な模様の描かれた札が張ってある。


「怨霊をおびき寄せ、この札で捕らえます」


 赤筆で描かれた札の模様を眺めていると、藍玉がそう説明した。


「この部屋には、あえて結界を無くしています。代わりに、あなたを蝕むものを呼び出し、呪符の牢に閉じ込める。そこを、私が祓います」


「できるのか? 君はまだ、俺に憑りつくものについて多くを知らないだろう」


「それは、これからお聞きします。――(たま)(そう)


「「はい、姫さま」」


 藍玉が呼びかけると、部屋の暗がりの隅から二人分の高い声が響き、紅焔はぎょっとした。見れば、いつの間にか二人の侍従が控えている。


……そもそも、侍従でいいのだろうか。年は十歳くらいか。双子なのか顔はそっくりだが、二人揃って男児か女児か判別がつかない。髪はおかっぱ頭に切りそろえてあり、宮司見習いが着るような白い装束を纏っている。


 戸惑う紅焔をよそに、藍玉は慣れたように二人に声をかける。


「この方はお客人です。ごゆるりと寛げるよう、おもてなしをしてください」


「承知いたしました、姫さま」


「全力全開でおもてなしします、姫さま」


「いや、俺、私は……」


「素直にもてなされてください。なにせ、長い話をしていただくのですから」


 藍玉が涼しい顔で、紅焔を宥める。その間に、二人の侍従はすばやく姿を消してしまう。――そう。文字通り、紅焔が目を離した隙に、二人は忽然と部屋からいなくなっていた。襖を開け閉めする音もなかったが、いつの間にいなくなったのだろう。


 訝しんだ紅焔が目を凝らして襖戸を見ようとしたとき、背後から幼い声がした。


「お待たせしました、お客さま」


「お待たせしたよ、姫さまの旦那さま」


「うわあ!?」


 文字通り飛び上がり、紅焔は慌てて振り返った。すると、さっきまでいなかったはずの双子が、しれっと丸机の隣に並んでいる。


 丸机の上には、これまたいつ用意したのか、繊細な草木の絵柄が描かれた茶器セットと、饅頭に果物の砂糖漬けに謎のチマキまで、目移りしてしまいそうな食べ物が、竹格子のような不思議な形の器(?)に並んでいる。


「お召し上がりください、お客さま。こちらは、気持ちを落ち着かせるのにいい、茉莉花茶です」


「お食べください、旦那さま。甘いの、辛いの、しょっぱいの、苦いの。お好みがわからないので、色んな味でご用意しました」


「お前たちはなんなんだ? それで、こいつらはどっから沸いてきた!?」.


 ついに我慢ができなくなって、紅焔は茶菓子セット――正確には、「辛いの」「しょっぱいの」というように、軽食に近いものも含まれている――を指差して叫ぶ。すると玉蘭は、表情を変えずに首を振った。


「いいじゃありませんか、旦那さま。そのような細かいこと、気にしなくても」


「細かいもんか! 少なくとも俺には、君が使うのと同じくらい奇術に見えたぞ」


「そんなにあれもこれもと気にしていたら、綺麗なお(ぐし)がハゲてしまいます。旦那さまはせっかくの男前なのに、早くにハゲてしまっては残念です」


 水晶のような瞳でまっすぐに見つめられ、大真面目にそんなことを言われて、紅焔は言葉に詰まった。美男子だなんだと騒がれることは昔から多々あったが、まじまじと顔を覗きこまれながらそんなことを言われるのは初めてだ。


 なんだか落ち着かない心地がした紅焔は、指の先で頬をかきながら、そわりと藍玉から目を逸らす。それを見逃さなかった双子が、ヒソヒソと囁きあった。


「見ましたか、宗。この人間(ヒト)、色男の割にウブですよ」


「見たよ、玉。スカした奴だったら苦薬を混ぜちゃおうと思ったけど、意外とかわいいかもしれないよ」


「だ、だれが初心だ。ていうか、がっつり聞こえてるんだがなあ、そこの二人!」


「まあまあ。お座りください、旦那さま。お茶が冷めてしまいますよ」


 藍玉に勧められ、紅焔は渋々と席につく。双子の侍従たちはどうしたかといえば、すまし顔で部屋の隅にちょこんと控えている。


(まったく。変わり者の姫が相手だと、従者までくせ者揃いだ)


 顔をしかめる紅焔の向かいで、藍玉が慣れた手つきで茶器から金色の茶を注ぐ。湯気が彼女の手元から立ち上り、爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。美しい所作で茶を注ぎ終えた藍玉は、きらりと目を光らせて紅焔を見た。


「それでは、早速本題と参りましょう。――旦那さまは、あなたを呪う怨霊が何者か、お心当たりはありますか?」



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