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7-6


「………ううん」


 桜色の唇から掠れた声が漏れ出て、薄紅の化粧が施された瞼がピクリと動く。


 次の瞬間、蘇凛風はぱちりと目を開いた。


「気が付きましたか」


「きゃあ!」


 藍玉が声をかけると、驚いたのか凛風は可愛らしい悲鳴をあげて縮こまった。小動物を思わせる仕草に、藍玉も思わず苦笑した。


「慌てる必要はありませんよ。ここは本殿の控えの間。園遊会で倒れられたあなたを、旦那様……陛下が命じて、こちらに運ばせました。あなたの侍女も、襖の外にきちんと控えていますよ」


「そのお声は……春陽妃様!」


 恐る恐る藍玉を見た凛風は、先ほどとは違う意味で声を裏返した。盛大に慌てた彼女は、藍玉が止める間もなく体を起こして、床の上に平伏した。


「お許しください! 春陽妃様がおられるのに、私ときたら床に横たわるなんて……」


「ちょ、ちょっと。そんな急に動かないでください! ……って、そうでしたね。私は対外的には、今上(きんじょう)陛下の唯一の妃でした。そんなのが起きぬけに枕元に座っていたら、落ち着くものも落ち着けないというのが人の世の理ですね」


 ひとりで勝手に納得した藍玉は、ぶつぶつと呟き頷く。それから、よく聞こえずに困り顔をしている凛風に向けて、藍玉はグッと親指を立てた。


どんと(・・・)うぉーりー(・・・・・)です、凛風様。私は宮中文化に基づく上下関係を気にしませんし、緊急時にはそうした文化は崩れるものです」


「どん……? 申し訳ありません、春陽妃様のお言葉が難しくて……」


「気にしないでください。旧北朝領の訛りみたいなものですよ。もっとも流行ったのは千年前ですが」


 ますます眉を八の字にする凛風に、藍玉はふいに真面目な顔を向けた。


「ところで。凛風様は、意識を失う前の出来事を覚えていらっしゃいますか」


「意識を失う前、…………あ」


 僅かに瞳を泳がせてから、凛風は表情を変えた。途端に顔を青ざめさせて震え出した彼女に、藍玉はそっと己の手を重ねた。


「申し訳ありません。もう少し落ち着いてから、思い出していただくべきでしたね」


「園遊会は、他の方はどうされたのですか?」


「中止となりましたよ。通常の招待客は解散となり、官人らは緊急に集められました。いまは、陛下の主導であの幽鬼にどう対処をするか議論中です」


「やっぱり、あれは幽鬼だったのですね……。では、あの人形(ひとがた)も?」


「幽鬼によるものです。でも、恐がらないで。私が傍にいる限り、あの幽鬼にあなたには指一本触れさせません」


「春陽妃様……」


 涙を滲ませる凛風からは、微かに呪いの匂いがする。


彼女からだけではない。自分たちがいる控えの間にも。日が傾きかけた外の空気の中にも。あるいは、藍玉自身からも。呪いの――華劉生の霊が放ったのと同じ匂いが、こびり付いて離れない穢れのように漂っている。


凛風を安心させるために微笑みながら、藍玉はぎゅっと、彼女に重ねたのと反対の手に力を込めた。


園遊会の中盤、昼餐会あとの笛と琴の演奏の最中に、皆の前に突如として現れた霊鬼。――見間違えようがない。あれは、華劉生だ。前世で藍玉が実の父よりも慕った大好きな叔父の、変わり果てた姿だった。


(どうして、劉生兄さまが、いまさら幽鬼になんて……)


 青黒く変色した細面と、一切の光を無くして澱んだ仄暗い瞳。それらを思い出して、藍玉はひとり唇を痛いほどに噛んだ。


 華劉生が死んだのは、母が呪いの化身に身を落とした、千年前のあの夜だ。いまだに信じられないことだが、劉生は大軍を率いて王都に攻め上がり、捕らえた母を処刑した。処刑した直後、妖狐の力を解放した母に殺された。


 まことしやかに伝わるそれらが、真実かはわからない。だが事実として、母は妖狐の力を暴走させて呪いの化身となり、王都にいた人々は呪の炎に撒かれて死んだ。死んだ人々は、炎に取り込まれて呪いの一部になった。華劉生の魂も、そうして燃えつきたはずだ。


 なのに、なぜ。どうして千年も経った今、劉生の幽鬼が現世を彷徨っている?


(劉生兄さまの気配を初めて感じたのは、梁大将の部屋で、子猫のミミに残っていた周光門の霊の匂いを嗅いだ時でした……。周光門の霊が本当に劉生兄さまだったとして、どうしてその頃から急に兄さまの霊が現れたの?)


「春陽妃様?」


 凛風に呼ばれて、藍玉は我に返った。長く黙り込んでいたせいで、凛風を不安にさせてしまったかもしれない。


 とにかく今は、目の前の彼女を安心させ、守り抜くのが先決だ。もしも、あの霊が本当に藍玉の知る華劉生だとしたら、劉生は自分たちに――――藍玉と紅焔、そして凛風の三人に、命を奪う呪いをかけたのだから。


「大丈夫ですよ、凛風様。大丈夫です」


 言い聞かせるように。あるいは自らに念じるように、藍玉は強く凛風に告げる。


「私が絶対に、呪いからあなたを守ってみせます」


 ――大好きな叔父に、二度と誰も傷つけさせない。


 藍玉はそう、自分に固く誓っていた。



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