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7-4



 皇帝への挨拶を終えた者たちが、それぞれの座に付く。最奥に皇帝と春陽妃が座り、連なるようにして高官らとその身内のものがずらりと並ぶ。


 さて、そろそろ膳が運ばれる頃合いといったところで、大臣らは違和感を覚えて顔を顰めた。


 皇帝と春陽妃の次に、高位の客人が座するべき場所が、空席のまま残っている。今日、その席を用意されたのは、現皇帝の甥である翔龍と、その母・麗鈴だ。


皇帝の実兄・焔翔が処された後、離宮に幽閉されていた公子とその生母が、焔翔の死後初めて天宮城に上がることを許された。その報せを、園遊会に集った中で知らぬ者はいない。


だというのに、なぜ公子と麗鈴は姿を見せないのだろう。席があるということは、予定通り、皇帝は二人を迎え入れるつもりだったということだ。


まさか、当日になって来訪を取りやめたのだろうか。いや。そんなことはありえない。皇帝の情けによって生かされているにすぎない二人が約束を齟齬にするなど、あまりにリスクがありすぎる。


――そんな高官らの動揺を笑い飛ばすように、ついに、その人物らは門のところに姿を見せた。






 ようやく現れた二人の人物に、紅焔は肘をついたまま目を細めた。


 先陣を切るのは小柄な少年だ。――小柄といっても、最後に見たときよりは随分と背が伸びた。整った鼻筋に、やや緊張の滲む桜色の薄い唇。利発そうな緋い大きな瞳は、よく見れば亡き兄によく似ている。


 李翔龍。近々十歳になる、紅焔の甥だ。


 その翔劉に寄り添う麗人がひとり。軽やかに、朗らかに。まるで春風を纏うように、その女は微笑み、歩く。


 彼女の名は麗鈴。故・焔翔の妻であり、旧西朝時代から李家と密接なつきあいのある氾家の女だ。一時期は、すでに他界した紅焔らの母にかわり、宮廷の女をまとめいたこともある。


「あれが、麗鈴様か」


「相変わらず、なんと麗しい……」


「翔龍様を見ろ。お顔立ちは、母君そっくりではないか」


「あの目元は父君の……。なんと立派になられて……」


 ひそひそと、高官らの囁きがさざなみのように空気を揺らす。けれども、公子に付き従う麗鈴に、高官らの声を意に介する様子はない。まるで菩薩のように微笑み、悠然と紅焔らの座る最奥へと歩みを進める。


 変わらない――。そんな感想を、紅焔は彼女に抱いた。


 藍玉が月明かりに照らされ凛と咲く一輪の大花とするなら、麗鈴は青空の下で花弁を揺らす美しい枝垂れ桜だ。


 明るく、淑やかで、誰もを受け入れるような柔らかな笑みで皆を虜にする。それでいて、風に乗ってどこかへ消えてしまいそうな儚さもある。


 そんなアンバランスな美しさとは裏腹に、うまく夫をたてつつも尻に敷く強かさもあるものだから、生前の兄は麗鈴に頭が上がらなかった。


 紅焔自身、幼い時分は麗鈴に淡い憧れのような感情を抱いた。


「……なさま。旦那さま」


 藍玉に囁かれて、紅焔は我に返った。一瞬、自分が李家の次男坊でしかなかった頃の記憶に呑まれた心地がしたのだ。


 瞬きをして見下ろせば、いつのまにか翔龍と麗鈴がすぐ下に跪いていた。軽く首を振って、紅焔は二人の頭に声をかけた。


「許す。面をあげよ」


「ありがとうございます」


 翔龍が答えて、顔を上げる。まっすぐな瞳に、紅焔への嫌悪の色はない。まだ幼い少年の顔を見据えて、紅焔は声をかけた。


「ひさしいな。息災にしていたか」


「はい! 本日はお目通りをお許しいただき、深く感謝いたします。また遅くなりましたが、春陽妃様をお迎えされたこと、誠におめでとうございます」


「なるほど。外見だけではなく、中身も随分と成長したらしい。これなら、そなたとこれからの我が国の発展について、熱く意見を交わせる日も遠くなさそうだ」


 敢えて声を張って紅焔が告げれば、高官らの間にわずかにざわめきが起こる。


 それでいい。血染めの皇帝は、かつて己の命を狙った男を許し、その子供を今後は取り立てるつもりだ。そう印象付けるために、翔龍の登城を許したのだから。


(こんなことが、兄への罪滅ぼしになるわけでもないが……)


 心の中で独りごちて、紅焔は翔龍の隣、いまだ顔を上げずに跪く麗鈴に顔を向けた。


「義姉上も……。昔と変わりなく、あなたは美しい」


 肩がぴくりと動き、麗鈴がゆっくりと美しい面差しをげる。長いまつ毛に縁取られた目と視線が交わった時、紅焔は初めて、自分が彼女と言葉を交わすことに緊張していたのだと気づいた。


 しかし、一瞬気後れしかけた紅焔をよそに、麗鈴は昔と変わらぬ笑みを見せた。


「もったいない褒め言葉ですわ。陛下は、女を喜ばせる言葉が随分とお上手になられましたね」


「そうだろうか。思ったまでを口にしたまでだが……」


「春陽妃様を迎えられて、お変わりになったのでしょうね。陛下と春陽妃様の仲睦まじさは、離宮にも聞こえておりましたから」


 くすくすと、小鳥が囀るように麗鈴が笑う。それだけで、あたりを春に咲く薄紅色の花が咲き乱れたような錯覚に陥る。


 園遊会に集った者たちがほう……と見惚れる中、麗鈴は改めて深く拝礼した。


「陛下。今日までの公子様へのご温情、そして本日登城をお許しくださったこと、私からも深く御礼申し上げます。公子様も、私も、ご恩に報いるため貴方様に生涯お支えすることを約束いたします」


(……さすがだな)


 瞳を伏せて真摯に答えを待つ麗鈴に、紅焔は感心すると共に、懐かしさを覚えた。


 彼女は賢い。自分の容姿が周囲に与える印象も、皆がどんな言葉を待ち望んでいるかも、この会談の重要度も、何もかもを正しく把握している。


 把握した上で、演じているのだ。忠実な臣下として振る舞うことで、我が子の未来を守るために。


(ならば、演じよう。俺も)


 あなたが、それを望むのなら。


 紅焔は頷き、二人に手を伸ばした。


「私も、そうなることを望んでいた。今日はその祝いだ。存分に楽しみ、寛いでいくといい」


「お心遣い、感謝いたします」


 もう一度拝礼して、二人は皇帝の前を辞した。麗鈴らはそのまま、用意されていた席に座る。これで全ての参列者が揃ったわけだ。


 席が埋まったのを見計ったように、鮮やかな衣を纏った見目麗しい若者らが中央へと進み出る。園遊会の開幕を彩る、剣舞を披露するのだ。


 ここから先はしばらく演目が続き、そのあとには昼餐が控える。皇帝である紅焔も、それらを見守るばかりだ。


 ホッと息をついた紅焔は、ふと、隣の藍玉が何かを考え込むような顔をしているのに気づいた。


「どうかしたか?」


 そっと囁くと、藍玉はぱちくりと瞬きした。


「え?」


「え?じゃない。何やら難しい顔をしていたが、気になることでもあったか?」


 紅焔が重ねて問いかけると、藍玉は珍しく誤魔化すように軽く笑った。


「いえ。なんでもないです」


「そうか? そうは見えなかったが」


「いいじゃないですか。ほら。剣舞を見ましょう。皆さん、今日のためにたくさん練習してきたのですから」


「……君が見たいなら、構わないが」


 ――しぶしぶ前を向き直った紅焔は、ちょうど大技を決めた剣舞に気を取られた。だから、紅焔が目を離した途端、再び藍玉が表情を曇らせたことに気づかなかった。


 周囲に悟られぬよう、藍玉は紅焔ごしに、ちらりと先ほどの二人を――麗鈴と翔龍を盗み見る。


 翔龍はおそらく初めて見る剣舞に目を輝かせ、麗鈴はそんな我が子を微笑ましく見守っている。


 そんな穏やかな光景を前にして、藍玉はぎゅっと、紅焔に贈られた衣の裾を握った。


(気のせい……ですよね?)


 確証がない以上、紅焔に告げることもできない。それでも、どうしても先ほどの違和感が棘のように刺さって消えてはくれなかった。



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