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7-3


「あそこまで見せつける必要、ありました?」


 園遊会の参加者たちが、順番に皇帝と妃に挨拶をする、その合間で。ちょうど順番待ちが途絶えたところで、隣の藍玉がちらりと紅焔に視線を向けた。


 それに、前を向いたまま紅焔は答える。


「見せつけるって、なんのことだ?」


「わかっているくせに。旦那さまの寵愛(笑)(かっこわらい)のことです」


(笑)(かっこわらい)とか言うな。世界観が崩れる」


「せっかくおめかしをして天宮城まで来たのに、かわいそうに。会場を出て行ってしまった女の子たちに至っては、顔を真っ赤にして涙目でしたよ」


 ちくりと責めるような声音に、紅焔もムッとして傍らの藍玉を見た。けれども、不用意に藍玉を見てしまったことを、紅焔はすぐに後悔する。


「? どうしました? 私を見たまま、固まったりなんかして」


「いや。なんでもない」


 不思議そうに眉根を寄せる藍玉から、紅焔は慌てて目を逸らす。――正妃の証しである深紫の衣は、藍玉の新雪のように白い肌によく映える。衣装係の侍女もそれをよく心得ているようで、彼女の大きな瞳を縁どる化粧にも、淡く紫の色が差されている。

 

 そうやって、皇帝の――自分の色に染められた彼女の姿は、思いのほか――まったく予想していなかったほど、気分がいい。まさか自分の中に、こんな独占欲めいた熱が隠れていたとは露知らず、紅焔は人知れず恥ずかしさを覚えた。


 気を取り直すべく、紅焔はコホンと小さく咳払いをした。


「……今は、君以外に妃を取るつもりはない。大臣や将軍たちも、今日の君を見てそれを再確認したはずだ。そうすれば、結果的に彼女たちも、家の者たちから無用な期待を押し付けられずにすむだろう?」


「はたして、大臣たちが諦めるでしょうか。血縁者から妃を出すのは権力者にとって悲願ですよ。その娘が皇子を産んで、皇帝の母になるかもしれないのですから。旦那さまが私を寵愛してようがしてまいが、なんとしても一族の娘を妃にしようとするものではないですか?」


「だとしても、曖昧な態度をとるよりはいいだろう。俺が春陽妃以外に興味がないと示しておけば、彼女たちに『自分に魅力がないせいだ』などと思わせずに済む」


「随分と見事な気遣いですね。……あんなに思わせぶりな態度をしておいて、数週間、ただの一度も顔を見せなかった方と同一人物とは思えません」


「っ、!」


 不意打ちをくらった紅焔は、思い切りむせた。隣を見れば、藍玉はツンと澄ました顔でそっぽを向いている。


(やっぱり、怒っているのか……?)


 やらかした自覚しかない紅焔は、皇帝の威厳に満ちた装いの下でじわりと汗をかいた。


“私と旦那さまは…………紅焔様は、これでも夫婦(めおと)なのです。夫なら、少しは妻に弱みを見せてくださってもよろしいのではないですか?”


 あの夜、初めて名を呼ばれ、藍玉のほうから一歩近づいてきた。飄々としているように見せかけて、いつも狐の娘として一線を引いてきた彼女が、初めて自分で一線を飛び越えてきてくれた。


 その喜びに、一瞬、理性が飛びそうになった。もし、自分たちを探しに来た宗と出会してなければ、自分はあのまま藍玉の唇を奪っていただろう。


(口付けどころじゃない。下手したら、俺は……)


 うっかりその先を想像してしまった紅焔は、慌ててガシガシと首の後ろをかいた。


 なんにせよ、あの夜、自分たちは明確に契約を踏み越えそうになった。しかも思い返せば、紅焔ひとりが勝手に盛り上がり、戸惑う藍玉に迫ってしまった……気もする。


 いや。考えれば考えるほど、そうとしか思えない。これは年長者の意地という意味でも、男の沽券という意味でも由々しき事態だ。なにより感情に流されて己の欲を押し付けるなんて、紅焔の矜持に反している。


 紅焔は大いに反省した。次会うときは契約夫らしく、妻との距離を正しく守らねばならないと決意した。……結果、自信が持てなかった紅焔は、今日まで藍玉との接触を避けていた次第である。


 実際のところ、また先日のような空気になったら、自分が何をしでかすかわかったもんじゃない。園遊会まで彼女と直接会うのを避けてきたのは、やむを得ないことである。


 けれども、せめて文か何かで弁解のひとつでもしておくべきだった。ご機嫌斜めな藍玉を前にした途端、そのような不安に襲われる。周光門の幽霊の件では何度か文を交わしたのだから、機会はいくらでもあったのに。


(といって、わざわざ文を送るのも、変に大事(おおごと)にするかもしれないと気後れしてしまったが……。完全に判断ミスだったか……?)


 単に、あの夜のことに触れる勇気が持てなかったことを棚にあげて、紅焔は首を振る。


 なんにせよ、これから園遊会だ。リアルの二人がちょっぴり気まずかろうが、今日は出席者たちに、皇帝から唯一の妃への寵愛を見せつけるという重大ミッションがある。


 このあとの溺愛演技(・・・・)に支障が出ないように、憂いは晴らしておかねばならない。意を決して、紅焔は隣の藍玉に向けて口を開こうとした。


 けれども紅焔が何かを言うより先に、藍玉がポツリと呟いた。


「人間の世は、女には苦しいですね」


 前を向いたまま、ふとこぼれ落ちてしまったような声で、藍玉はそんなことを言う。彼女の視線の先では、両脇にずらりと並ぶ華やかに着飾った出席者たちが談笑している。


 瑞国中の華を集めたような空間で、なぜか藍玉は、世界に取り残されてしまったかのような目をしていた。


「前世の私は、どうして後宮の女たちが母を目の敵にするのかピンときませんでした。母が辺境の出だから、田舎者と軽んじているのだと、そう腹を立てていました」


 けど、そんなの理屈のひとつでしかなかったんですね、と。ふわりと肌を撫でる風に乗せて、藍玉は続ける。


「理由なんてどうでもよかった。理屈なんて、後でいくらでもつけられた。あのひとたちを突き動かしていたのは、もっと根源的なもの。――たった一言で表すのは難しくて。そのくせ胸を焼き尽くすほどに激しくて。名前をつければ陳腐になってしまうそんな感情に、あのひとたちは呑まれていたんですね」


 なんと返せばわからず紅焔が戸惑っていると、藍玉がちらりとこちらを見て苦笑した。


「旦那さまがいない夜に、考えてみたんです。蘇芳帝を待ちながら、他の妃は何を思っていたのだろうと。怒りと、屈辱と、惨めさ。それらの根底にあっただろう悲しみは、如何程のものだったのだろうと」


 きまり悪く、紅焔は眉を顰めた。顔を赤らめて退席した美月姫や、好奇の目にさらされても気丈に前を向き続ける凛風姫のことが瞼の裏をチラついたからだ。


皇帝という立場上、紅焔は女たちの人生に影響を与えてしまう。今日だって、紅焔の意思とは関係なく、妃候補として多くの娘が連れてこられた。後宮で飼い殺しにされてはいないだけで、彼女たちもまた、家の期待と重圧に潰されそうになりながらここに立っている。


以前から薄々感じていたことだが、紅焔は思い切って尋ねた。


「嫌いか? 人間(ひと)の世が」


「もちろん嫌いです。前世から含めて、一度たりとも好きだと思ったことはありません」


 強く首を振ってから、藍玉は再び澄んだ目で集まった人々を眺めた。


「だからこそ、不思議なのです。人の世の哀しさも、醜さも、母は私よりもよほど見えていたはずです。それでも母は、人の世を捨てなかった。……皇帝を愛していたとしても、たったそれだけですべてが許せるものでしょうか? 私には、とてもわかりそうにない」


 そう呟いた藍玉の瞳は、皇帝の唯一の妃として羨望の眼差しを集める女には似つかわしくなく、寂しげだった。


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