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初夏の園遊会。天宮城でそれが催されるのは、実は、紅焔が即位してからは初めてである。
二年前は父から皇帝の位を奪ってすぐで、それどころではなかった。一年前は、都の一部で大雨による水害があり、その整備を優先させた。国内の要人が一堂に会する盛大な宴にも関わらず、空白の期間があったのはそれが理由だ。
そのためか。もしくは妃がひとりしかいない皇帝に娘を売り込むためか。はたまた園遊会に麗鈴姫と翔龍公子が姿を見せるとの情報が広まったためか。どのような思惑にせよ、出席者たちは並々ならぬ関心を園遊会に寄せていた。
今年の園遊会は、何かが違う。この日は、皇帝・紅焔の御世を決定する一日となる。言葉に出さずとも、誰もがそんな期待を胸の底に抱いた。
事実、その年の園遊会は、紅焔にとって忘れられない一日となった。
花が咲き乱れ、あでやかな管楽器の音色が青空まで吹き抜ける。
その日、頻繁に宮中行事が催される外廷の大広場には、瑞国の中枢を担う文官や武官を含める多くの要人たちと、その血縁者が集っている。
「これほどの規模とは……」
「これぞ、楽江統一を成し遂げた大国の宴にふさわしいですな……」
行事式典用の華やかな装いに身を包んだ大勢の客人たちに、出席者たちは自然にそんな言葉を交わし合う。
特に華やいで見えるのは、色とりどりの着物や簪で美しく着飾った娘たちだ。彼女たちは文官なら大臣以上、武官なら将軍クラスの高官らの血縁者である。後宮が盛大に妃を迎え入れていたら、高級妃としてとっくに皇帝の寵愛を受けていてもおかしくない娘ばかりだ。
「見ろ。あちらは蘇大臣の息女、凛風姫じゃないか」
「桃源郷の天女とも言われる、あの!」
「それを言うなら、あちらは張将軍の娘、美月姫ではないか」
「なんて愛らしい。名前の通り、地上に舞い降りた月の精霊のようだ」
「なぜ陛下は、あんなにも美しい女たちを後宮に迎えないのだろう」
娘たちの華やかさに目を惹かれる反面、若い文官たちからはそんな疑問が飛び出す。文官たちがチラチラと視線を向ける先、ひときわ豪奢な皇帝の座には、すでに若き皇帝・紅焔が座っている。
今日の皇帝は、式典用の深紫の衣を纏っている。衣から覗く肌は雪のように白く、切れ長の目から覗く真紅の瞳がぞくりとするほどに美しい。いつものことながら、同じ男であっても息を呑んでしまうほどの色気だ。
あれほど眉目秀麗な容姿で、若く才覚に溢れ、極め付けは皇帝だ。彼自身が特別何かせずとも、女の方から喜んで身を捧げたくなるような男だ。だというのに、皇帝が一向に後宮に女を呼び寄せようとしないことが、若い文官たちには不思議でならない。
しかし、そんな疑問はすぐに吹き飛んだ。
瑞国中の美しい女が揃ったような広場にいながら、皇帝は興味がなさそうに肘掛けにもたれていた。そんな彼が、何かに気を引かれたように顔を上げる。
つられてそちらを見た文官たちは、思わず感嘆の呻き声をあげた。
そこにいたのは、一人の女だ。園遊会に集ったどの女よりも堂々とこの場に立つ彼女は、春陽妃・藍玉。現状、ただひとりの妃として後宮に入り、皇帝のそばに侍ることを許されている。
その春陽妃が纏うのは、銀糸の刺繍が入った深紫の衣だ。式典における紫は、皇帝とその正妃だけが身に着けることを許された色である。現時点で皇帝の唯一の妃である春陽妃がそれを纏うことに不思議はない。
けれども、その衣が皇帝から贈られたものだという事実が、この場では重要な意味を持つ。
「なるほど。陛下は、春陽妃様こそが自分の妃だと、皆に示しておられるのだ」
「春陽妃様以外に、後宮に妃は必要ないとも仰せなのだろう……。これは、血縁の娘を連れてきた高官たちには、かなり痛手だろうな」
先ほどまでの羨望の眼差しとは打って変わって、憐れみと好奇の入り混じる視線が妃候補たちに向けられる。本人たちも皇帝の意図を理解したらしく、中には屈辱に顔を赤らめる娘もいた。
さて。そんな出席者たちの視線をものともせず、春陽妃・藍玉は涼しい顔で皇帝のもとへと真っすぐに足を向ける。迎える皇帝も、先ほどまでの無関心な様子が嘘のように、己の妃が近づくのを見守っている。
そうして皇帝の前に立った美しい妃は、無駄のない動きで膝を折った。
「お待たせいたしました、陛下。お隣、失礼してもよろしいでしょうか」
「かまわない。……今日の君は、とりわけ美しいな」
「陛下が私のため、用意してくださった衣ですもの。飾り立ててくれる、侍女たちにも気合が入るというものです」
薄水色の聡明な瞳に皇帝を映し、春陽妃は美しく微笑む。それにつられたように、皇帝も表情を和らげた。普段は冷ややかな緋色の瞳がそっと慈しむように春陽妃に向けられるのを見て、参加者たちは思わずほぅ……と見惚れてしまう。
「これはもう、勝負ありじゃないか」
「凛風妃や美月姫も気の毒に。せっかく父親に連れられてきたのに、無駄足に終わったな」
「陛下が彼女らを後宮に迎える気がないというのなら、他の男にも求婚する権利があるということだ。我々としては、そこを喜ぼうじゃないか」
くすくすとそんな言葉が囁かれる中、美月姫は屈辱に耐えきれなかったらしく、父親が止めるのも聞かずに園遊会の広場から立ち去ってしまった。他にも何名かが同様に会場をあとにしたが、凛風姫などは淑女らしくその場にとどまった。
春陽妃が隣に並んだのを確認してから、若き皇帝は立ち上がって、よく通る声で皆に告げた。
「今日はよく、この場に集まってくれた。――二年ぶりの園遊会だ。よく食べ、よく飲み、今日という宴を盛大に楽しもうではないか」
そうして、皇帝・紅焔の代になって初の初夏の園遊会は、つつがなく始まった。




