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「幽霊に決まってるじゃありませんか!」
ひと通り紅焔の話を聞いた藍玉は、目を輝かせてそう叫んだ。
時刻は夜。春陽宮に渡って夕餉を共にする傍ら、さっそく紅焔は、丞相から聞いた話を藍玉に伝えたのだ。
盃の酒をちびりと舐めながら、紅焔は眉根を寄せて少しばかり抵抗した。
「やはり霊の仕業……なのだろうか」
「雨の季節に、謎の足音。加えて、普段健康な人が突然の体調不良。これだけ揃って、幽霊じゃないわけがありませんよ」
「なんで、そんなに嬉しそうなんだ」
「だって私、鬼通院での幽霊騒ぎでは見せ場なしだったじゃないですか。オカルト専門の契約妻としては、ひさしぶりに腕の見せ所です!」
言葉通り、藍玉は着物の裾をめくって意気揚々とはしゃいでいる。そういえば彼女は、霊付きの髪飾りを見せた時にも、同じように目をキラキラさせていた。
(さてはこいつ、阿美妃がどうとか抜きに、オカルトの類が普通に好きだな?)
霊のことを丁寧に調べたり、原因がわかればすぐに霊を解放してやったりと情はあるようだが、それをそれとして謎解きを楽しんでいるといったところか。
まあ、惚れた女が元気なのはいいことだ。そう肩をすくめた紅焔は、盃を傾けて空にしてから立ち上がった。
「では、俺は護衛武官の詰所に行ってくる。君は先に寝ていてくれ」
「え! それ、梁大将の様子を見に行くってことですよね。私も行きます」
「ダメだ。こんな夜更けに、男だらけの詰所に足を運ぶ妃がどこにいる」
「えー。行きます。行きたいです。言いましたよね、せっかくの腕の見せ所だって。本当に幽霊の仕業なら、私がご一緒したほうが絶対いいですよ」
「ダーメーだ」
紅焔が頑として譲らないと、藍玉は「むう」と頬を膨らませる。正直、かわいい。
(かわいい……じゃなくて)
つい絆されてしまいそうになるのをなんとか堪えて、紅焔は年長者らしく藍玉を宥めた。
「とにかく、まずは俺が様子を見てきて、わかったことがあったらまた教えるから。それでいいだろ?」
「…………はぁい」
「永倫の様子によっては、遅くなるかもしれない。朝の朝にはきちんと報告するから、俺の帰りを待ったりするなよ」
そう言い置いて、紅焔は襖を開ける。侍従たちには、今夜は春陽宮に泊まると伝えていたから、外には誰もいない。紅焔は灯りを手に、春陽宮を出て紫霄宮近くにある護衛武官の詰所へと足を向けた。
(そういえば、俺から永倫を訪ねるのも、随分ひさしぶりだ)
ひさしぶりどころか、皇帝になってからは初めてかもしれない。なにせ、紅焔が即位するのと同時に永倫は護衛大将となった。交代の時を除けばほとんどの時間を紅焔のそばに彼はいた。
……いや。よく考えてみれば、もうずっと前から紅焔の隣に永倫はいた。永倫が紅焔の従者兼用心棒となったのは、紅焔が七歳、永倫が八歳の春。梁家の四男である永倫が、李家に奉公に出されてからの付き合いだ。
奉公と言っても、あの性格だ。明るく愛嬌があって、誰とでもすぐ仲良くなる。それで李家の家臣にも大層気に入られ、周囲に可愛がられながら伸び伸びと育った。
紅焔にとって永倫は、兄弟のようでもあり、無二の親友でもある。昔からあれこれと難しく考える質である紅焔には、永倫のあっけらかんとした様が逆に心地よかった。成人して大軍を率いて戦場を駆けるようになってからも、何度、永倫の太陽のような明るさに救われたか知れない。
そういう相手だからこそ、藍玉のことをどう打ち明けるべきか紅焔は頭を悩ませていた。
(香藍玉が普通の女ではない。最近の永倫は、薄々そのことに勘付いていそうなんだよな)
皇帝の来訪に気付き、慌てて門番二人が姿勢を正した。彼らに訪問の理由を伝えた紅焔は、敷地の左、護衛武官らが寝泊まりする寮の最奥にある護衛大将の居住部屋を目指す。
その道すがら、若き皇帝は額に手を当てて顔をしかめた。
ひとつ目の狐の事件の時、紅焔は永倫にだけは、藍玉を連れて城下に出ることを伝えていた。しかも藍玉の術により天宮城に飛ばされた際も、直後に彼と遭遇してしまった。
あの時、紅焔が語りたがらないのを汲んで、永倫は強くは追及してこなかった。けれども、首の痣や斬られた衣、なにより共に城下におりたはずの妃の姿が見えないことから、紅焔と藍玉の間に何かがあったことを勘付かせてしまった。
証拠に、あの夜以来、永倫が藍玉に向ける目にはかすかに警戒の色が滲んでいる。
(だからこそ、本当に永倫が霊を連れ帰ってしまっていた場合、どうやって霊を祓うかが問題なんだよ……)
藍玉にはああいったが、彼女をこの場に連れてくる方法はいくらでもある。しかし、無事に霊を祓ったあとには必ず、「なぜ香家の娘にそんな力があるのか」と永倫は聞いてくるだろう。
紅焔としては、永倫にはいずれすべてを正直に打ち明けたい。けれども、その好機は絶対に今日ではない。秘密を共有するには藍玉の了承を得なければならないし、反対するであろう玉や宗の説得も必要だ。
といって中途半端に誤魔化せば、永倫の藍玉への疑心をますます強めることになるだろう。まさに八方塞がりである。
(二人を引き合わさずに解決する道はないかと、今夜は苦し紛れにひとりで来てみたが……。一二を争う状況であれば、いよいよ腹を括らねばならないな)
そうこうしているうちに、永倫の居住部屋はもう目の前だ。門兵によれば、永倫は今日も部屋の中で一日臥せっている。日が落ちてそこそこ立つし、すでに床にはいって眠っているだろう。
何はともあれ、永倫の様子を探るのが先だ。戸ごしに声をかけて、起きていたら直接話を聞いて。眠っているようなら霊を示すものがないかだけ調べる。
そう心に決め、紅焔は部屋の中に呼びかけようとした……が。
「へーえ。梁大将って、ここに部屋を持っているんですね」
「!?」
悲鳴をあげそうになって、紅焔は慌てて両手で口を塞いだ。
なぜ、誰もいないはずの真後ろから声が。
というか、なんだ、この聞き馴染みのありすぎる声は。
まさかと思って振り向いた紅焔は、やっぱりそこにいた人物に、声を押し殺したまま叫ぶという器用なことを成しとげた。
「本当に君は……! なんでそこにいるんだ、藍玉!」




