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(この部屋、禁書庫と同じ……?)
扉の向こうにあったのは、先ほどまで紅焔がいたのと同じ、ぐるりと本棚に取り囲まれた真ん中に木の机がある小部屋だ。唯一違いがあるのは、紅焔がいるのと反対側にも扉があることだが、それ以外は禁書庫と瓜二つと言える。
どう考えても妙だ。案内されたとき、禁書庫の直前にあったのは、高い本棚に両側を挟まれた細長い部屋だったはずだ。
「宗! ……隠れたあとか」
振り返って禁書庫に呼びかけてみるが、すでに妖狐の姿はない。仕方なく、紅焔は隣室に足を踏み出す。
見れば見るほど、そこは禁書庫と同じだ。部屋の作りどころか、机の上に積まれた書物までもが全く同じだ。
一番上にあるのが、つい先ほどまで目を通していた書物だと気づき、紅焔はゾッとした。
「春明! いないのか?」
声をあげてみるが、返事はない。気は進まないが、紅焔は部屋の反対側の扉を開けてみることにする。
幸い鍵はかかっておらず、扉はあっさりと開く。そのことに安堵したのも束の間、目に飛び込んできた光景に、紅焔はついに舌打ちをしてしまった。
「くそ、やっぱり同じ部屋か」
足早に部屋を突っ切り、扉を開けた先にも同じ部屋。そのまた次の扉の先も、同じ部屋。試しに五回ほど繰り返してみるが、結果は変わらない。扉の先には、最初に自分がいた禁書庫と瓜二つの部屋が続いている。
自分は、なにやら超常的な現象に巻き込まれてしまったらしい。そうすぐに納得できてしまう程度には、紅焔も場数を踏んできてしまった。
問題は、この現象がいつまで続くのか。すなわち、本来あるべき空間――春明がいるはずの隣室に、どうやったら出られるかだ。
(落ち着け……。この現象には理由があり、引き起こしている何者かがいるはずだ)
呪いか。悪霊か。はたまた妖怪の悪戯か。可能性は低いが、鬼通院の呪術師による犯行という線もゼロではない。
いずれにせよ、この現象から抜け出すには、誰が何のために紅焔を閉じ込めたのかを知る必要がある。
(一度、最初の部屋に戻って宗と合流すべきか? ……いや。こうなると、通り抜けてきた扉を戻っても、本物の禁書庫に戻れる保証もないしな)
であれば、前進をし続けたほうがまだ、外に出るための手掛かりを見つけられる可能性がある。意を決して、紅焔は次の扉も押し開けることにした。
しかし、次の扉を開いたとき、紅焔はギョッとしてその場でタタラを踏んだ。
隣室――またしても禁書庫だが――には、先客がいた。
先客といっても、相手は春明ではない。こちらに背を向けて佇んでいるから顔はわからないが、春明とは背の高さも、身につける服も異なる。
じゃあ誰だと考えて、紅焔は戸惑った。今日は紅焔が来るため、他の呪術師は書庫に入らないよう伝えてあると春明は話していた。
なんにせよ、この男は、まるであわせ鏡の中の世界のように無限に続く禁書庫の並びにおいて、初めて生じた「変化」だ。相手が人間であれ怪異であれ、このまま無視するわけにはいかない。
「おい」
意を決して声をかけた紅焔に反応して、深い青の衣を纏った小柄な背中がぴくりと動いた。
その時、紅焔は本能的に、相手が人間ではないことに気づく。しかし時すでに遅く、長い間停止していたカラクリ人形が息を吹き返すように、男はぎこちなく振り返る。
振り返った男の顔に常闇のように暗く落ち窪んだ双眼を見た時、紅焔はヒュッと腹の底が冷える心地がした。
『――ギィ………ェェエエエエアアアアア!!』
永遠のような一瞬ののち、悪霊は耳をつんざくような叫び声をあげて、紅焔に飛びかかった。
とっさに反応できなかった紅焔の目を抉り出そうとするかのように、悪霊の骨と薄皮だけの細く鋭い指の先が迫る。
やられる。そう遅れて恐怖した刹那、何者かに首根っこをぐいと引っ張られた。
「――っか、何ボーっととしてんのさ!! あんた、殺されたいの!?」
まるで子猫を持ち上げるかのように紅焔を引っ張り、凄まじい速さで禁書庫から禁書庫へ空中を駆け抜ける小さな体に、紅焔は驚いて目を見開いた。
「宗!? お前、まさかずっと着いてきてたのか!」
「あったりまえでしょ! 姫さまに旦那さまのこと頼まれてるもん。こんな怪しい気配がビンビンにしてるのに、一人でホイホイ行かせるわけないじゃん!」
「そ、そうか。藍玉が……」
思わぬところで藍玉の自分への気遣いを知ってしまい、こんな時なのに紅焔はソワソワと頬をかく。
案の定、宗は、紅焔の様子に目を吊り上げた。
「鼻の下伸ばしてるところわるいんだけどさ。あんた、あの幽鬼と知り合い!? 鬼の形相で追いかけてきてるんだけど!」
そうなのだ。宗のおかげでからくも急襲を切り抜けた紅焔だが、状況は相変わらずよくない。先ほどの幽霊は長く伸びた髪を振り乱し、無数に連なる禁書庫を駆け抜ける宗と紅焔の後ろをぴたりと離れず追いかけてきている。
「……いや。おそらくだが、二十年前に地揺れで死んだという鬼通院の呪術師じゃないだろうか。身につけている衣が、入口のところに立っていた書庫係と同じだった」
「それがなんで、あんな殺気で追いかけてくんのさ!」
「知るか!! あの幽霊がそういうもんだからじゃないのか!」
言い合っている間にも、幽鬼の手が紅焔に迫る。骨ばった腕が伸び、鋭い爪が紅焔の服に食い込もうとする――。
だがその刹那、幽鬼の両側の本棚が、ドサドサと書物を落としながら崩れ落ちた。
『――――――ッッッ!!』
悲鳴をあげる間もなく、幽鬼は雪崩のように崩れる書物に飲み込まれ、そのまま本棚の下敷きになった。
唯一、書物の間から覗く細腕が何かを探すようにピクピクと動いたが、そのうち力を失ったように全くの沈黙となった。




