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鍵付き扉の中も、これまで通り抜けてきた書物庫の中とそう見た目に代わりはなかった。
あらかじめ、紅焔が求めるに近しい書物を選定しておいたのだろう。中央の木の机の上に、黄ばんだ書物の束がいくつか置かれている。
「これらを記したのは、阿美妃をここに封じた呪術師のひとりです。それ以前の記録は呪いの大火で全て失われてしまいました。そのため、いずれ阿美妃を本当の意味で祓うため、当時の出来事の詳細を後世に遺そうという動きがあったようです」
つまりは、これらの記述はあとから編纂されたものだ。真実が誤って記載されているかもしれないし、それが意図的な可能性もある。
それでも、口伝をまとめたにすぎない後世の歴史書よりはいくらかマシだ。紅焔はさっそくイスに座り、慎重に一番手近な書物に手を伸ばす。
その時、部屋の外から何かがバサバサと落ちる音がした。
「書物が崩れ落ちたのでしょうか……。念のため見てまいります」
「わかった。先に目を通していて構わないか?」
「もちろん、お望みのままに」
禁書庫を出て行きかけたところで、春明は思い出したように足を止めた。
「そうでした。仮に揺れを感じることがあれば、ただちに机の下に潜ってください」
「揺れ?」
「まれに阿美妃が荒ぶり、ここら一体に地震のような揺れを起こすのです。今から二十年ほど前には、倒れた書棚の下敷きとなり命を落とした者もいると聞いています」
そう忠告すると、春明はふわりと衣を翻して禁書庫の外に出て行った。
なんとなくピンときた紅焔は、何もない空中に向けて呼び掛けた。
「お前の仕業だな、宗」
一瞬の静寂。すぐにポン!と軽快な音を立てて、藍玉の双子の従者のひとり、化け狐の宗が姿を見せた。
「へへ、当然。うまくやったでしょ。あいつ、しばらく戻ってこないよ」
「お前は気配を消して盗み見る役だろ」
「いいじゃん。このほうがやりやすいんだから」
紅焔の苦言にも、宗は一向に悪びれない。そもそも宗は、事情があったとはいえ、一度は紅焔を殺そうとしたのだ。紅焔自身もう水に流したことではあるが、少しくらい気にするような姿勢を見せてくれてもいいのではないだろうか。
(狐の娘としての記憶を持って生まれただけの藍玉とは違って、玉と宗は純粋な妖狐だからな……)
基本的に、人間と狐は相いれないもの。正体を知られたら、ヤラれる前にヤる。そう割り切っているだろう相手に、謝罪を求めるだけ無駄だ。
紅焔は肩を竦めて、さっそく手元の書物をめくり始めた。
――最初に選んだそれに、紅焔がこれまで知りえた情報以上に大きな驚きはなかった。
反旗を翻した異母弟が蘇芳帝の首をはね、その足で阿美妃を拘束した。その三日後に阿美妃は処刑されるが、妖狐の本性を現して悪霊に転じ、楽江全土を呪うと共に王都を焼き払った。細かい表現は別にして、大きな流れは藍玉から聞いていたことと同じだ・
唯一収穫があるとすれば、阿美妃が蘇芳帝のために、呪いや祈祷の儀式を行っていた記録が残っていることだ。
阿美妃の伝承には生前から妖術に長けていたことを示すようなものが多い。阿美妃が蘇芳帝を「そそのかして狂王に至らしめた」と言われるのも、それが所以だ。
正直なところ、実際に記録を見るまでは、妖狐という正体から後で尾ひれがついた噂だと思っていた。しかし、こうして記載がある以上、妖術で蘇芳帝を支えたという点においては真実のようだ。
(しかも記録が正しいなら、阿美妃は嫁いですぐ、相当初期の頃から蘇芳帝のために呪力を用いて祈祷などの儀式を行っていたことになる)
蘇芳帝が狂王に落ちたのは晩年、彼が処刑される五年前からだ。その直前、阿美妃が助力していた頃の政策は、賢王としての蘇芳帝を象徴するようなものが多い。
楽江の歴史において史上初の、大河からの水路開拓という一大事業の立ち上げ。皇帝の威信を知らしめる、大規模な宮廷儀礼の整備。職人保護による青銅器技術の発展……。
華ノ国が滅んだために道半ばで潰えたものも多いが、先見の明ある優れた政策として、のちに起こった各国の王が取り入れ真似ている。
(制定された時期からして、あれらの政策は阿美妃が呪いにより蘇芳帝に助言したことにより、生まれたものだったんじゃないだろうか)
阿美妃が正体を隠したうえでそれらを請け負ったのか、蘇芳帝にだけは己の正体を明かしていたのかまではわからない。しかし、蘇芳帝の政策の大半が阿美妃の助力により生まれたものだとすれば、いくつか仮説が立てられる。
まず阿美妃。美しく才覚に溢れ、奇妙な呪術で皇帝を支える彼女は、称えられると同時に畏怖の目を向けられただろう。しかも彼女は、特に後ろ盾もない、前人未到の未開の地の生まれだ。まさか妖の類では……と、生前から気味悪がられたに違いない。
次に蘇芳帝。もともとの彼は取り立てて目立ったところのない凡庸な皇帝だった。そこに、阿美妃というイレギュラーが現れた。蘇芳帝は一躍、時代の先を行く政策を打ち出す賢王として称賛を浴びる。
しかし、それは彼にとって分不相応だった。身の丈の合わない力は蘇芳帝を驕らせ、同時に逃げようのない不安にとらわせた。その不安が彼に周囲を遠ざけさせ、しまいには側近らを理不尽に処刑するような凶行に走らせた。
(これが真実なら、随分と救いのない話だ)
阿美妃と蘇芳帝の出会いも、彼女が帝を手助けしようとしたことにも、なんら悪意はない。ただ細かな歯車の狂いで、国の崩壊まで転がり落ちてしまった。
とはいえ、阿美妃が史上最悪の怨霊と転じるには、何かが弱い。
たしかに、阿美妃は望まぬ結末に深く絶望しただろう。しかし藍玉によれば、彼女は壊れていく皇帝を引き留めようと必死だった。そんな彼女なら、楽江全土を穢す呪詛を待ち散らすより、皇帝を狂わせてしまった自分を責めるはずだ。




