5-2
(呪いを恐れるため、呪いを封じる呪術師たちも『穢れ』として同様に遠ざける……か。いかにも考え付きそうなものだ)
安陽の民は、阿美妃の呪いを恐れて鬼通院には近づかない。同じ理屈で、鬼通院の呪術師たちが都に下りてくるのも喜ばない。彼らが完全に独立した機関であり続けたのも、時の王が彼らと深くかかわろうとしなかったのも、そうした事情もあったのだろう。
「腹立たしくはないか?」
「はい?」
「そなたたちは、民を呪いから守る側の人間だろう。そのくせ呪いと同じように、この地に閉じ込められて悔しくないのか」
「はあ」
春明はしばし、純粋に驚いた様子でぽかんと紅焔を見た。遅れて、「ふふっ、ははは!」とこらえきれずに笑い出した春明に、紅焔は顔をしかめて謝罪した。
「すまない。お前が言うなと、自分で自分に突っ込んだところだ!」
「いえいえ。こちらこそ、時の王にそのように気遣われたことがあまりなかったもので……」
「だろうな。軽率な発言だったと反省している」
「とんでもありません。お心遣い痛み入ります」
春明はコロコロと笑うが、やらかした自覚しかない。仮にここに藍玉がいたら、「生真面目すぎるのも考えものですね」と、かなり冷めた目を向けられたことだろう。
一転してしかめ面で石段を上る紅焔にもう一度笑みを向けてから、春明は人差し指を頬にあててふむと考えた。
「では私も、お優しい陛下に甘えて、少々踏み込んだお返事を……。外界から切り離された生活というのも、案外気楽で悪くはありませんよ」
「というと?」
「おかげで千年、存続しております」
けろりと答えた春明に、今度は紅焔が虚をつかれる番だった。けれどもすぐに、さもありなんと苦笑する。
「確かにな。政変のたびに争いに巻き込まれていたら、少なく見積もっても五回は組織ごと解体されていた」
「それに頻繁に上り下りするには、やはりこの石段はきつすぎます」
「やっぱりきついんじゃないか」
「だからそう申し上げております」
言葉とは裏腹に、春明はあいかわらず涼しい顔をしている。
話をしているうちに階段の中腹を過ぎた。あともうひと踏ん張りだと、紅焔は自分を励ます。
――いや。紅焔が藍玉と成し遂げようとしていることに関して言えば、自分たちはようやく出発地点に立てたばかりだ。
阿美妃がなぜ史上最悪の呪いを生み出すことになったのかは不明だ。当然、彼女を呪いから解放する方法もわかっていない。
いずれ、春明ら鬼通院には協力を仰ぐ必要があるが、彼らとの関係づくりもこれからだ。
まさに前途多難。目の前の石段と同じく、見えているようで、頂上がいつまでも遠い。
そうだとしても、目の前のことを一歩ずつ。
(まずは今日、どこまで情報を得られるかだ)
重くなりつつある足を気合で持ち上げ、紅焔はまた一段上へと石段をのぼった。
石畳を上った先は、圧巻だった。
石段の下からも見えていた物々しい二重門を抜けると、正面に本殿が見える。これは阿美堂を覆うように後から建造されたものであり、阿美妃の封印をより強固なものとしている。春明たち呪術師が祈禱を行う祭壇も、この中にあるそうだ。
右手には彼らの修練場と、太古からの知識を納める書物庫がある。そこから裏手に回っていくと、呪術師たちの居住社や畑、備蓄庫があるそうだ。
予想以上のしっかりした造りに、紅焔は素直に感嘆した。
「見事だな。名のある寺院と比べても見劣りしないようだ」
「我々の中には、建築の知識を持つ者もおります。長い年月をかけて、コツコツと増築や修繕を重ねてきたのですよ」
言いながら、春明は紅焔たち一行を本殿の右手に佇む書庫へと連れていく。あらかじめ、紅焔が打診していた通りだ。
書庫といっても、本殿に次いで何かを祀っていると言われても信じてしまうような、立派な建物だ。分厚く重そうな扉の前まで来ると、ほかの呪術師や護衛武官たちを外に残し、紅焔と春明だけが中に入る。
窓がほとんどないためか建物の中はひんやりとしており、古びた書物の湿った匂いが鼻をくすぐった。
「阿美妃が封じられた当時の記録に直接目を通されたい。それが、此度のご来訪の目的でございましたね」
「ああ、そうだ」
春明の確認に、紅焔は頷く。
春明には、先日のひとつ目の狐の騒動を受けて、阿美妃の呪いや成り立ちについて詳細を知りたいのだと伝えてある。何か別の目的があることは勘づいているのだろうが、春明はあっさりと今日の来訪を了承した。
紅焔が頷くのを横目で確かめ、春明は慣れた足でスイスイと奥へと進む。
「当時の記録は、限られた者しか入ることを許されない禁書庫の中にございます。なにぶん、千年近く前の貴重な記録です。万が一にも失われることがないよう、厳重に保管しているのです」
「私がそこに入っても構わないのか」
「もちろん。貴方様は楽江全土を治める天子であらせられます。我らが特殊な立ち位置にいるとはいえ、我らの成り立ちを知りたいと望んでいただけるのは最大の誉にございますよ」
ただし紅焔が調べ物をする間、春明がそばにいることが条件だ。通常も、禁書庫で調べ物をする際は二人一組で行う掟があるらしい。紅焔はこれを了承した。
さて。両側に背高の書物棚が並ぶ中をまっすぐに通り抜け、最奥の扉の前に二人は立つ。両開きの扉の取っ手には、大きな錠がかけられている。
春明は首から吊り下げた紐をたくし上げ、胸元から大きな鍵を取り出す。彼がそれを差し込むと、ガチャリと音が鳴って錠が外れた。




