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4-3



 ゆっくりと瞬きをしてから、藍玉はまっすぐに紅焔を見つめた。


「自分が麓姫の生まれ変わりと確信を得た時、私は自分がなぜこの地に再び生まれたのかを理解しました。千年に渡る呪いを解き、いまだ囚われる母を解放する。そのために、千年前の真実を解き明かすのが、私の役目だと」


「真実だって?」


 形の良い眉根を寄せて、紅焔は問い返した。


 藍玉には申し訳ないが、阿美妃が呪詛の化身となった経緯自体に謎はない。時の王・蘇芳帝を堕落させた阿美妃は国を傾けさせ、その報いとして蘇芳帝ともども帝の弟に討たれた。今際の時、最後の悪あがきで妖狐の力を解放し、華ノ国全土に呪いをかけた。


 もしや彼女は、それが誤りだと言いたいのだろうか。


訝しむ紅焔に、藍玉は強い調子で首を振った。


「私のすべてをかけて断言しましょう。母は、阿美妃は、歴史に言われるような毒婦ではありませんでした。母は人間たちを愛し、人間たちもまた、母を妃として愛してくれました」


「それではまるで、伝承と真逆ではないか」


「賢帝と呼ばれた蘇芳帝が、徐々に壊れていったのは事実です。母はそんな帝を引き戻そうとしていました。忠臣の首すら撥ねた蘇芳帝も、寵妃である母の言葉にだけは耳を貸したからです。なのに、母が、阿美妃が、蘇芳帝を狂わせたと言われているなんて……」


 悔しそうに藍玉は唇を噛む。


(蘇芳帝を打ち取るために、蘇芳帝の弟が流した噂か?)


 楽江全土を納める皇帝というのは、神にも等しい存在だ。神を殺すともなれば、それなりの理由が必要となる。


 ――いや、違う。藍玉の言葉を信じるならば、晩年の蘇芳帝が暴虐を尽くしたのは事実だ。王を殺す理由は、それだけで足りる。


(蘇芳帝の弟にとって、何らかの理由で阿美妃が邪魔だったか。あるいは、蘇芳帝が狂ったのが阿美妃のためであるのが事実であったか。もしくは……)


 阿美妃が妖狐であると、正体を明かすより先に見抜いていたためか。


 それよりも、だ。もっとも重要な点に気付き、紅焔は思い切り顔をしかめた。


 もしも本当に、阿美妃が伝承に聞く毒婦などではなく、慈愛に満ちた妃であったなら。もしも、紅焔も夢の中で見たあの光景が、千年前に間違いなく起きた出来事だとしたら。


「阿美妃はなぜ、都を呪った? 人間を愛し、皇帝から守ろうとした妃が、なぜ千年も続く呪いの化身になど堕ちたんだ?」


 大地を震わせるような怒りに満ちた咆哮をあげ、天へと昇って行った巨大な狐の姿が瞼の裏にチラつく。麓姫を密かに逃し、捕らえられて処刑されるまでの数日間。その間に、阿美妃になにが起こったのだろう。


「前世の私は、母に守られているだけの子供でした。なぜ母が殺されねばならなかったのかも、母の身になにが起こったのかもわかりません。ゆえに、知りたいのです。知って、母を千年の呪いから解放したい」


 ああ、だからかと。紅焔は、すべての欠片がストンとあるべき場所に納まる心地がした。


 以前、彼女は都に来た理由を「ひと探し」と言っていた。おそらく、より正確に答えるなら、「面影探し」だ。


 千年続く怨念のその先に、狂ってしまった亡霊の奥に。藍玉は母の面影を探している。


面影とは、すなわち過去を紐解くカギだ。真実の欠片が集まれば、阿美妃を呪いという檻から解放する手立ても見つかるかもしれない。


 それこそ彼女が、契約妻という不名誉な仮面を被ってでも、都に残ろうとした理由。


「……貴方(・・)との契約は、本当に都合がよかったのですよ。形ばかりの妻ならいくらか自由に動けますし。どさくさに紛れて、怨霊や呪いの類の話があれば私に知らせていただくよう、約束いただきましたからね」


「都合ね。まるで総括するような口ぶりだな」


「あながち間違ってはいませんね」


「去るつもりか、この宮廷を」


 ザッと強い風が吹く。細く長い髪を風に揺らして、藍玉は柔らかな笑みを浮かべた。


「もとより交わるべきでなかったのですよ。私たち狐の一族と、貴方がた人間とは」


 今だけではない。かつて彼女の母親が人里に降りたことまでを指して、藍玉はそう答える。


「母が蘇芳帝を愛し、人里に降りなければ、この地が呪いをうけることはなかった。そういう意味で、貴方がたが狐を憎むのは当然です。同時に私たちも、同胞を呪いの化身に貶められた怒りを捨てることはできない。狐と人の世界は、あの日、決定的に分たれたのです」


 だから、あるべき姿に戻るだけなのだと。雫が水面を揺らすように、藍玉の声は静かに二人の間に響く。


「母の解放は悲願であり、私が生まれてきた意味です。だから決して諦めはしません。――ですが香藍玉としての私はここでおしまい。これからは狐の娘として、母の記憶を探します」


「両親……香家にも告げないつもりか?」


「さてね。辻褄のあわせ方は考えますよ。なにせ狐は、人間を欺くのが得意なのです」


「ならば、俺のことも騙せばよかっただろう。他の人間と同じように、君らの得意の技で」


「そこは一応、筋を通したのですよ。貴方にはお世話になりましたから」


 すべてを話しきったためか、藍玉はホッとしたように肩の力を抜いた。その姿に、昨夜彼女が見せた真の姿がうっすらと重なったような気がした。


 春の明るい日差しの下、藍玉は紅焔をまっすぐに見上げて微笑む。


「おさらばです、旦那さま。短い間でしたが、出会ったのが貴方でよかった。これからは、あまり霊やら呪いやらに関わらないでくださいね。貴方が呪われても、もう助けて差し上げられませんから」


「…………」


 紅焔は答えない。艶やかな黒髪の下、美しい切れ長の目でじっと藍玉を見据えている。


 藍玉はちょっぴり寂しそうに表情を曇らせたが、すぐに思いを断ち切るように軽く首を振って微笑んだ。


「……それでは。どうか、おたっしゃで」


 ふわりと髪を揺らし、藍玉が背を向ける。どこかから風が吹いて、花びらが彼女の周りを巡った。


 遊ぶように、踊るように。花びらが少女を包み込む。まるで幻のように、少女の華奢な体は花びらの向こうに消えてしまいそうになる。


 ――ああ。これで本当に、お別れなのだ。そう、少女が目を閉じた時。


 花びらの壁を飛び越えて、大きく温かな手が彼女の手を掴んだ。


「嫌だと言ったら?」


 ハッとして振り返る少女と、紅焔の眼差しが交わる。


 彼女の迷いも戸惑いも丸ごと受け止めるような強い瞳で、紅焔は真剣に少女を見つめた。


「君が行くのを、許さないと言ったら?」


 少女は――藍玉は一瞬、泣きそうな顔をした。けれどもすぐに怒ったように、紅焔に食ってかかる。


「……じゃあ、私にどうしろと!?」


「ここにいればいい!」


 ぶわりと藍玉の術ではない自然の風が吹き、あたりを舞う花びらを蹴散らす。藍玉の手を固くつかんだまま、紅焔は叫ぶように告げる。


「君は母の解放を望み、俺はこの国に真の平和を望む。入口が違うだけで、何も矛盾しちゃいない。俺たちは協力し合えるはずだ」


「そ……うかもしれませんが、あなたは人間で、私は狐なんですよ!」


「だからどうした。――世界が分かれたとか言ったか。そんなもん、クソ食らえだ。未來を決めるのは、今生きている人間だ。俺は、俺の意思で、この手を離さないと決めた」


「なんで。だって、そんなの……」


「君こそ、胸に手を当ててみろよ」


 紅焔は手を伸ばし、おそらく藍玉自身気づいてないひとしずくの涙を、そっと指の腹で拭う。


 ――いま、やっとわかった。自分たちは似た者同士だ。どうすべきかにこだわりすぎて、自分がどうしたいかには鈍感だ。


 そのせいで紅焔は、気づかないうちに自らの首を絞め、誰かに救いを求めていた。頑なに耳を塞いできたその悲鳴に、向き合うことができたのは彼女のおかげだ。


 今度は自分が、彼女のきっかけになれたら。


「そんな顔で助けを求めている君を、ひとりで行かせられるか」


 藍玉の大きな瞳が、太陽の光にきらりと輝く。そこから、再び大粒の涙があふれてこぼれた。


 戸惑って瞳を揺らす藍玉に思わず笑みをもらしてから、紅焔は軽く首を傾げた。


「それで? 返事は?」


 膝を曲げて顔を覗き込むと、藍玉は小さな唇をきゅっと噛んだ。


 なんと言おうと、彼女の心を動かすことはできないかもしれない。自分では、彼女の世界を変えるには役者不足かもしれない。だからこそきちんと、彼女からの答えを聞きたい。


永遠のような一瞬のあと、藍玉が紅焔の胸に飛び込んだ。驚きつつ受け止める紅焔に、藍玉はなにかを囁く。


 それを聞いた紅焔は――


「……ああ。契約延長、だな」


 柔らかく囁いて、そっと藍玉の背に手を回したのだった。




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